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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文582

2017-01-07 12:00:00 | 戦争文学
菊村到戦記文学集(上) 硫黄島』(講談社)

 新潮文庫の短編集『硫黄島・あゝ江田島』を長年にわたって愛読してきた。数年前、こちらの講談社のものを見つけ、先日再読したのがきっかけで上巻を探した。以前は高値で手を出せなかった気がするのだが、運良く格安で手に入れることができた。収録十六作品のうち、未読のものが十四もあり、わくわくと頁を繰った。
 と、期待は肩透かしになった。初出一覧を見れば予測はついたろうが、表題作をのぞくほとんど全ての作品が、大衆誌に出ている。下巻でもそうだったが、同一人物とは思えぬほど、菊村到は純文学とそうでないものとを書きわけている。後年、サスペンス作家に転身したところをみれば、純文学ではないほうが、本人も得意だったのだろうか。
『英雄たち』は比島山中での敗走を描く。心境の機微をスピーディーに描いて緊張感を誘うが、深刻なテーマが回収されることなく伏線的に張りめぐらされていて、読み終えての心残りは否めない。長編に綴られるべきもののスケッチという体なのである。
『硫黄島の太陽』は、題名から期待が膨らんだものの、名作『硫黄島』に連なるものはひとつもなく、安っぽい模倣(当時流行ったのであろうカミュ作品の)が更に作品の質を貶めていると感じた。文筆“業”として、とにかく雑誌の締切に追われて書かれたものなのか。しかし、需要があるからこういう戦記も書かれたのだろう。
『炎の島タラワ』、『赤い服の日本兵』、『生き残った男』、『艦影見ゆれども』、『幻のスイス終戦工作』、『流弾』はいずれも戦史上のエピソードを小説という入れ物で紹介するようなもので、通勤電車の片手間に流し読みされるような小品だ。戦史叢書や誰かの手記などで学習したものをそれっぽく読みやすくしただけと言ったら言い過ぎか。
『死者の土地』もフィリピンでの絶望的な逃避行を描く。生きるために味方同士でも命のやり取りが行われ、それが乾いた文体で描かれていく。題材からいって深刻なのだが、深入りしないスタンスで、通勤の片手間に読むのに差し障りはない。そういう読み物が、時と場合により求められるのだろうが、これだけの問題意識を喚起しながらも、味方を撃つ作中人物の内心は【はっきりと何かに対決を迫られているのを感じた。かれはいつもそこを避けて通って来たような気がした。しかしもう避けることは許されない】と、淡々と語って済まされてしまう。惜しいとは思うが、それは読者の勝手な希望であろう。
『無風海面』は戦争の記憶を媒介にした一種のサスペンス小説。引きずり続ける葛藤や内心の傷が現在に歪みとして表れてくる様は切実だった。菊村到の得意とする手法なのだろうか。
『きれいな手』は表題作同様、新潮文庫にも収録されている。フィリピンで処刑される男の一日をその回想を交えて濃密に描く好短編だが、宗教的に重大なテーマを内包していて、それは“転向”の問題にも連なるものかもしれず、短編ではどうしても消化不良の感が否めない。
『われ敗れたり』は終戦の日の新聞社を寸描する。戦後、新聞社に務めた著者が、同僚らに聞いた話を作品化したのだろうか。短編小説としてどうという以前に、あの日を日本人はいかに迎えたのかと考え直させられた。
『小さな十字架』は、もしかしたら私小説だろうか。戦後、フィリピンに収監されている戦犯を訪問・取材する数日間を描いているが、記者時代の菊村到もフィリピンで現地取材しているのだ。そのためか、描写はリアルで動きに満ちているし、語り手の感じ方には切実さがみられる。特に、自分の『心の傾斜』に憂鬱を感じるラストの場面は印象的だった。『自分たちに背負わされた十字架の重さ』というテーゼが淡々と書かれてしまうあたりが大衆誌に載っていそうな小説らしいが、その含むところは重い。
『夜の檻の中で』も戦犯との面会を取材する記者が語り手。こちらは中国なのだが、いま、さらりと読み返して気づいたことがある。それは『小さな十字架』もこちらも、明るい話ではないけれど、生き残った人間は、戦後の生活を、一から、新たに開拓していこうとしていて、そこに一縷の希望が残されており、戦争の傷は、その希望という瘡蓋によって癒されようとしていたのかもしれない、ということだ(あるいは忘却か)。いずれにせよ、多くの日本人は、戦後の生活、復興に精一杯になり、“傷”に忘却の瘡蓋を張ったのかもしれない。
 最後に表題作『硫黄島』。これまで何度も読みながら素通りしていたが、情景描写の巧みさに感心した。
【富田の眼に涙がじわじわしみ出て、それがやわらかく光をはじいた。そのきらめきは、私に、はじめて片桐があらわれたとき、かれの紺の背広の肩さきで、つつましやかに緻密な光を放っていたあのこまかな雨の水玉を思い出させた。】
 感慨にふけりながら最後の頁を迎えたとき、冒頭の場面が色鮮やかに甦る。映画の手法なのかもしれぬが、これまで繰り返し読んできた私には、このフラッシュバックが幾層にも重なって甦るかのような、特異な感銘の体験となった。良い作品というのは、心の中で熟成されるものなのかもしれない。素敵な発見だった。



読書感想文573

2016-11-23 10:24:00 | 戦争文学
『沈黙の空』(菊村到 講談社)

 本書の通読は二度目になる。新潮文庫『硫黄島・あゝ江田島』を15歳のときに読んで以来、ことあるごと私は菊村到に接してきた。その粘着質の自問自答みたいな文体を読むことで、私の中に凝り固まっている粘着物を客観化しようとしてきたのかもしれない。
 しかしそれは少なくとも、喜びや楽しさの伴う読書ではない。見なくても良いものを、敢えて緻密に見ていく作業、いってみれば天の邪鬼の、不毛な営みでさえあったと思う。

 冒頭に収められている『捕虜をいじめたか』及び『屠殺者』は、いずれも戦後、時間が経った地点から戦争体験に切り込んでいく手法を取るが、今回気づいたのは、ある浮遊感と不信感だった。
 1945年を境として、彼らは様々な断絶に遭う。これらの作品が持つ不確かさは、その狭間に投げ出された戦中派の有り様を象徴しているのかもしれない。肩透かしのような読後感も、納得できそうな気がした。なにしろ当時の断絶は、人生そのものが肩透かしされる経験だったはずだからだ。
 私が今回感じた浮遊感や不信感というのも、当然滲み出てくるべき作風だったのだろう。また、作中人物らの突飛な行動には、今でいうPTSDの症例と見えるものが含まれている。精神科の医療が未発達な当時にあって、戦中派の書き手本人がそれをなんとかして文学に昇華しようとした足掻き。息苦しさを見ぬふりはできない。

『狙撃』は軽いタッチで、読み物風に読ませるけれども、描こうとするものの深刻さが行間に重苦しく充満し、かえってタッチの軽さが寒々しい作風を形作っている。
 照準された日本兵の姿と、目前の発作に喘ぐ女が重なる。
『その眼は救いを求めているようでも、また拒絶しているようでもあり、江尻を強く非難しているようでも、また許しているようでもあった。江尻はじっとそれに耐えていた。』
 映画でよく用いられる手法を思わせるラストだが、情景がよく頭に浮かぶ。好短編である。

『ある戦いの手記』は私が特に愛読してきた菊村到作品だ。改行のほとんどない自問自答に似た文体は、深刻なようでいて、しかしどこかあっけらかんとしている。それは今回の読書で気付いたことだが、おそらく語り手が“脱出”というアウトプットを心に得てから語られているゆえに、ある種の客観性に支えられていたのだろう。
 という意味で、この短編のレシピは、あの『ライ麦畑でつかまえて』に似ているのかもしれない。今まで思ってもみなかった発想ではあるが。
 ところで本短編集の巻末で初出一覧を見ると、そのほとんどが大衆小説の雑誌に掲載されたことがわかる。けれど、やはりというべきか、『ある戦いの手記』だけは『三田文学』だ。載る雑誌に合わせて書き分けていたのだろうか。とすれば器用な小説家である。

 久々に本短編集を手にして、これが『菊村到戦記文学集(下)』であることを思い出した。上巻には私の未読作品も入っているので探してみようと思う。


読書感想文566

2016-09-23 22:24:00 | 戦争文学
『レイテ戦記(下)』(大岡昇平  中公文庫)

 下巻では昭和19年末以降のレイテ地上戦終盤及びセブ島等への転進、そしてエピローグが描かれている。
 資料としての戦史というのは、事実の経過(それが真に事実であるかどうかは別として)が淡々と綴られ、通読していくのは非常な根気を必要とする。その単調さ、資料としての平板な文体に集中力も途切れてくる。例えば防衛庁が編纂したものがそうだ。
 その点、『レイテ戦記』はやはり文学である。読ませる工夫がされている。しかもその工夫の裏には、緻密かつ執拗で完璧主義ともいえる調査の努力が積み上げられている。文学とはいえ、創作ではないし、個人の主張を反映させるためのものではない。
 ただ言えるのは、著者は言外に、行間でもって、鋭く追及してやまないということだ。中巻の感想にも書いたとおり、それは“歴史”との戦いだったのだと私は確信する。小説家としてのスキルを総動員して、現在進行形の“歴史”をも撃とうという、たったひとりの戦いである。
 エピローグで大岡昇平はこう書いている。

 国土狭小、資源に乏しい日本が近代国家の仲間入りをするために、国民を犠牲にするのは明治建国以来の歴史の要請であった。われわれは敗戦後も依然としてアジアの中の西欧として残った。低賃金と公害というアジア的条件の上に、西欧的な高度成長を築き上げた。だから戦後二五年経てば、アメリカの極東政策に迎合して、国民を無益な死に駆り立てる政府とイデオローグが再生産されるという、退屈極まる事態が生じたのである。

 自分たちは何のためにあのような悲惨を経ねばならなかったのか。彼らはどうして死なねばならなかったのか。そういう問いの中で、これでは無駄死にになってしまうではないか、という怒りと焦燥が著者の中に渦巻いていたのかもしれない。
 また、旧職業軍人らの回想記等が、怒りと焦燥の火に油を注いでいったことが推察される。1953年、野間宏との対談で、著者は「軍人が出鱈目を書き続けるんなら、レイテ戦記のようなものを書いてもいいと思ってますが」と語ったという。
 執拗なまでの資料蒐集は、こうした情熱に立脚していたのであろう。
解説で菅野昭正は以下のように『レイテ戦記』を評価している。

 
こうして、レイテ島の戦闘全体の因果関係と構造に即応するこの交響曲的な構成のもとに編成された無数の事実を通して、個々の兵士たちの死が偶然による孤立した死ではないことを、『レイテ戦記』は確実に告知してくれる。

 
それは死者を悼み、その霊を慰めるとともに、無数の遺族にとっても意義ある仕事であったと思う。
 解説はこう続いている。

 
すへての兵士たちの上に、太平洋戦争のたどってきた大きな動向、戦争指導者の立案する作戦計画、作戦を実行する指揮官の決断や逡巡、局地的な戦いのなかで生じる種々の偶発事が、重くのしかかっていたのを読者は知ることができる。

 
しかも大岡昇平自身、フィリピンで戦い、死の淵をさ迷った下級兵士だった。その学識と調査に基づく客観性に支えられ、文学的素養がすべて注ぎ込まれ、自身の皮膚感覚がそこに投影された『レイテ戦記』は、ルポや文学の域をも超えていると言って差し支えないだろう。
 最後に解説者は本作を評してこう書いている。

 
死んだ兵士たちにむかって、死んだ兵士たちがどんなふうに死んでいったかを告げる衷情からの告知
 いま生きている者たちにむかって、戦争とはどういう悲惨な異常事であるかを説きあかす完璧な証言

 
その“告知”と“証言”が私たちの手に残されたことを、祈るような気持ちで受け取りたい。いま、私たちは思いを新たに、想像力を駆使して、学び直すべきときだ。
 






読書感想文565

2016-09-22 12:59:00 | 戦争文学
『レイテ戦記(中)』(大岡昇平  中公文庫)

 上巻の感想文において感想らしいことをひとつも書けなかったわけだが、それは歴史的事実に圧倒されてというだけでなく、著者の仕事に感嘆してというほうに要因を求めていいかもしれない。
 ひとりの人間が、ここまでのものを書き上げられるのか、という驚きを禁じ得ない。『レイテ戦記』は史学(戦争学、戦史)と文学の高度な融合によって為されているが、それを支えるのは、著者のある種の情熱であろう。
 リモン峠の戦いを描く十八章『死の谷』において、日本軍の劣勢を歴史的に解き明かしていく文脈には目を見張るものがある。

 しかし師団として、そんな作戦を取れば、たちまち攻撃精神に欠くとの非難を浴びねばならない。これは師団をあまりにも強大な戦闘単位と考える、日本陸軍の時代遅れの体質と関係があろう。西欧の陸軍が1870年の普仏戦争以来、軍団(二個師団)を単位として、軍団重砲をうわ乗せしているのに、依然として砲40門に足りない師団を強力な戦力と見なして、過大な要求をする参謀本部の頭の古さが現れている。
 1870年は明治3年に当り、日本陸軍創設と同時である。幕府のフランス心酔にかわって、普仏戦争に勝ったドイツ兵学が輸入される。モルトケの弟子メッケル少佐が招聘され、三年がかりで日本陸軍の骨幹を作った。しかし当時の新政府の経済では、師団編成を創り出すのが精一杯であった。それがそのままリモン峠に持ち越されたのである。

 
しかもドイツ兵学は、第一次世界大戦の“タンネンベルク殲滅戦”にみられる派手な劣勢包囲の成功によって、日本陸軍においては兵士個人の精神力依存と相まって、日本軍流に解釈されながら、形骸化したまま採用され続けた。著者はいう。

 
これらはみな今日の眼から見た結果論というのは易しい。しかし歴史から教訓を汲み取らねば、われわれは永遠にリモン峠の段階に止まっていることになる。ただしこれは必ずしも旧日本陸軍の体質の問題だけではなく、明治以来背伸びして、近代植民地争奪に仲間入りした日本全体の政治的経済的条件の結果であった。レイテ沖海戦におけると同じく、ここにも日本の歴史全体が働いていた。リモン峠で戦った第一師団の歩兵は、栗田艦隊の水兵と同じく、日本の歴史自身と戦っていたのである。

 この部分を読み返していて、私は「あっ!」と腑に落ちるものを感じた。上巻の第九章『海戦』での一節を引用する。

 
すべて大東亜戦について、旧軍人の書いた戦史及び回想は、このように作為を加えられたものであることを忘れてはならない。それは旧軍人の恥を隠し、個人的プライドを傷つけないように配慮された歴史自信である。さらに戦後二五年、現代日本の軍国主義への傾斜によって、味つけされている。歴史は単に過去の事実の記述に止まらず、常に現在の反映なのである。

 
とするなら、日本の歴史自身と戦っていたのはレイテにおける兵士たちだけではない。『レイテ戦記』を書くことによって、大岡昇平もまた、“現在の反映”たる歴史と戦っていたのだ。
 この大著を成した情熱の在処が、少しわかった気がした。

 
 




読書感想文563

2016-09-19 21:57:00 | 戦争文学
『レイテ戦記(上)』(大岡昇平  中公文庫)

 何度か読もうとしながら、その分量に躊躇して先送りしてきたのを、ようやくこの夏、手にした。
 野呂邦暢『失われた兵士たち』で取り上げられていたのを目にしたのは、ひとつのきっかけとなったようである。

「レイテ戦記」を書いた大岡昇平氏はその動機を、戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものと語っている。死んだ兵士の霊を慰めるには遺族の涙もウォー・レクイエムも十分ではない、と大岡氏は断言するのである。(『失われた兵士たち』22章「滅亡と救済」)

 
さて、感想をと思うのだが、正直言葉が出てこない。これまで北はシベリア南はニューギニアに至る、様々な悲惨を、戦記やドキュメントという形で目にしてきた。だから、いまあらためて、レイテの悲惨に驚愕したわけではない。
 聴き続けるのに体力を要する交響曲というのがある。疲れてしまい、ストレスさえ感じてしまっているかもしれないのだが、その場を離れることができない。『レイテ戦記』を通読するということは、そういう体験だったように思う。
 野呂邦暢はこう続けている。

 
しかし大冊の「レイテ戦記」をもってしても死者たちの霊が完全に慰められたとは私は信じない。著者もおそらくそうであろう。大岡氏はあるとき、生きながらえた自分には罪の意識があると語っていた。(中略)大岡氏は作家として超人的な努力をこころみ、この上なく細密にレイテ戦を記述した。努力を可能ならしめたのは罪の意識であった。 
 
 もしこういう表現が許されるなら、私を『レイテ戦記』に向かわせたのも、ある種の罪悪感だったように思う。
 戦記ものに接するようになった初めは、月刊誌『丸』や光人社“よもやま話”シリーズがきっかけだった。若かった私は、中でも華々しい海軍や航空隊に関するものが好きで、レイテと聞けば『捷号作戦』と連想できても、具体例として頭に浮かぶのはレイテ沖海戦や『武蔵』の最期くらいだった。
 ここ数年来、学徒出陣にまつわるものに手を伸ばし、フィリピンで戦死した方々の多さを知った。実は沖縄や硫黄島よりも戦死者の数が多いというのは、最近知ったくらいだった。
 そういう無知や偏りを、恥ずかしく思う。『失敗の本質』において捷号作戦にみられる日本軍の組織論的欠陥を知り、或いは『大本営参謀の情報戦記』で大本営と南方総軍に翻弄された山下方面軍司令官の苦悩を見、私は知った気になっていたのである。その結果としてのレイテにおける地上戦を知らぬくせに。
 こうして盆休み明けから、電車内で、私は来る日も来る日も72年前のレイテ島にトリップしたのだった。このところ感じていた疲労は、夏バテだけが要因ではなかったのかもしれない。
 喊声、砲声、爆音、銃声、断末魔の声、雨音・・・それらが織りなす交響曲に、ただただ私は張り付けられていた。
 解釈も、感想も、まだ出てこないのである。上巻の“感想”は、ここまでで筆を置くことを許されたい。(三巻の通読を終えてからこれを書き始めたので、わざわざ分ける必然性はないのだが、感想が組み立てられぬという個人的理由で、三つに分割して書くことにした)。