仏道をならうというのは、自己をならうなり。自己をならうというは、 自己を忘るるなり。
自己を忘るるというは万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり。
ただわが身をも心をも、放ち忘れて仏の家に投げいれて、仏の方より行なわれて、
これに随いもてゆく時、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。
仏道をならうというのは、自己をならうなり。自己をならうというは、 自己を忘るるなり。
自己を忘るるというは万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり。
ただわが身をも心をも、放ち忘れて仏の家に投げいれて、仏の方より行なわれて、
これに随いもてゆく時、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。