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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文612

2017-09-10 14:40:00 | 大衆文学
『あん』(ドリアン助川 ポプラ文庫)

 私の在住する街が舞台の作品ということで、2年前、映画館に観に行った。印象が良かったので、レンタルDVDでも観た。その上での原作通読となった。
 以前から読もうと思っていたが、躊躇していた。映画の出来が良かったから、読めば違和感を抱くかもしれないという微かな不安がその原因だった。(従来のそれは、原作に比して映像化作品に感じる違和感だったが。)
 杞憂だった。映画は原作を損なうことなく表現していたのだとわかった。映画化で削られた部分が今回の読書で補完できたのも良かった。
 そうして安心して読みながらも、微かな疑問は感じた。活字を追いながら、脳内で再生される映像にはどうしても樹木希林演じる“徳江”や永瀬正敏の“千太郎”が映る。もはやこれは拭えない確固たるイメージになっていて、小説としての出来映えを客観的には見ることができないなと思ったのだ。
 俳優の魅力が強いゆえの、有り難いような、有り難くないような誤算だった。
 監督の力量にも気づかされた読書となった。リアルな社会問題も扱う題材、しかも邦画にありがちな感傷に流されそうな話の展開、これらをシビアさを失わないままに、静けさと優しさに満ちた物語に昇華させたのだ。
 読み終えた翌日、『どら春』のあった界隈を散策がてらジョギングした。久米川はなんとも、『あん』にしっくりくる街だなと再認識した。


読書感想文556

2016-07-09 10:19:00 | 大衆文学
『悪人』(吉田修一 朝日文庫)

 ドラマ化されたりして話題になった作品だが、それより某地方誌で作品論が過熱し、喧嘩別れみたいになった人までいて、それを外野で見ていた私は、いずれ読んでみようと思っていたのだった。
『悪人』はエンタメっぽい小説なのだが、その地方誌はガチの純文学集団であって、彼らが論戦を戦わすほどだから、なかなか読み応えある小説なのだろうと私は思っていた。
 話題になって売れた本の宿命か、百円コーナーでよく目にする。今回私が入手したのは更に安い上下巻セットの百円。早稲田通りの軒先宝探しで高橋和巳作品集と一緒に見つけた。
 どこか優れている小説、とは思えなかったが、眠いはずの通勤電車で、もの凄い集中力を引き出してくれたのは確かだ。
 要因ははっきりとわかる。
 確かな文体。元来からのエンタメ作家ではない。その骨格は厳しい文章修養を経て鍛え上げられたものだろう。読んでいてストレスがなかった。無駄がないのだ。
 事件を解明していくような構成。けっしてサスペンス的な作品ではないのだが、ひとつのことを多角的に読ませるには適した手法だ。また、読者を飽きさせず引っ張っていくのにも貢献している。ありがちな供述の挿入も目障りにならなかったのは、構成の良さもさることながら、前述した文体の綺麗さにもよるだろう。
 身近さ。作中人物たちが、おそらく私と同年代なのであろう。時代を、それに伴うツールや、雰囲気を共有している。職業も、土木作業員だったり紳士服の販売員や保険の外交員であり、身近だ。読んでいて、彼らを取り巻く空気感が手にとるように感じられた。
 お金も学歴も、これといって秀でた特技もなく、華々しい恋愛にも縁のない、ロストジェネレーションらにとっての青春が、ここに描かれていた。作品の善し悪し以前に、私はこのことに引き込まれて読んだのかもしれない。
 さて例の地方誌での論争は、祐一を“悪人”と断ずる爺さんと、それを批判する多数派とのやりとりだったと記憶している。爺さんは、金髪で、女遊びをする祐一を端から否定的に評価していた。私は『悪人』を読まずにその論争を見ていたので門外漢だったが、祐一がスカイラインを改造して車高を低くしていることを取り上げて、爺さんは“暴走族”と決めてかかっていた。噴飯ものだと私は思った。祐一がじゃなく、爺さんの偏見と無知が。
 私もかつて“走り屋”だったから、その決めつけの迷惑さは身に覚えがある。わかりもしないでレッテルを貼りやがって、と。・・・そもそも、そんなレッテル貼りをするような人間に、文学を論じられるわけがなかったのだと思う。
 これはジェネレーションギャップなのか。否々、あの爺さんの一方的な言い分を批判し、『悪人』を高く評価した他の幾人かも、確かに老人であった。
 ところで、中心人物のはずの祐一や光代の人物がいまいち見えてこなかったのは、作者の意図したことか。それぞれが、それぞれのイメージを投影させれば良い、ということか。映像化される際にも、原作としてそのほうが便利ではあるだろう。私にはやや物足りなかったが。
 いずれ著者のデビュー作や、芥川賞受賞作も読んでみるつもりである。
 
 




読書感想文511

2015-09-09 20:06:00 | 大衆文学
『わたしが・棄てた・女』(遠藤周作 角川文庫)

 遠藤周作の、(いわゆる純文学的な)代表的作品は若いときにあらかた読んだ。しかしその後、あまり手にしないのは、どこにでもたくさん並んでいて、いつでも読めると思うのと、あとは北杜夫と同様、作品によって落差があって、(こちらの勝手な)期待が裏切られる気がして、躊躇してしまう、という理由もありそうだ。
 本書を手にしたのは、妹が「面白かった」と言っていたから。読書に関するセンスは悪くないはずの彼女が言うのだからと興味を持った。
 すらすらとんとん、隙間時間を最大限利用してすぐに読んでしまった。中間小説というか、大衆文学的で読みやすいのだが、といって娯楽性を追求した作品でもなさそうだ。
 戦後まもなくの東京。ひもじい大学生の下宿暮らし。「ゼニコがほしいなあ。オナゴと遊びたいなあ。」という彼らの嘆息は、時代性のギャップを超えて私にも実感できる感覚だ。
 また、“私が棄てた女”との出会い、その不埒な経緯は、「誰だって・・・男なら、することだから。俺だけじゃないさ」と語り手が語るように、確かに私も否定はできず、つい感情移入させられたのだった。
 と、文学的敷居がだいぶ下がったところで、本作のテーマは確固として機能してくる。恥ずかしげもなく言えば、それは“愛”というもののことである。これを素直に読者が受け取れるように誘導するため、本作は大衆文学的雰囲気を纏って表現されたのかもしれぬ。
 ジャンル的には大衆文学に分類されかねない本書だが、一筋縄でいかない。なにしろ、素直に引き込まれた、面白かったのである。その多才には驚くばかりだ。



読書感想文503

2015-07-26 19:57:00 | 大衆文学
『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉 文春文庫)

 三連続で、同じ著者のものを読んだ。そうまで私に執着させた書き手といえば、他には桐山襲と高橋和巳くらいだ。
 しかし今回は、連続して読むのも考えものだなと感じた。せっかくの風味も味覚と嗅覚が麻痺しては・・・。食事同様、汁、飯、菜という具合にローテーションするのが利口な読み方なのだろう。ことに、車谷作品は、食い物でいうなら、まさに本作の語り手が串に刺し続けた臓物のようにエグい味わいだから。
 と、そのエグみが今回物足りなく感じたのを、作品由来なのか、続けて読んだせいなのか、公平に見定められなかったのである。

 文芸誌に一定期間連載した著者最初の本格的長編。プロとして、期待に応えようという自負は作品の作りから感じた。ドラマチックな展開、読者の関心を牽引する様々な仕掛け。『鹽壺の匙』以来の車谷節が、作品を“文学”にし、そして禍々しさを纏わせる。
 だが、インディーズ時代の何かがメジャーになって薄まってしまうというのは、ありがちなことで、それを今回の読書で感じてしまったのは否めない。大手の文芸誌に連載となれば、商業的な成否を意識せざるを得まい。そして、結果的にそのことによって加えられた読者へのサービスが、本作を直木賞受賞作にしたのかもしれない。
 と思い返せば、心中未遂の相手“アヤちゃん”の描写も、視覚的には浮き出るが、人物がいまいち見えなかった。その点では、やや娯楽小説らしき特性も備えた作品といえるかもしれない。コアな初期作品の直後に読んだためにそう感じたのだろうか。



読書感想文484

2015-02-28 16:36:00 | 大衆文学
『日本百名山』(深田久弥 新潮文庫)

「息子が百名山を全部登りたいって言い出してさあ」
 と、お子さんの自慢話に花を咲かせていた上司の口から出た“百名山”という言葉が、ふとひっかかった。
 全然知らないのである。毎年、遭難や雪崩や噴火のニュースは耳にするが、それがどこにあり、どういう山で、ということに従来興味を抱いていなかった。
 トレイルランニングを始めて、低山を走るようになったが、本格的な登山の山には目を向けるに至っていなかった。
 しかしトレイルランニングで山という世界を知って、世界観が広がっていき、ワクワクするものを感じ始めていた。まだ少数派だが、トレイルランニングの身軽さと、宿泊しつつの縦走を兼備したジャンルも開拓されてきて、たまに登山用品店でテントなんかを見ていた矢先だったのだ、“百名山”の話を聞いたのは。
 同時期、偶然に深田久弥作品を初めて手にし、著者について調べるうち『日本百名山』を知った。
 無知を恥じてというのもあるが、純粋に山のことをもっと知りたいと思って手にした。ガイドブックを手にする前に、選んだ人の原文を通読すべきだろうと思った。
 で、感想だが、私の身の回りに、山に登る人といえば、トレイルランナーや山菜採りくらいしかいなかったので、ホントの登山家の山への偏愛ぶりに当初は面食らった。ついていけねえやと思いつつ、東北や関東の知っている山だけは興味深く読んだが、日本アルプスあたりに集中する数十の山を読み通すのは、いささか飽きそうであった。
 ところが、著者の温度が伝わってきたのか、だんだんと面白くなっていった。『天声人語』みたいに、短く限定された分量の中で歯切れ良くまとめられていて、なかなか名文だなと思うものも少なくなかった。
 とりあえずは赤城山や雲取山に登ってみたいと思う。