『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編(下)』(村上春樹 新潮文庫)
上巻を読んでから、随分と間が開いてしまった。それだけ、すぐに読みたくなるような魅力に乏しかったかというと、そうではない。
さすが村上春樹作品だけあって、文体は洗練されていて、読むのにまったくストレスがない。上質なミネラルウォーターで淹れたお茶のように、すっと喉を通る。どんどん飲めてしまいそうだ。
だが、私はそういう文学を読むことに、優先的に時間を配分したいと思うほどの食欲は感じない、ということである。
人々の嗜好はだいぶ変化して、数十年前には清涼飲料水としてラインナップさえされていなかったお茶やミネラルウォーターが、いまは自販機の主力を占めている。
飲み物だけでなく、文学にもそういう傾向があるように思う。破滅的・退廃的あるいは重厚な私小説といった純文学よりも、軽いものが好まれる。毒や薬よりも、無害なもの、すっと読めるものが重宝がられる。村上春樹の、純文学風の、ファンタジーあるいは恋愛小説群は、その代表格かもしれない。
本作では、イデアと称する妖怪じみた人物“騎士団長”が登場する。また、サイドストーリーには様々な伏線が張り巡らされ、ナチス・ドイツにまで地下茎が繋がっていきそうな予感を与える。巨大な叙事詩を期待させるが、その大風呂敷に肩透かしを食らった経験があるので、今回は醒めた目で読んでいる。
また、若いころの作品を翻案しているふうにも思えて、どうも斜に構えて見てしまう。そういうバイアスは持たずに読みたいのだが、騎士団長の手抜きな描写が、どうしても“羊男”の二番煎じに感じてしまうのだ。
と、今回は期待せずに読み進めているので、第2部ではがっかりせずに読み通せるかもしれない。と妙な期待の仕方をしている。
無害なお茶は、食事の供として、ついでのように飲めればよい。わざわざ自分で時間を作って向き合うのであれば、癖のある、身体に悪そうな、刺激的なジュースや炭酸飲料が欲しい。

上巻を読んでから、随分と間が開いてしまった。それだけ、すぐに読みたくなるような魅力に乏しかったかというと、そうではない。
さすが村上春樹作品だけあって、文体は洗練されていて、読むのにまったくストレスがない。上質なミネラルウォーターで淹れたお茶のように、すっと喉を通る。どんどん飲めてしまいそうだ。
だが、私はそういう文学を読むことに、優先的に時間を配分したいと思うほどの食欲は感じない、ということである。
人々の嗜好はだいぶ変化して、数十年前には清涼飲料水としてラインナップさえされていなかったお茶やミネラルウォーターが、いまは自販機の主力を占めている。
飲み物だけでなく、文学にもそういう傾向があるように思う。破滅的・退廃的あるいは重厚な私小説といった純文学よりも、軽いものが好まれる。毒や薬よりも、無害なもの、すっと読めるものが重宝がられる。村上春樹の、純文学風の、ファンタジーあるいは恋愛小説群は、その代表格かもしれない。
本作では、イデアと称する妖怪じみた人物“騎士団長”が登場する。また、サイドストーリーには様々な伏線が張り巡らされ、ナチス・ドイツにまで地下茎が繋がっていきそうな予感を与える。巨大な叙事詩を期待させるが、その大風呂敷に肩透かしを食らった経験があるので、今回は醒めた目で読んでいる。
また、若いころの作品を翻案しているふうにも思えて、どうも斜に構えて見てしまう。そういうバイアスは持たずに読みたいのだが、騎士団長の手抜きな描写が、どうしても“羊男”の二番煎じに感じてしまうのだ。
と、今回は期待せずに読み進めているので、第2部ではがっかりせずに読み通せるかもしれない。と妙な期待の仕方をしている。
無害なお茶は、食事の供として、ついでのように飲めればよい。わざわざ自分で時間を作って向き合うのであれば、癖のある、身体に悪そうな、刺激的なジュースや炭酸飲料が欲しい。
