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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

カエサルとパルティア その①

2008-10-16 22:18:58 | 歴史諸随想
 歴史にイフは禁句が大原則だが、実は学者を含め歴史好きくらい、イフ的空想で歴史を楽しむ者はない。もし、あの時どうだったなら…と空想を巡らすのこそ、歴史に親しむ者の娯楽なのだ。暫らく前から私が空想して楽しんでいるのは、「もし、カエサルの暗殺がもっと後なら、果たしてパルティア遠征はどうなったのか」というもの。カエサルVSパルティアの想像に浸っている。

 この空想のきっかけになったのは、『Storia-異人列伝』さんのコメントにあった「ペルシャ(現イラン)に分け入って」。管理人さんは西欧と中東の関係をユーモア交じりに鋭く解説されていた。
-だいたいにして、古来よりペルシャに分け入ってうまくいったのは、かのアレキサンダー大王ぐらいなもの。クラッススは不名誉な戦死、カエサルも寸前で殺されてしまったし、アントニウスときたらハチャメチャ、あのあたりに入り込んで治めきれば、「プルタルコス英雄伝」入りの土地柄なのだ…

 プルタルコスはカエサルが終身独裁官に就任して以降、王位への野心を度々露にしたと伝えている。ローマの予言書には「王を戴かない限り、ローマ人はパルティアは征服できない」と記載されていたらしく、カエサルもアレキサンダーに倣い、世界制覇を夢見たのだろうか。征服者として歴史に名を残すことくらい、武将の誉れとなることはない。これまでのカエサルの軍功からして、パルティアを打ち負かすのはさして困難とは思えない。
 だが、若き征服者だったアレキサンダーと違いカエサルは既に50代になっている。軍事的にパルティアを下しても、統治となればガリアとパルティアは全く事情が異なる。アレキサンダーが滅ぼしたアケメネス朝ペルシアは末期状態にあったが、パルティアはまだ中期であり、紀元後226年まで存続している。まだ余力は十分あっただろう。

 カエサルがパルティア遠征を決意した動機のひとつに、実はクレオパトラによる煽動もあったのではないかと私は推測している。アケメネス朝時代エジプトはペルシアの支配下にあり、パルティアはアケメネス朝とは全く血縁関係もない遊牧民のパルニ族の長アルサケス1世が建国したにせよ、かつては自国領だったとの認識はあったはず。パルティアもまた豊かだが軍事力に劣るエジプトを狙っていた。エジプト女王でも血筋はギリシア系のクレオパトラにすれば、“蛮族”ペルシア人の軍門に下るのは誇りが許さなかっただろう。ローマ軍を使い、パルティアを屈服させたかったに違いない。

 カエサルがパルティア遠征に赴くとすれば、クラッススが戦死した前回のカルラエの戦い(BC53年)の轍は絶対踏まぬように心掛けたはずだ。念入りに兵站と兵員に気を配り、沙漠での戦いに備えただろう。対するパルティアを指揮するのはパルティア王オロデス2世(在位BC57-BC38)となるはず。カルラエの戦いでの名将スレナスは既に亡き者であり、この戦いの翌年、戦功を警戒した主君オロデス2世により粛正されている。ライバルを始末したのは結構でも、武将としての器量でオロデス2世は及ばず、軍事面で混乱を招いている。

 ローマ軍重装歩兵を中心とした軍団に対し、パルティアは遊牧民が建てた国らしく軽装騎兵が軍隊の中心だった。「パルティアンショット」と呼ばれる戦法は、逃げながら馬上から振り返りざまに矢を放つことを指し、パルティア騎兵の得意技である。次の王朝サーサーン朝も初期はまだ軽装騎兵中心であり、中世欧州の騎士よろしく重装騎兵に変わるのはもっと後である。
 カエサルならどのように“パルティアンショット”に対処したのだろう。私は軍事には全くの素人であり、重装歩兵軍団と軽装騎兵軍隊との戦いは予測も出来ない。戦上手のカエサルなので、以前の戦法を改めて攻めたのだろうか。

 パルティアを指揮するのがスレナスなら、カエサルもかなり苦戦を強いられたと思う。しかし、オロデス2世なら勝てただろう。ただ、勝利してもカエサルはパルティアを滅亡させられただろうか。ローマはパルティアの首都クテシフォン(現イラク)を幾度も陥落させても、息の根を止められなかった。重要地にローマ軍を配備しても、残存勢力はまだ健在。アケメネス朝と違いパルティアは地方分権が強かった。
 女好きで有名なカエサルのこと、美人が多いことで知られるペルシアの女と関係を持つことは想像できる。憎いパルティアを征服したのはよいが、ペルシア女との艶聞を知ったクレオパトラが嫉妬している様子が浮かんでしまった。
その②に続く

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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もし...いいですねえ (のり坊)
2008-10-17 21:47:30
おばんです。
これは、これは、ボクの綴じ込み付録(戯れコメント)を、なんとmugiさんの本文で取り上げていただき光栄です。
もとより当方、浅学菲才、歴史・物語・ストーリアは楽しむだけ...「主義主張持たず気楽に拍手する)」の身。

ま、あまり考え込まなくても、「もし...」は面白いココロミですね。さて、mugiカエサルは、いったいどうなるのか?

歴史上の誰だって、これでよかれと最善の選択の筈、でやってきたことの積み重ねが、この有様なんですからなあ(人間そう進歩してないよーな)...
会田雄二さんの言葉の入った記事をトラバさせてくださいね。(むすび)
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こちらこそ (mugi)
2008-10-18 21:09:11
>おばんです、のり坊さん。

このエントリーは、のり坊さんのコメントがきっかけで発想を得ました。ネタを与えて頂いて、こちらこそ感謝です。
さらに浅学菲才な私自身は、「もし、カエサルがペルシャに分け入ったなら…」の空想(妄想)モード爆発に至りました。

塩野さんはパルティアに辛口ですが、主君に粛正されたパルティアのスレナス、それにしても惜しい。逸材こそ消されやすいのが、君主体制の致命的欠点。それでも、カエサルとスレナスの対決は脳内妄想刺激度が高すぎ。

カエサルはパルティア戦に勝利しても、あの広大な領土、統治は困難だったかも。結果論ですが、彼の暗殺はパルティア、ローマ共にプラスに働きました。
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