Yahooニュースで、「フィンランドの出生率1.26へ激減」子育て支援では子どもは生まれなくなった大きな潮目の変化」というのが流れていた。
内容としては、少子化対策の先進国であるはずの北欧フィンランドで、近年出生率が急減しているというものだ。
2023年の出生率は、日本とほとんど変わらない1.26という数字で、
10年前の1.8~1.9から大きく数字を減らしている。
最近、「人口で(語る世界史」(ポール・モーランド著 文春文庫)を読む中で、つらつらと感じていることでもあるのだが、
現在、先進国で様々に少子化対策の取り組みが行われていて、
日本でも保育料の無償化やら、誰でも保育の推進やら、妊娠・出産給付金やら、
立て続けに大量の対策メニューが推進されたりしているのだが、
正直なところほとんど効果があがっていない。
むしろ対策を進めて子育てが容易になればなるほど、却って少子化が進んでいるようにさえ見えるほどだ。
この少子化というのは、人口が減り始めた昨今になって生じてきた現象ではなく、
生産性の向上や、医療技術の進化といった社会的にはプラスと考えられる要素が生じた時点から発生する現象で、
産業革命が世界で最初に起こったイギリスでは200年も前に、
日本でも実に明治維新にこの現象が生まれている。
それ以前は多産多死の時代だったのが、医療の進化によって、乳幼児の死亡率が驚異的に減少した結果、
産まれてきた子どもの多くが成人に至るようになり、母親が5人も6人も出産する必要が無くなったのである。
では、ただちに人口が減少したのかというと、もちろんそんなことはなく、
両国ともその後、むしろ人口が大きく増大して、
イギリスでは膨れ上がった人口を吐き出すため、アメリカやオーストラリア等の新大陸への移住が進み、
日本では人口増大を背景に富国強兵化が進展するのだが、
それにはもう1つの背景として国民の寿命が大幅に伸びたことがあり、
出生率の低下を補って余りある平均寿命の延伸が、先進国の発展を支えてきたともいえる。
日本の合計特殊出生率は、1947年に4.5であったのが、現在は1.3を割り込んでいるが、
数字がほぼ一貫して減少する中でも、戦後の高度経済成長を達成してきたのは、
江戸時代には40歳に満たなかった平均寿命が、現在は80を超えたことにより、
人がより長く、健康に働き続けることになったという要因が非常に大きい。
昨今少子化対策が声高に叫ばれるようになったのは、この少子化と寿命延伸という2つのバランスが保てなくなったからで、
これから先、人間の寿命が200歳ぐらいになって、労働者が100歳を超えるまでバリバリ働けるという世界になる見込みがないのと同じように、
乳幼児が簡単に命を失わなくなった世界で、子どもを積極的に産み育てようと考える人間の割合は今後も減少していくのではないだろうか。
ここからは全く個人的な見解だが、これはとどのつまり、「人間も動物である」という単純な事実に起因するものだ。
人間に限らず、自然界では多様な生物が日々子孫を残す活動を行っているが、
子どもを失う可能性の高い生物ほど、たくさんの子どもを産もうとする。
あのマンボウという魚は、1度に数億個の卵を産むが、
それほど極端な例ではないとしても、魚類は一度に万単位の卵を産む。
胎内で赤ちゃんを育て、出産する生物になると、
出産数は激減するが、これはそれほど大量の命を産み出さなくても、
子どもが成長する確率が上がってくるからだ。
では、現在の世界でもっとも子どもが健康に成長する可能性の高い生物は・・・もちろん我々人類だ。
命を失う可能性が低い以上、子どもを産まなくなる。
これは高齢化社会で労働人口が不足するから、子どもをもっと増やさないとという理屈とは全く関係がないので、
先進国が取り組んでいるような常識レベルの少子化対策では効果が上がらないのは、むしろ当たり前とも言える。
より少ない人的負担で高齢者をケアできる仕組みを作り上げるか、
不公平さが感じられる程のレベルで子育て家庭を優遇するような制度を作り上げて、
子育て家庭に子どもを「育てていただく」社会を作り上げるか、
どちらか、あるいは両方を実現しない限り、先進国の未来は暗いと思うのだけれども、
そもそも政治家へ投票する票の多くは、俺様を含めた中・高齢者票なので、自分たちの首を絞めるような選択というのは、これはこれで実現性が低そうだ。
内容としては、少子化対策の先進国であるはずの北欧フィンランドで、近年出生率が急減しているというものだ。
2023年の出生率は、日本とほとんど変わらない1.26という数字で、
10年前の1.8~1.9から大きく数字を減らしている。
最近、「人口で(語る世界史」(ポール・モーランド著 文春文庫)を読む中で、つらつらと感じていることでもあるのだが、
現在、先進国で様々に少子化対策の取り組みが行われていて、
日本でも保育料の無償化やら、誰でも保育の推進やら、妊娠・出産給付金やら、
立て続けに大量の対策メニューが推進されたりしているのだが、
正直なところほとんど効果があがっていない。
むしろ対策を進めて子育てが容易になればなるほど、却って少子化が進んでいるようにさえ見えるほどだ。
この少子化というのは、人口が減り始めた昨今になって生じてきた現象ではなく、
生産性の向上や、医療技術の進化といった社会的にはプラスと考えられる要素が生じた時点から発生する現象で、
産業革命が世界で最初に起こったイギリスでは200年も前に、
日本でも実に明治維新にこの現象が生まれている。
それ以前は多産多死の時代だったのが、医療の進化によって、乳幼児の死亡率が驚異的に減少した結果、
産まれてきた子どもの多くが成人に至るようになり、母親が5人も6人も出産する必要が無くなったのである。
では、ただちに人口が減少したのかというと、もちろんそんなことはなく、
両国ともその後、むしろ人口が大きく増大して、
イギリスでは膨れ上がった人口を吐き出すため、アメリカやオーストラリア等の新大陸への移住が進み、
日本では人口増大を背景に富国強兵化が進展するのだが、
それにはもう1つの背景として国民の寿命が大幅に伸びたことがあり、
出生率の低下を補って余りある平均寿命の延伸が、先進国の発展を支えてきたともいえる。
日本の合計特殊出生率は、1947年に4.5であったのが、現在は1.3を割り込んでいるが、
数字がほぼ一貫して減少する中でも、戦後の高度経済成長を達成してきたのは、
江戸時代には40歳に満たなかった平均寿命が、現在は80を超えたことにより、
人がより長く、健康に働き続けることになったという要因が非常に大きい。
昨今少子化対策が声高に叫ばれるようになったのは、この少子化と寿命延伸という2つのバランスが保てなくなったからで、
これから先、人間の寿命が200歳ぐらいになって、労働者が100歳を超えるまでバリバリ働けるという世界になる見込みがないのと同じように、
乳幼児が簡単に命を失わなくなった世界で、子どもを積極的に産み育てようと考える人間の割合は今後も減少していくのではないだろうか。
ここからは全く個人的な見解だが、これはとどのつまり、「人間も動物である」という単純な事実に起因するものだ。
人間に限らず、自然界では多様な生物が日々子孫を残す活動を行っているが、
子どもを失う可能性の高い生物ほど、たくさんの子どもを産もうとする。
あのマンボウという魚は、1度に数億個の卵を産むが、
それほど極端な例ではないとしても、魚類は一度に万単位の卵を産む。
胎内で赤ちゃんを育て、出産する生物になると、
出産数は激減するが、これはそれほど大量の命を産み出さなくても、
子どもが成長する確率が上がってくるからだ。
では、現在の世界でもっとも子どもが健康に成長する可能性の高い生物は・・・もちろん我々人類だ。
命を失う可能性が低い以上、子どもを産まなくなる。
これは高齢化社会で労働人口が不足するから、子どもをもっと増やさないとという理屈とは全く関係がないので、
先進国が取り組んでいるような常識レベルの少子化対策では効果が上がらないのは、むしろ当たり前とも言える。
より少ない人的負担で高齢者をケアできる仕組みを作り上げるか、
不公平さが感じられる程のレベルで子育て家庭を優遇するような制度を作り上げて、
子育て家庭に子どもを「育てていただく」社会を作り上げるか、
どちらか、あるいは両方を実現しない限り、先進国の未来は暗いと思うのだけれども、
そもそも政治家へ投票する票の多くは、俺様を含めた中・高齢者票なので、自分たちの首を絞めるような選択というのは、これはこれで実現性が低そうだ。