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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文782

2021-06-07 08:02:00 | 大衆文学
『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編(下)』(村上春樹 新潮文庫)

 上巻を読んでから、随分と間が開いてしまった。それだけ、すぐに読みたくなるような魅力に乏しかったかというと、そうではない。
 さすが村上春樹作品だけあって、文体は洗練されていて、読むのにまったくストレスがない。上質なミネラルウォーターで淹れたお茶のように、すっと喉を通る。どんどん飲めてしまいそうだ。
 だが、私はそういう文学を読むことに、優先的に時間を配分したいと思うほどの食欲は感じない、ということである。
 人々の嗜好はだいぶ変化して、数十年前には清涼飲料水としてラインナップさえされていなかったお茶やミネラルウォーターが、いまは自販機の主力を占めている。
 飲み物だけでなく、文学にもそういう傾向があるように思う。破滅的・退廃的あるいは重厚な私小説といった純文学よりも、軽いものが好まれる。毒や薬よりも、無害なもの、すっと読めるものが重宝がられる。村上春樹の、純文学風の、ファンタジーあるいは恋愛小説群は、その代表格かもしれない。
 本作では、イデアと称する妖怪じみた人物“騎士団長”が登場する。また、サイドストーリーには様々な伏線が張り巡らされ、ナチス・ドイツにまで地下茎が繋がっていきそうな予感を与える。巨大な叙事詩を期待させるが、その大風呂敷に肩透かしを食らった経験があるので、今回は醒めた目で読んでいる。
 また、若いころの作品を翻案しているふうにも思えて、どうも斜に構えて見てしまう。そういうバイアスは持たずに読みたいのだが、騎士団長の手抜きな描写が、どうしても“羊男”の二番煎じに感じてしまうのだ。
 と、今回は期待せずに読み進めているので、第2部ではがっかりせずに読み通せるかもしれない。と妙な期待の仕方をしている。
 無害なお茶は、食事の供として、ついでのように飲めればよい。わざわざ自分で時間を作って向き合うのであれば、癖のある、身体に悪そうな、刺激的なジュースや炭酸飲料が欲しい。


読書感想文753

2020-10-17 15:14:00 | 大衆文学
『岳物語』(椎名誠 集英社文庫)

 これほどメジャーな書き手なのに、これまで読んだ記憶がない。エンターテイメント系の小説やエッセイには、一部の例外を除いて手を伸ばさなかった。椎名誠はもちろんよく目にしてきたが、軽そうな題名から食欲をそそられず、私にとっては書店における一背景に過ぎなかった。
 今回手にしたのは、野田知佑作品つながりの枝道に入ってみたのが経緯だ。こうして自らの意図しなかった枝道が幾重にも拡がっていく。読書の味わい深さの一端である。
 ちなみに、この枝道を辿るとこうなる。
椎名誠→野田知佑→mont-bell会誌における社長と野田氏の対談→昭島アウトドアビレッジで買い物しmont-bell入会→トレイルランニングの延長でファストパッキング開始
 やはりキーワードはアウトドアだ。出会うべくして、という読書だったたのだろう。
 面白いし明るい話が多いが、エンターテイメントというわけではない。ここでは案外真摯に、著者が息子の成長に向き合い、自問自答する。深刻ぶらないだけで、実は深刻な瞬間瞬間が行間に隠れているのが良い。
 最初は違和感があったが、旅の描写で、背景を台無しにするような描きかたをすることがある。旅館の主人の気持ち悪い対応を、ことさら気持ち悪く書いたりだ。
 これは一種の薬味だったのかなと今はピンときている。親子連れの釣り旅。なんだか牧歌的に受け取られてしまいかねない。それを心理的に婉曲表現で回避していたのかなと。
 相当なテクニックである。他の作品にも、もちろん手を伸ばそうと思う。





読書感想文742

2020-07-12 18:41:00 | 大衆文学
『冬の喝采』(黒木亮 講談社文庫)

 所属しているランニングクラブの先輩にいただいた。
 長距離走を題材にした小説は他にもあるが、著者本人が選手だったものは珍しい。もちろんそのためでもあろうが、読んでいてリアルな説得力がある。これは実際にトレーニングし、怪我に苦しみ、陸上競技に情熱を費やした人でなければ書けない文章・文体だなとすぐに感じた。
 私も長距離走に打ち込む者の端くれとして、著者の書く世界観を皮膚感覚で味わうことができた。
 当初は、淡々とした事実経過や、練習日誌の丸写しに思える一節に、作品としての未熟さを見ていたが、気づくと私の走ることに対するモチベーションが上がっていた。
 小説としての善し悪しはともかく、走る人間を勇気づけ、情熱が燃え移るのは確かだ。特に、怪我に苦しみ続けた著者は、地味で苦しい陸上人生を描くことに終始せざるを得ず、箱根を走る場面は例外的に華やかな部分だ。
 仕事をしながら、怪我にも悩まされつつ、こつこつ走っている市民ランナーとして、励みになる物語だった。語り手は、走ることだけでなく、しっかりと学業もこなし、自主的に英語の学習も継続している。早稲田大学も一般入試で関門を突破、陸上同好会を経てからの入部だ。苦労人なのである。
 体重管理に苦しむ様子や、そのことから解放される日を待望している心境は、ひりひりするくらい切実だ。ランナーじゃない書き手が書いたものには見られない、ランナーならではの苦悩である。
 表現の仕方に首を傾げるところもあった(中心であるということを指して、“原爆の爆心地”と書いてみたり)が、瀬古氏や中村監督を描いたエピソードは興味深く、楽しめた。走ることへの情熱が潰えそうな昨今、それを支えてくれた一つの要因が本書だったのは確かだ。
 この本を私にくださったクラブの先輩の存在もまた、私の励みである。きっと、その方が薦めてくれた作品ということで、相乗効果を上げたのだろう。
 私も悔いなく走ろうと思う。


読書感想文671

2019-06-09 10:05:00 | 大衆文学
『孤高の人』(新田次郎 新潮文庫)

ゴールデンウィークで帰省中、母に勧められてもらってきた。新田次郎は好きであるし、山岳小説となれば、なおさら読書欲をそそった。ここ数年、トレイルランニングの延長線上でファストパッキング(スピードハイクよりも軽量な荷物で速く移動するジャンル)も始め、遅まきながら山に親しんできた。もともと文学好きな私にとって、山岳小説を読むというのは、必然的な帰結だったと思う。それと同時に、なぜもっと早く山の魅力に気付かなかったかなと半生を振り返っている。
 その微かな後悔は、本書を読んでますます募った。もちろん、遅咲きではあっても、山に出会えたことを幸運にも感じているのだが。
 加藤文太郎という実在の登山家、その人生を描く長編である。読んだことはないが、漫画化もされているらしい。それだけメジャーな作品なのに、書店で触手が延びなかったのは、私が山に関心を持っていなかったという証左だろうか。
 単独行や社会人登山家のはしりとして名を馳せた人物である。また、高等小学校卒という学歴ながら、造船所の学校に学び、独自の発明によって、通常は大卒でないと昇格できない技師にまで昇りつめた経歴。公私ともにエピソード豊富な人物である。気象庁に勤めながら小説家を両立していた新田次郎にとって、加藤文太郎は題材というよりも描かなくてはならないリスペクトの対象だったのだろう。
 そして、私にとっても、親近感以上のものを感じさせる作中人物だった。経歴や性格など、共通点がとても多いのだ。私が(ランニング→トレイルランニング→ファストパッキングという特異な経歴で山に入ったのは別として)山に親しむようになったのは、偶然ではなかったのかなと、我と我が身を振り返る読書体験となった。
 山岳小説と称されるものは他にもいろいろある。たまに読んでみようと思う。山に行きたい気持ちが刺激され、地図を見たり、想像を膨らませるきっかけとなる。私も単独行が多いが、ファストパッキングでは本を持参する。座右の書、枕頭の書ならぬ、ザックの書。良い本に出会えた。


読書感想文638

2018-05-05 16:28:00 | 大衆文学
『陸王』(池井戸潤 集英社)

 ドラマで話題になったらしいのは知っていたが、さして興味を持たずにいた。本書は職場の図書室で目にし、無料なら読んでみるかと借りてみた。
 エンタメ系の小説は久々で、疲れた頭には快適だった。話も飽きさせないよう、次々と難問が降りかかり、テレビドラマらしいスピード感が頁を繰る手を軽くさせた。
 仕事の合間などに気楽に読めた。こういう毒にも薬にもならない読書が、たまには息抜きに必要だよなと思った。
 内容的には、ランナー目線はほとんど無く、そこは物足りなさを覚えたが、狙いは“スポ根”ではなく、社会派的なドラマ映えするストーリーだったのだろう。
 フィクションでありモデルは存在しないというが、『アトランティス』はどうしても『アディダス』に思えたし、そこを辞めるカリスマシューフィッター村野は、三村氏をモデルにしているように思えた。
 そういうふうに思い込んでしまう読者は少なくないだろう。(『アディダス』としては、ちょっとご迷惑なことだろうけど。)
 まあ、零細企業が大手に挑む構図として、その大手の構成人員を、敵のように描くのは、物語を面白くする要件であり、『アトランティス』という引き立て役なくして物語は成り立たなかったろう。