平成うきよの覚え書き

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対米従属 ・・田中宇様の著作の紹介

2009年12月07日 | Weblog

株式日記と経済展望より転載させていただきます。
◆『日本が「対米従属」を脱する日』 田中宇:著

◇のぞき見◇

●世界の多極化は、日本にも多大な影響を与えている。最大のものは、09年9月に自民党から政権交代した民主党鳩山政権が、戦後60年以上も日本の国是であり続けた対米従属から離脱していく構えをとりだしたことだ。米国の覇権が崩壊し、世界が多極型に転換していくのだから、日本は対米従属を続けられなくなる。鳩山政権の転換は、当然の流れである。

●民主党が日本の世論に沿った戦略を打ち出すなら、対米従属の離脱方針にはならず、対米従属に維持に傾くはずだ。だが、日本の視点を離れ米国発の情報を見ると、むしろドル崩壊や多極化の方向性が感じられる。米国の中枢には、ドル崩壊と多極化を誘導している人々があり、彼らの戦略は成功しつつある。キッシンジャー元国務長官とかロックフェラー一族とか、そういった人々は隠れ多極主義者である。彼らが小沢一郎にドル崩壊が近いと伝え、小沢を中心とする民主党がその情報を事実だと考えて、対米従属からの離脱とアジア重視策を新政権の柱にしたのではないか。離脱させたのは、他ならぬ米国自身だと私は思っている。

●対米従属という日本の国家戦略が形成されたのは、朝鮮戦争後である。1953年の朝鮮戦争停戦後、55年に保守合同で、米国の冷戦体制への協力を党是とした自由民主党が結成された。経済的には、日本企業が米国から技術を供与されて工業製品を製造し、その輸出先として米国市場が用意されるという経済的な対米従属構造が作られた。財界も対米従属を歓迎した。日本の官僚機構は、これらの日本の対米従属戦略を運営する事務方として機能した。

 この政財官の対米従属構造が壊れかけたのが70年代で、多極主義のニクソン政権が中国との関係改善を模索し、日本では自民党の田中角栄首相がニクソンの意を受けて日中友好に乗り出した。その後の米政界は、多極派と冷戦派(米英中心主義)との暗闘となり、外務省など日本の官僚機構は、日本の対米従属戦略を維持するため米国の冷戦派の片棒を担ぎ、冷戦派が用意したロッキード事件を拡大し、田中角栄を政治的に殺した。

 田中角栄の追放後、自民党は対米従属の冷戦党に戻ったが、外務省など官僚機構は「対米従属をやめようと思うと、角さんみたいに米国に潰されますよ」と、自民党の政治家を恫喝できるようになった。官僚機構は、日本に対米従属のかたちをとらせている限り、自民党を恫喝して日本を支配し続けられるようになり、外務省などは対米従属を続けることが最重要課題(省益)となった。

●2009年9月25日のG20が開かれた。最終日に、ホワイトハウスとG20が、「G8の代わりは、これからはG20なんだ」という声明を出した。僕はそれを見て、「え!ついに来たか」と思った。1週間ぐらい経って、ドルが崩壊感を強めて、金が1オンス1000ドルを超えた。それで気づいた。「そうか、時代は変わったんだ」と。
 転載以上

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