10月28日 つづきです。
天気が良ければ展望台入り口に車を止めて散策しながら展望台へ行くのもいいかもしれません・・・私はこの上にある展望台の駐車場まで車で行きました。
駐車場に車を止めて遊歩道を歩いていくと・・だんだん景色が見えてきます
六角形の展望台です。(標高379.9m)
さてさてどんな景色が・・・トントンと階段を上がって・・
展望台に上がった途端、自然に声が出ました!
『うわぁ~~すご~い!!きれ~い!!』
誰もいない展望台の上で一人で大はしゃぎの私でした。
下の駐車場から見た景色もきれいでしたが・・ここは360度見渡せ・・
七尾の街、七尾湾、能登島、そして能登半島を見ることが出来ます。
お~~絶景!!
紅葉も綺麗だったなのかなぁ~また行ってみればよかったなぁ~。
ん~まだ間にあうかな??
まだ眺めていたかったのですが今度は七尾城跡の方へ行ってみることに・・・つづく
◆七尾城の概略
■七尾城は、JR七尾駅から南へ5km。石動山山系の北端に位置する標高300mの松尾山の尾根に築かれた山城。
山上には本丸・西の丸・二の丸・三の丸・長屋敷などの曲輪を配した。また、菊、松、竹、梅、亀、龍、虎と七つの郭名があったので、七尾城と称したという。城はいくつもの曲輪を並べた典型的な連郭式山城。
■1406年(応永13)室町時代、足利幕府の管領畠山満則が、能登ノ国守護大名に命じられ、入国し、1408年(応永15)から、30年の歳月をかけて築城したと伝えられている。以後、上杉謙信に滅ぼされるまで約150年間、能登の守護であった歴代畠山氏の居城であった。
■謙信の死後、能登ノ国は織田信長の支配下となり、その武将前田利家が七尾城に入ったが、山があまりにも高いため、1582年(天正10)、港に近い小丸山に新しく城を築いた(小丸山城)。七尾城は、前田利家が小丸山城を築いたとき、すでに廃城となっていた。建物は壊されたが、城の郭跡はそのままの状態で残された。現在も堀・石垣・土塁などが残る。
天気が良ければ展望台入り口に車を止めて散策しながら展望台へ行くのもいいかもしれません・・・私はこの上にある展望台の駐車場まで車で行きました。
駐車場に車を止めて遊歩道を歩いていくと・・だんだん景色が見えてきます
六角形の展望台です。(標高379.9m)
さてさてどんな景色が・・・トントンと階段を上がって・・
展望台に上がった途端、自然に声が出ました!
『うわぁ~~すご~い!!きれ~い!!』
誰もいない展望台の上で一人で大はしゃぎの私でした。
下の駐車場から見た景色もきれいでしたが・・ここは360度見渡せ・・
七尾の街、七尾湾、能登島、そして能登半島を見ることが出来ます。
お~~絶景!!
紅葉も綺麗だったなのかなぁ~また行ってみればよかったなぁ~。
ん~まだ間にあうかな??
まだ眺めていたかったのですが今度は七尾城跡の方へ行ってみることに・・・つづく
◆七尾城の概略
■七尾城は、JR七尾駅から南へ5km。石動山山系の北端に位置する標高300mの松尾山の尾根に築かれた山城。
山上には本丸・西の丸・二の丸・三の丸・長屋敷などの曲輪を配した。また、菊、松、竹、梅、亀、龍、虎と七つの郭名があったので、七尾城と称したという。城はいくつもの曲輪を並べた典型的な連郭式山城。
■1406年(応永13)室町時代、足利幕府の管領畠山満則が、能登ノ国守護大名に命じられ、入国し、1408年(応永15)から、30年の歳月をかけて築城したと伝えられている。以後、上杉謙信に滅ぼされるまで約150年間、能登の守護であった歴代畠山氏の居城であった。
■謙信の死後、能登ノ国は織田信長の支配下となり、その武将前田利家が七尾城に入ったが、山があまりにも高いため、1582年(天正10)、港に近い小丸山に新しく城を築いた(小丸山城)。七尾城は、前田利家が小丸山城を築いたとき、すでに廃城となっていた。建物は壊されたが、城の郭跡はそのままの状態で残された。現在も堀・石垣・土塁などが残る。