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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文435

2013-10-12 11:18:00 | 戦争文学
『土と兵隊・麦と兵隊』(火野葦平 新潮文庫)

 確か高校の国語総合便覧の文学史年表にも載っていて、有名な作品ではある。それ以前に私は家にあったレコードで軍歌『麦と兵隊』を知り、次にこれが映画の主題歌だったと知った。無論、映画の原作となったのが本作であるわけだが、そういう逆順で知ったせいか先入観にまみれてしまった。軍国調の、浪花節的な、国策映画の、原作と。
 おそらく火野葦平はそういう先入観に苦しめられ続けた書き手だったろうと思う。読んでみると意外に文章は短切で読みやすく、読み物ではなく“文学”の文体である。無駄や余計な虚飾は削がれている。たまたま“兵隊作家”と持て囃されたのであって、それがなくても良い作品を文学史上に残したであろうと思った。という感想を確認するためにも、他のものも読んでみたい。
 ただし、解説にもあるように、その視座に戦争を批判的にみつめようという態度はない。素朴に、兵らを慈しみ、祖国を想うのは人情としても、たまに、きな臭い報道的な表現が挿入される。報道班員の任務として、また当時の世相から類推して、そういう文脈が必要だったのは理解できる。と、同時に、戦後はこれが忌避されたのも容易に想像がつく。戦争に協力したと捉えられても仕方のないような表現がないとも言えないのである。
 しかしだ。戦友を愛し、祖国を想い、敵を憎み、皇軍の正義を信じていたのは、当時の平均的な、兵士一般・国民一般の在り方だったはずである。だから文学を戦意高揚に利用するのも許容される、とは思わないが、逆に怖いのは、そうした一般の人々が、“戦争犯罪人”の陰で素知らぬふうに“転向”していったであろうことだ。
 感想からずれてしまった。芥川賞受賞作や戦後のものを読んで、妙なフィルターを介さずに読みたい作家である。



読書感想文424

2013-07-24 23:57:00 | 戦争文学
『海戦』(丹羽文雄 中公文庫)

 重巡洋艦『鳥海』に従軍記者として乗り込み、ソロモン沖海戦の夜襲をルポした作品として名高いが、例によって全集は敬遠気味のため、読むのが今更になった。中公文庫には感謝せねばなるまい。
 鼻息荒い軍国調の文章ではないが、やはり従軍記者としての任務には忠実であって、一切の批判的表現はない。全般的に賛美の姿勢を保持しつつ、かつ文学愛好者以外の読者を読み手として想定するような文体である。
 そういう読み方をすれば感心しない作品かもしれないが、艦艇に乗り込んで死地をかいくぐった従軍記者というのは貴重だし、大げさに構えた描き方はせず、淡々と綴りゆくその文体に、軍国調や体制におもねる卑屈さは微塵もない。
 ただし、そこに批評眼は欠如しているし、疑念もない。私たちはその時代性の異常さにも思いを馳せつつ読まねばなるまい。言論は封じられたのみならず、国民自らが失っていたのだということも。

 



読書感想文422

2013-06-12 00:22:00 | 戦争文学
『呉淞クリーク/夜戦病院』(日比野士郎 中公文庫)

 徒然に入った御茶ノ水の古書店で買い求めた。
 いまだに、戦争に関する作品には食指が伸びる。それはある意味、安全な場所から審判の秋を眺められる卑怯な特権に与れるからだろうか。また、私は若いとき、苛烈なものを摂取し続けないと、たちまち足下を見失うような、不安定な人間だったように思う。その傾向も尾を引いているのかもしれない。
 脇道にそれた。目につく題名だから、記憶の彼方にはあって、著者の名前や“クリーク”という文字、それらの字面だけは、見覚えがあった。
 素直な文体である。誇張もせぬし、かといって、学徒兵のような葛藤も描かれぬ。字を知らぬ兵が決まり文句のように書いた紋切り型も出ないが、視点は極めて兵隊なのである。
 続編である『夜戦病院』では、趣はやや異なって、人間らしい感情を静かに描いていく。人心地つくにつれ、淡く感傷に彩られ、それが上海の異国情緒に馴染んでいくかのようだ。
 死線を超える場面から一転、酒保に通ったりする生活が描かれる。そこでの作中人物の心境の変化が、見事なほど自然に描かれている。
 この著者がその後忘れられていった理由はわからない。しかし一顧だにされなかったにせよ、大戦中あるいは戦後のものがあれば読んでみたい。
 



読書感想文413

2013-03-31 22:50:00 | 戦争文学
『桜島・日の果て』(梅崎春生 新潮文庫)

 古い新潮文庫の黄色い表紙がぼろぼろになってしまった。菊村到『硫黄島・あゝ江田島』や岩波文庫『きけわだつみのこえ』同様、幾度も読み返している本だ。
 今回は三浦哲郎の作品を読んだ後、餓えるように梅崎春生を手にしていた。三浦哲郎的なものに何らかの不満を感じ、梅崎春生的なものに欠落を埋める何ものかを期待しているらしい。らしいのだが、それを具体的に説明するのは難しい。
 本作には『桜島』以下五編が収められている。そのうち『桜島』、『日の果て』、『崖』の三編が戦争を題材にしている。いずれにも共通するのは、強烈な個性を発揮して語り手の気持ちに絡みついてくる印象的な脇役たちの存在だ。
 それら語り手とは相容れないかに見える脇役たちの言動。そこに喚起されることども。突き放すような文体はしかし濃密な読後感を伴う。
 脇役らに投影される直視できぬあれこれが、本短編集の醍醐味ではあるが、『桜島』に描かれる語り手の自問自答は真摯で今回私をハッとさせた。読む年齢によって、印象はだいぶ違う。



読書感想文407

2013-01-26 08:36:00 | 戦争文学
『硫黄島・あゝ江田島』(菊村至 新潮文庫)

 何度目だろうか。このブログにアップするのも三回目だった気がする。
 今回はこの短編集の、私に対する影響力を、その強さを改めて認識させられた。
 人生に影響を与える本、人格の形成に関与する本、そうした本に幾つか出会ってきたが、今回、驚きと不安を伴って再認識させられた。
 驚き。作中人物の言葉や息遣いを、私は身近な親しい人のそれのように、擦り込ませている。その考え方、切り口をも。彼らが私に似ているゆえに、私が本書に惹かれ、読み続けてきたのか。逆に感銘を受け読み続けるうちに、感化されたのか。それはわからない。
 不安。ある一冊の本に、ここまで影響を受けてしまっていいのだろうか。しかもこの場合の影響は、若い時期にありがちな、青臭いリスペクト、猿真似ではない。もっと根本的なのである。
 収録されているもののうち、『硫黄島』と『ある戦いの手記』がやはり良い。特に後者は、著者特有の描写方法が最も作品にフィットし、湿り気と突き放すようなドライが上手く同居した稀有の文体を持つ。
『ある戦いの手記』で、語り手は最後にこう締めくくっている。
“ぼくは可能なかぎりの勇気をふるって言おう。脱出は、これからもなお、繰り返されなければならない、と。”
 私は読み終えて、今後もこの短編集の読書は“これからもなお、繰り返されなければならない”だろうと感じている。しかし一方で、先に記した不安のような感覚もある。
 菊村至はこの短編集にもみられるストーリーテーラーの才能を生かし、その後は推理小説へと転向していく。もしやそれは、“戦中派”たる自己規定からの“脱出”だったのかもしれない。