東京地形散歩意外に起伏の多い東京の地形を撫で回します。
 
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城山は虎ノ門4丁目付近、
江戸見坂を上ったあたり一帯の高台周辺の里俗名。
「城」があった「山」だからという、
きわめて単純な理由でついた名前のようです。

かの太田道灌の設置した砦があったからという由来もあれば、
源平の争いで活躍した熊谷次郎直美が
ここに城を構えたことによるという由来もあります。

高台を北に行けば霊南坂やアメリカ大使館のある、
台地の突端部に出ます。
南西には但馬出石藩仙石家の上屋敷があったことに
由来する「仙石山」、さらには「番神山」の地名も
みることができます。

これら高台一帯を総称して「溜池台」ともいったようです。
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城山周辺には「雁金井」という名の、江戸時代の名水がありました。

江戸の有名な湧泉と井戸

城山の西側とその麓一帯を上屋敷としていた松平右近将監家の
屋敷内にあった名水ということですね。屋敷内の東崖面から
湧き出していたのかもしれません。

明治時代の地図を見ると、屋敷跡地に建つ東京区裁判所裏に
池があるのを見ることができます。

「此泉三代将軍家称美アリシ佳水ナリ」とありますが、
松平右近将監家が成立したのは六代将軍家宣の時代ですから、
三代将軍家光の頃にはまだ存在しません。

どういういきさつで賞味することになったのかは謎です。

その前に「古ハ大井氏ノ邸ナリ」とある「大井氏」とは、鎌倉時代初期、
源頼朝挙兵の際に城南地区から参陣した豪族「品川氏」「大井氏」の
大井氏のことかと思われます。大井の地からは品川を飛び越え、
だいぶ北になりますが。

いずれにしろ、熊谷直美、大井氏、太田道灌と数多武将が名を
挙げられるほど城(砦)を構えるに相応しい高台だったということなのでしょう。

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城山の西側とその麓一帯は上野国館林(のち石見国浜田)
松平右近将監家(浜田侯)の上屋敷でした。

松平右近将監家は三代将軍家光の孫、六代将軍の弟である
松平清武を初代とする一流です。
代々右近将監(うこんしょうげん)の役職を継いでいたことからこう呼ばれます。
ちなみに右近将監とは天皇の護衛、御所の警備を役目とする近衛府の
重職ですが、江戸時代には実効的な意味はありません。

三代武元(たけちか)は田沼意次と同時代、老中の職にありました。

もともと館林にあった松平家が天保年間に石見浜田に移り、
浜田候と呼ばれるようになったのは、現在韓国ともめている
「竹島問題」が微妙に関係しています。

時に1836年、石見浜田の回船問屋・会津屋八右衛門(いまずやはちうえもん)が、
幕府が渡海禁止令を出していた竹島(現・鬱陵島)へ渡り、
密貿易をしていた事が知られ、死刑になります。

ちなみにこの事件発覚の糸口を掴んだのが北方探検で有名な間宮林蔵で、
薩摩藩の密貿易を内偵に行く途中に立ち寄った浜田にも、同じく密貿易の
疑いがあると報告したのが事件の始まりでした。

竹島事件

会津屋は浜田藩の御用商人であり、事件の真相は浜田藩家老の岡田頼母や
勘定方橋本三兵衛らが後ろ盾となって破綻状態の藩財政を立て直すために
密貿易に手を出した、というところのようです。

当時同じように密貿易で藩財政再建を図る藩はいくつもあったようで、
実際薩摩藩は明治維新に向けて十分な基礎体力を蓄えるに至ります。

事件の責任を負って当時老中を務めていた藩主・松平周防守康任は老中職解任、
永蟄居、藩は奥州棚倉へ国替えとなりました。

この後入れ替わりに館林から入国したのが松平右近将監家というわけです。

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ホテルオークラ別館や大倉集古館の建っている辺りが
城山の山頂付近になるだろうか。

江戸見坂に見られるような急峻な斜面が城山を取り囲む。

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ホテルオークラと別館の間を江戸見坂に向けて下る。

ようやっと坂道を登ってきた宅配便の車が
急な斜面で転がりそうになりながら道を曲がっていく。

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傾斜度20%の江戸見坂。
その昔、ここから江戸の町を一望できたことから坂の名はつけられた。

それじゃぁ、どの位「一望」できたか、という研究論文がある。

全国測量技術大会2005 学生フォーラム投稿論文リスト
 江戸市中からの眺望対象の視認可能性に関する研究-富士を対象として-
 安井 仁 氏(東京大学大学院)


”坂の街”サンフランシスコで見た光景にちょっと似ているような。


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下から見上げる江戸見坂。
とても自転車で上ろうという気は起きない。

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江戸見坂を下りて右にぐるりと回りこむと
城山の東崖面に出くわす。

崩落防止のためかシートに覆われた、坂上に続く道。
上るとどこに出るのだろうか。



崖面の傍には、六本木ヒルズや愛宕ガーデンヒルズといった
大規模開発ビル群からは想像もつかない質素な「森ビル」。

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城山を背に道路を挟んで反対側を望むと愛宕山。
谷底からの風景。
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虎ノ門パストラルのあたりで城山は大きく東に張り出している。
国道1号線もそれにあわせてやや曲がっている。

パストラルの向こうに見えるのは城山トラストタワー。
山頂に向けて続く緩やかな斜面。



パストラルに隣接して、もっとも城山が張り出している
切り通し状の崖の上に葺城稲荷が鎮座する。

城山の麓にあった、西ノ久保葺手町の「葺」と
城山の「城」とをあわせて「葺城」となったのだろうか。



稲荷であるのに狛犬。
しかも狛犬とは思えないほどの軟弱ぶり。

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神谷町駅を出てオークラ別館に向かう一帯は
城山と仙石山の間のくぼ地になっている。


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