東京地形散歩
意外に起伏の多い東京の地形を撫で回します。
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大地の解体新書
関東の詳細な地形図(土地条件図)
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soubou_walkさんが日々渉猟された街角の風景
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カメラの腕を磨き、自転車で体を鍛え、
体重も落とす。
一石三鳥ライフを目指したい今日この頃なのです。
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神谷町周辺
◆
神谷町(西ノ久保)
東は愛宕山によって日比谷入江と隔てられ、西は城山、仙石山等の台地で
挟まれた窪地が西ノ久保(窪)、今の神谷町です。
何に対しての「西」なのかはよくわかりませんが。
西ノ久保には家康が江戸にやってくるまでは日比谷入り江・江戸湾を漁場とする
漁師の集落がありました。入り江が埋め立てられてその後六本木方面に
移され、龍土町(猟人・りょうど)となったのは
以前書いたとおり
。
◆Photos
1.城山
2.仙石山
3.我善坊谷
4.西ノ久保
5.愛宕山
6.狸穴
7.飯倉
8.東京タワー
9.もみじ谷
10.増上寺
11.三田小山・赤羽
12.丸山・金杉
◆Topics
1.猟師町だった神谷町(西ノ久保)
2.江戸時代の城山
3.雁金井
城山にはその名のとおり、中世の城館が建てられていました。
仙石山や愛宕山は江戸時代に仙石藩の屋敷や愛宕神社が置かれたことから
ついた地名です。
一方の飯倉は平安時代にまで遡る古い地名です。当時はもっと広く
この辺り一帯を指す地名でした。
北に行けば桜田、宝田、千代田、神田、南にいけば三田(御田)、と
中世の荘園にちなんだ「田」のつく地名が縦に並びます。
#愛宕山も愛宕神社が建てられる前は桜田山でした。
三田の高台の北端には飯倉神明宮が1000年前に祀られ、その後場所を
渋谷川を挟んで北側の芝大門に移し、芝大神宮となって
現在に至ります。芝大神宮は伊勢神宮の出先機関であり、この辺り
一帯は飯倉御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園だったのです。
古代・中世東海道が南北に通り、渋谷川と交差するこの一帯は
古くから重要な土地であったことが伺えます。
時代をさらに遡れば麻布十番にかけて渋谷川は入り江となっており、
天然の良港であったと考えられています。
その頃の入り江を挟むように丸山と三田には古墳がありました。
三田の方は「猫塚」の石碑が立つのみで偲ぶよすがもありませんが、
丸山の方には今でも東京有数の芝丸山古墳が残っています。
周辺にも数多くの小さな円墳が残っていたのですが
再開発によって消え去ってしまいました。
虎ノ門とか麻布台とか聞くと都心というイメージがあるのですが、
その実、起伏とエピソードに富んだ、おすすめ散策地帯でもあるのです。
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東京地形本の決定版!
◆
おすすめ
地べたで再発見! 「東京」の凸凹地図
技術評論社
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東京の地形というマイナージャンルに日の目を見せてくれたものの、
実用性という面では難ありだった「アースダイバー」から半年。
ついに東京地形本の決定版とも言うべき本が登場しました!
「ふだん見過ごしている『東京』の地形のフシギやギモンをあばく!」
「ビルをなくせば見えてくる東京の大自然」
というコピーがこの本の中身を端的に表現してくれていますね。
それは東京の地形好きが求めているものと同一のものなわけですが。
東京23区を中心に、新宿や渋谷のような馴染み深い場所で、
なおかつ地形的にも見るべきものがあるスポットを多数
取り上げ、その見所をわかりやすくまとめてありますので、
これ一冊あれば東京地形散歩にすぐ出かけることができます。
最初に地形用語集や地形ができる仕組みを配置して単に凸凹してるね、
で終わらせない、初心者にもやさしい作りになっているのもすばらしいです。
さりげなく入っているコラムもツボを押さえていて素敵。
水系と切り離せない氷川神社の分布のことについても触れられています。
おお!と思ったのが「地図が立体に見える3Dメガネ」(実際には地図じゃ
なくて航空写真ですが・・・)。東京の地形の凸凹が「手にとるように」
わかります。これは感動。六本木ヒルズの「都市の模型展」で見た
東京の模型で地形を忠実に再現しているのを見たとき以来の感動です。
何度も見入ってしまいました。まさに東京を撫でて愛でる感覚。
お値段もこれだけの中身が詰まっていて1,680円とお買い得プライス。
とにかくバランスよく過不足ない内容になっているので、東京の地形を
探索してみたいなぁと思う方はまずこの本からスタートするのがベストです。
手放しでお勧めできる本ですね。
これを超えるようなモノを求めるとすれば、
前に取り上げた
「ウォーキングナビ東京 山手・下町散歩」
の23区版とこの地形図を
組み合わせた本になるでしょうか。地形情報のレイヤーと歴史情報の
レイヤーと今の案内図を組み合わせれば最強、なんでしょうが
そういうのは売れないだろうな。
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水系で見る東京(2)武蔵野台地東縁
◆
水系で見る東京
東京の中心部は武蔵野台地の東縁に位置していて、
地形的には最も凹凸が複雑に入り組んだ地帯となっています。
普段はアスファルトとビルに覆われてしまっているので
あまりそのことが意識されることはないのですが
一皮めくれば景観に富んだ東京の地形が見えてきます。
ということで、中野~浅草橋間の地形図を作ってみました。
台地の上は緑色にしてありますが、もしも東京が首都ではなく
一地方都市として発展していたとしたらこの地図のように
台地と海との間に南北に細長く発展した港湾都市の様相を
呈していたかもしれません。関東の神戸、みたいな。
都市部の後背部には台地が迫り、台地を刻む河川沿いに耕作地帯が
広がりつつも新興住宅地として開発が急速に進展中、渋谷は谷あいの
集落で新宿は草木深い尾根筋、なんていう「あったかもしれない
今とは別の姿の東京」を想像するのも楽しいものです。
その世界では家康が江戸に来なかったか、少なくとも江戸に幕府を
開かなかったことになるので、「江戸」や「東京」といった地名ではなく、
律令時代からの「豊島郡」「荏原郡」の名か、そこから発展した
「豊島市」「荏原市」といった名前になっていることでしょう。
地形的にもこれほど多くの埋立地が造られることは無く、神田川の
駿河台開削もなく、日比谷入り江の埋め立ても無かったかもしれません。
そうなる可能性すら秘めた土地であった、という目で見ると、
家康がこの地に来た時の感覚を共有できるかもしれませんね。
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小石川界隈
◆
小石川
春日通を稜線とする台地と小石川植物園のある台地との間にはかつて谷端川、
または小石川/礫川(砂利の多いことから名付けられた)が流れていました。
川の流れはさらに下って水道橋のあたりで神田川と合流して大手町の
江戸湾奥にかけて大沼沢地帯を形成していました。
江戸時代の前、中世の頃の話です。
イメージしやすいように時計の針を何千年か巻き戻して、
10メートルくらい東京を水に沈めてみましょう(^^)。
この状態から時間をかけて徐々に陸化した谷筋が弥生時代に入って
水田として開発され始め、農村地帯として発達していく歴史が
連綿と江戸時代に至るまで続いていくわけです。
江戸時代から400年かけた開発の結果、アスファルトとビル群によって
地上を埋め尽くされた現在の東京があるのですが、
ここ小石川にある植物園は往時をしのぶことのできる地形が
生き残っている数少ないスポットの一つです。
また植物園内には湧水スポットがあり、そこから流れ出した水により
生み出されたいくつもの池が連なっています(庭園として整備されていますが)。
そのもっとも北にある水源地(⑯)には現在は植物園の北隣にある(⑳)
簸川(ひかわ)神社が祭られていました(幕府により移転させられて、
今はお稲荷さんが祭られている)。
小石川村の鎮守である簸川神社は元々氷川神社であり、氷川は出雲の簸川
(斐伊川)であることから明治に入って表記を改めたものです。
氷川神社は大宮台地周辺の埼玉県東部に特に集中して分布する地域性の
高い神社で、水源地に祀られることの多い、水田・利水と結びつきの深い
神社グループ(^^)です。その分布は古代関東の政治状況を繁栄しているとも
言われていますが、はっきりしたことはわかりません。
今は植物園の外に出されてしまった氷川(簸川)神社はその分布域の中でも
だいぶ南に位置するもののうちの一つです。
一方、仏教的には植物園の反対側、南の小石川台地に中世から続く
「光円寺(⑩)」「宗慶寺(⑬)」「善仁寺(⑪)」そして「伝通院(⑨)」が
あります。
鎌倉時代から続く古刹であり阿弥陀如来を祀る善仁寺と薬師如来を祀る
光円寺とは、二つの寺の間を通っていた中世の幹線道路である鎌倉街道を
挟んで聖なる対をなしていました。光円寺と宗慶寺もまた、
湧水(極楽水(⑫))(宗慶寺)と、大銀杏(写真)(光円寺)が対を
なしていたといいます。
この湧水と大銀杏のセットは麻布十番にある浄土真宗の大寺・善福寺にも
見ることができます。中世においては小石川は浄土真宗の地方拠点の
一つであったと言えるようです。
残念ながら今回見に行ったら極楽水は枯れ果てて(あんな建物建てたら
水脈も断ち切られるよなぁ・・・)、大銀杏の方は写真のように巨大な
幹こそ残ってはいるものの、生きているのは一部新しく生えてきた
部分だけの有様です。
伝通院は室町時代、宗慶寺の場所にあった小石川談所が元となっています。
小石川談所は東国における浄土宗の大寺、増上寺(当時は紀尾井町付近に所在)の
別院として存在していました。江戸時代に入って家康の母(伝通院)が
埋葬されますが、初代将軍の母の墓所としての威容を整えるために
場所を移し大伽藍を整備したのが今の伝通院です。
その後、談所の跡に残された寺に阿茶の局が葬られたことからその法名を
とって今の宗慶寺になりました。この宗慶寺、簸川神社の別当(管理役)を
務めており極楽水といい湧水と縁の深い存在といえます。
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小石川界隈(1)礫川公園
◆
小石川
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