goo blog サービス終了のお知らせ 

よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文683

2019-08-03 18:08:00 | 戦争文学
『軍旗はためく下に』(結城昌治 中公文庫)

古い映画を専門に上映しているシアターでポスターを目にし、原作が直木賞とあって興味を抱いた。著者の名は知らなかった。主として推理小説を書いた人らしい。アマゾンで見つけて注文した。
 五つの短編によって構成されている。だいぶ昔の古本で、以前の持ち主のメモには昭和48年と書き添えられていた。『面白くていっきに読んだ』とある。
 『フーコン戦記』を読んでいるので、読了後にすべきだったのだが、ぱらぱらとめくっているうちに止まらなくなり、五つの物語を立て続けに読んでしまった。
 陸軍刑法によって処刑された者たちにクローズアップした短編集である。それぞれ罪状毎に短編となっている。
『敵前逃亡・奔敵』
『従軍免脱』
『司令官逃避』
『敵前党与逃亡』
『上官殺害』
 そして冒頭には、刑法が抜粋され、それがエピグラフのように掲げられる。

<陸軍刑法>
第七十六条 党与シテ故ナク職役ヲ離レ又ハ職役二就カサル者ハ左ノ区別二従テ処断ス。
一 敵前ナルトキハ首魁ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮二処シ其ノ他ノ者ハ死刑、無期若ハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮二処ス。


 日本軍の蒙昧は、神がかりのような“必勝の信念”や、国際法を無視した“戦陣訓”、『失敗の本質』で取り上げられた空気を読む組織内文化だけでないということを、本書で痛感した。
 陸軍刑法という抑圧の装置をも駆使して、兵らを支配し、自己保身をすら図っていたのである。多くの処刑、しかも軍法会議さえ経ない処刑が横行したことを本書は匂わしている。戦死でなく、身内に殺されるとはやり切れないだけでなく、処刑は戦病死とは扱いが異なり、遺族は恩給ももらえなかったというから二重苦だ。
 と、こんなやり切れない話を、ここまで読ませるものにしてみせる著者の筆力は驚異だ。
 元兵士らに聞き取りをし、事件の輪郭が解明する展開は、推理作家の得意とする描き方なのだろうが、緊張感が保たれ、緊迫感を持って読了していた。関係者が多く存命であった時代、こういうものを書くのは、一筋縄ではなかったろう。
 著者は戦後、東京地検に勤務し、軍における処刑の数々を知って、このテーマを自身の使命のように抱え続けていたらしい。あとがきでそのことに触れている。

 私は昭和二十七年のいわゆる講和恩赦の際、恩赦事務にたずさわる機会があって膨大な件数にのぼる軍法会議の記録を読み、そのとき初めて知った軍隊の暗い部分が脳裏に焼きついていた。それと、私自身戦争の末期に海軍を志願してほんの短期間ながら軍隊生活を経験したことが執筆の動機になっている。

 
 純文学ではないために、文学史の年表に載らなかったりして、手にとる機会を得ないこういう本がまだまだたくさんあるのかもしれないと思う。
 アンテナは拡げておかねば。また、今回は映画館でのふとした出会いだった。足で稼ぐ情報も、やはり必要である。


読書感想文682

2019-07-19 18:16:00 | 戦争文学
『龍陵会戦』(古山高麗雄 文春文庫)

 三部作の第一作、『断作戦』を読んでから、かなりの月日が経ってしまったが、神保町を歩いていて三冊揃いで売っているのを見つけ、「『断作戦』は読んだので、二冊だけ売ってくれませんか」と頼んで、本書と『フーコン作戦』を入手した。
 この著者の作品は、戦記文学としては特異な雰囲気で、誤解を恐れずに言えば、「ボヤっ」としている。記憶が曖昧で、その曖昧さを包み隠さず描く。読んでいるとなんともシャキッとしないのだが、克明に覚えているほうが不自然だし、詳細な戦記は日記やフィクションによるものだったのだろうと思えば、「ボヤっ」としているのは、かえってリアルなのかもしれないと思った。
 長い戦後を生きてきた戦中派世代が、現役をリタイアして我と我が身を振り返る。きっとそのとき、多くの記憶は曖昧になっており、あるいは美化されていたり、都合よく書き換えられたりしていたろう。本作が評価されたのは、そういった世代の共感を得たからではないかと感じた。
 それに、反戦的な意識を持ちながらも、何らそれを表現し得ぬまま、流されていった作中人物は、切実なリアルさを喚起する。例えば、こんな一節がある。

 私は自分に、死ね、と言い続けていた。私は自分の将来に絶望していた。聖戦だの、八紘一宇だの、現人神だのと言い、軍人や軍人に追従する者が国民に生き方を強いる国で、生きていたいとは思わぬ。と言って、自殺ができないので、弾よ当たれ、と思っていた。

 こうした感覚を持ちながら戦場で生きながらえることは、地獄だったであろう。
 しかし過去を想起する現在の語り手は、記憶も曖昧で、様々な人に会い、記憶を呼び戻しつつ、過去を辿る。その世代の人々にとって、不器用に総括しようとする、その有様は共感を呼んだのだと思う。
 そして、著者は小説という入れ物を活用して、タブーにも切り込んでいく。これはドキュメントや、部隊史としては書き残せない部分なのだ。この場合、小説は最後の砦になるのだなと思う。まだ元兵士、元将校らが多数存命した時代だけに。

 また、もう一つ本書の特長と言えるのは、同じ戦中派作家への視点である。戦争への思い、総括の仕方はそれぞれ違う。またその違いを知ることで、自問自答は切実さを増して、読む者に訴える。
 戦友らを訪ねる旅も、なんだか切ない。語り合うべきことが見つからず、世間話だけをして、余所余所しく別れたりする。そこには、戦場を生き残った者にしかない、謂うに言われぬ何かがある。著者は、その何かを書き表そうとして呻吟している。



読書感想文681

2019-06-30 07:23:00 | 戦争文学
『三等海佐物語』(渡邉直 光人社NF文庫)

 以前から、光人社NF文庫のコーナーで気になって幾度か手にしては棚に戻していた。
 この文庫シリーズ、当たり外れがある上、250ページくらいのもので¥800と割高で、つい躊躇してしまうのだ。
 しかし数あるNF文庫の中、自衛隊を題材にしたものはとても少なく、これは読まねばと思っていた。帯には「万年三佐でもいいではないか」とあって、冷戦時代のスポットの当たらない任務を実直にこなしてきた、平均的な幹部自衛官像が描かれているのかと期待して手にした。
 目次を見ると、
『悪夢』以下、八つの項目がある。私は当然、これを表題作の八つのエピソードと思い込んで読み始めた。
『悪夢』は定年退官して相当の年数を経た老人による話。隣国と交戦状態に至り云々という未来戦記だが、「なんだ、夢か」と、ありがちな終わり方。
 で、二項目目『玄界灘の落日』に移る。若い2等海尉が水雷士として四苦八苦しながら任務に邁進するのだが、『悪夢』との連関が掴めず戸惑った。何か関係していて、後で繋がってくるのかなと注意深く読むのだが、どうもそれを匂わせる伏線もない。
 次が表題作なのだが、これまた前2作とは関連せず、独立の短編という様相を呈している。ここでようやく、なんだ、これは短編小説集だったんだと確信した。表紙にも帯にもそういう注釈がなく、これは不親切だなと思ってしまった。
と、短編として細かく読むと、これは海上自衛隊、就中、艦艇勤務という特異な世界を描いていながら、小説としては普遍的なテーマを扱ったものだなと感じた。
 実弾が飛ぶわけでもない。誰も戦死しない。だから、いわゆる戦争文学、戦記の類に比べれば、胸に迫るもの、読む者が死に向き合うような緊張はない。表題作では昇任するかどうかといった極めて日常的な悩みが描かれるし、『駆潜艇物語』では艇長としての操舵技術などに焦点が当てられる。任務も対潜戦ではなく、技術試験の手伝いであり、平時が延々と続く自衛隊の日常が描かれ、部下や上司との人間関係も、テーマの一つである。
『若狭湾の夕凪』は、部下の視点から艦長を描く。中央の幕僚監部から赴任してきた“潮気のない”エリート艦長に対する不信感と、それが解けていく過程が描かれ、極めてサラリーマン的な小説だが、この著者、なかなか器用だなと感心した。“潮気のない”と見られていたのは、おそらく著者本人である(経歴を見ると、かなりのエリート)。それを他者の目で描いてみせる。きっと、表題作も、出世しない同期などをモデルにしたのだろう。
『波六うねり七』も、艦長としての非日常を描きながらも、テーマは部下(副長とベテラン機関長)との人間関係であり、極めて日常的である。こちらも中央から赴任の艦長が、部下から認められるまでの航海の日々が描かれる。弾が飛んだり人が死んだりはしないが、訓練中の緊張感などがクローズアップされ、これはこれで新鮮だった。戦争文学などでは、テーマが大きくて、こんな日常の訓練におけるちょっとした危険など描かれず素通りされるのだ。
『奄美の南風』では、副長視点で艦長を批判的に描く。いろいろとアングルを変えて艦における人間関係を垣間見せてくれて飽きないのはさすがである。
 最後の『瀬戸の若鶏』は、亡くなった元上司の位牌を前に、その上司の下で働いた日々を回想する筋。駆潜艇という舞台は、これまた非日常的だが、上司の薫陶を受けて成長する若い幹部自衛官の視点は、普遍的な物語となっている。
 と、特異性を素材にしつつも、抽出した味わいは万人受けするものとなっている。読み終えて、情景描写が上手くなかったなという印象があったが、パラパラと読み返してみると、情景描写は僅かしかなく、だいたいが状況や登場人物の行動を描き、適宜、その中に会話や独り言が挿入される文体だ。非日常な素材だけに、説明が長くなりそうだが、それが適切な長さに抑えられており、著者の筆力を再認識した。
 なお、本作は元自衛官が、その体験等をベースに描いた小説であり、戦争をしていない自衛隊が扱われている以上、その題材は訓練や平時の任務であって、厳密には『戦争文学』ではない。しかし、自衛隊は国際法上、明らかに軍隊であり海上自衛隊が“Japan Navy”と称されているからには、当ブログで分類するにあたって『戦争文学』の範疇に入れることとした。



読書感想文680

2019-06-23 17:16:00 | 戦争文学
『総員起シ』(吉村昭 文春文庫)

 吉村昭作品を読むのは、『戦艦武蔵』(このブログにも載っていないので、読んだのは相当若いころ)、『平家物語(現代語訳)』、『三陸海岸大津波』に続いておそらく4冊目だ。
 それぞれ印象は悪くないのに、たまにしか手が伸びないのは、文学というよりも、やや読み物側に寄った文体のためかもしらない。戦記文学を読むのは一種のライフワークのようになってきたが、読み物として消費したいわけではないのだ。あくまでも、私は戦争という条件の下で、人間がどうあるのか、どう描かれるのか、文学としてろ過されたものを読みたいのだと思う。
 とはいえ、本書を読んで、私は吉村昭作品を今後は度々手にしていくかもしれないと思った。文体は大衆小説というより純文学に近いくらい端正で、書く姿勢も丹念である。エンタメとして売り物として書いているのではない。新田次郎に近いスタンスだろうか。ある事件や歴史的事象を取材し、それをドラマとして後世に伝えたいという熱意、情熱、あるいは義務感、そういったものが静かに、しかし熱く伝わってくる。
 輸送船の沈没にまつわる身内殺しのタブーに切り込んだ『海の棺』
 知られざる樺太戦における看護婦の集団自決を取材した『手首の記憶』
 樺太からの引揚者を満載した輸送船が降伏後に潜水艦に撃沈された事件を追う『鳥の浜』
 沖縄戦の司令部に床屋として奉職した一軍属の視点で、戦いの暗部を垣間見せる『剃刀』
 戦後に引き上げられた潜水艦「伊33」にまつわるエピソードを様々な視点から濃密に描く表題作『総員起シ』
 いずれも胸に迫るものがあった。見過ごされてしまう多数の死を、執拗に描こうとした著者のこだわりに気づかされた。戦中派としての使命のようなものを抱いていたのだろうか。


読書感想文587

2017-02-05 14:50:00 | 戦争文学
『断作戦』(古山高麗雄 文春文庫)

 催事場の古本市でみつけた。この著者の作品は、昨年読んだ短編集以来の二冊目となる。
 戦記ものにはあれこれ手を出しているが、そろそろ、あるテーマを持って読んでいき、何らかの考察をしたいと考えている。まだ具体化はできていないが、ともかく日中の戦争に関するものと決めており、類するものは躊躇せず読むつもりだ。本作は三部作ということで、他に『龍陵会戦』、『フーコン戦記』がある。探してみようと思っている。特に私が関心を抱いているのが、勝ち戦を戦った場合の中国軍が文学作品において如何に描かれているかであり、本三部作はそれに該当しているものと思われる。
『断作戦』は雲南で米式装備に強化された国府軍と戦って玉砕した兵団を描く。語り手は落合一政と白石芳太郎で、それぞれの視点が順繰りしつつ、またそれぞれの現在と過去が入れ替わり立ち替わりになっていく。この四重奏の構成が案外読ませるのは、停滞しがちな回想記に現在進行中のエピソードを平行させ、動的な刺激を絶えず作品中に維持したからだろう。
 二人の回想はまとまりがなく、重複したり後ずさったり曖昧だったりして、戦記としては冴えないのだが、一方では戦後を生きてきた二人の生活も描かれ、戦記の冴えなさと相まって、極めて庶民的なのだ。
 奇をてらうこともなく、悲壮ぶりもせず、淡々と、戦後をまっとうに生きてきた人たちが過去を総括していこうとする様。ちょうど私の祖父の世代だけに、読みながら感慨深いものがあった。
 ただ、今風の問題意識を介して読むと、物足りなさは否めない。一政は戦後の一時期、酒浸りとなり自殺も考えたと回想しているが、それを突き詰めて総括はしようとしない。
 今やほとんどが他界した先の大戦における従軍経験者。数百万人が抱えたもの、その何割かはPTSD といった形で戦後を苦しんだはずだが、おそらく本人と世の中の無知ゆえに遡上に上がらずここまできてしまったのだ。医療の未発達は致し方ないとしても、文学さえ対応しきれなかった。それを改めて感じる読後感である。