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羊としての一生より獅子の一日 その①

2007-09-16 20:28:08 | 読書/インド史
 カースト制で名高いインドも、乱世となれば日本の戦国時代のように名もない家に生まれた者が上位者を追いやり、運と才能で王侯に納まることもあった。18世紀の南インドのマイソール王国の例は興味深い。

 南インドに誕生したマイソール王国はムガル帝国領の一部だったといえ、事実上は独立を保っており、18世紀初頭は首席大臣と宰相が実権を握り、国王は傀儡同然だった。この地に1722年(1721年説もあり)生まれたハイダル・アリーの始めの経歴はマイソール軍の下級将校だった。教育こそ受けてなかったが、彼は鋭敏な知性と溢れんばかりのエネルギー、大胆さ、強靭な意志を持った人物であった。また優れた指揮官であり、外交手段にも長けていた。

 ムガル帝国がすっかり弱体化した18世紀のインドは全土で群雄割拠する時代であり、マイソール王国も北隣のハイダラバード王国その他の藩主国との戦を繰り返していた。勢力争いをしていたのはラージャ(王侯)のみならず、英仏もまたインドで各勢力と同盟または対立し、覇権を競う。
 そんな時代の中、ハイダル・アリーはマイソール軍の中で次第に頭角を現していく。彼は西欧式の軍事訓練の利点を認め、自らの指揮下にある軍団に導入する。また1755年、フランス人専門家の協力で近代的な兵器工場を創設した。1761年、ついにアリーは首席大臣をその地位から追い落とし、マイソール王国における権力を確立する。

 アリーは王国において、反抗的な地方豪族たちを完全に押さえ込み、領土を征服、拡張する。文盲だったが、卓越した統治者であり、マイソールにムガル流の統治、地租制度を導入した。弱体で分裂状態にあったマイソール王国を手中にするや、当王国をインドでも有数の大国に成長させた。名前どおり彼はムリスムだが、宗教には寛容な政策を取り、彼の最初の宰相や他の多くの官吏はヒンドゥーだった。
 権力を掌握してもアリーは敵対勢力との戦闘は続き、数度に亘りイギリス軍を破ったこともある。彼は第二次マイソール戦争最中の1782年に没し、息子のティプー・スルターンが後を継ぐ。

 ティプー・スルターンは複雑な性格の持ち主だが、改革心旺盛でもあった。時代の変化に対応し、新暦、新しい貨幣システム、度量衡の刷新を行う。彼の個人蔵書は宗教、歴史、軍事科学、医学、数学など多岐に亘っていた。フランス革命にも多大の関心を示し、マイソールの都シュリーランガパトナム(現バンガロール)に「自由の樹」を植えたり、ジャコバン・クラブのメンバーになったほど。
 彼は臣下にジャーギール(給与地)を与える慣行を廃止、国家の歳入を増やそうと努めた。また、地方豪族の世襲的な領地を減らし、国家の耕作民との間の中間介在者を排除しようとする。だが、彼の徴収した地租は同時代の他の支配者と大差なく高額で、粗生産の三分の一に及んだ。それでも彼は不法な付加税の徴収に歯止めをかけ、免税も積極的だった。

 彼の歩兵は小銃と銃剣で装備されていた。それらは西欧式とはいえ、マイソールで製造されたものだった。晩年彼は近代的な海軍の創設にも意欲を示し、そのため造船所を2つ造り、ティプー自ら船の設計をした。当時インドの軍隊は無規律が横行していたが、彼の軍隊は統率が取れ、最後まで彼に忠実だった。彼の組織力が示される一例である。
 私生活では当時流行の華美を競うこともなく、贅沢を避けた。彼は無謀ともいえるほど勇敢であり、指揮官としては卓越していた。「として一生を送るよりもライオンとして一日を生きるほうがまし」とは、彼の好んだ言葉だったが、まさに彼の最後はこの信条に殉じる。ただ、彼は行動において性急に過ぎ、性格的にも不安定なところがあった。

 ティプーは統治者として18世紀のインドのどの支配者にもまして、イギリスが持つ脅威を理解していた。彼らを自らの独立に対する主な脅威と見なし、イギリスをインドから駆逐する野望を抱いた。これに対しイギリスも、ティプーをインドにおける最も危険な敵と認定、東インド会社指導部は徹底して彼を敵視した。完璧な南インド支配をもくろむ会社の前に立ちふさがる障害だったのだ。
その②に続く
■参考:「近代インドの歴史」ビパン・チャンドラ著、山下出版社

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
途中に口を挟むべきではないですね。 (Mars)
2007-09-17 19:29:19
こんばんは、mugiさん。

支那の諺には「鶏口牛後」というものがありますが、「言うは易く行なうは難し」ですね。私のように無能で事大な者では、実践できませんが。獅子の心を真に理解できるのは獅子のみで、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん」ですね。

お話の途中なので、結末は分かりませんが、ティプーはラクシュミー・バーイー同様、インドでは偉大なる英雄だそうですね。史家でない私であれば、事実もそうですが、英雄譚にも惹かれます。

インドにも庶民の生活があり、英雄もある。人間の歴史は時に愚かでもありますが、面白いものですね。
(事実を、重箱の隅をつつくように精査する、史家でない、一般トーシローでは、そうでしょうね。)
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英雄 (mugi)
2007-09-17 21:56:25
>こんばんは、Marsさん。

インドに関心がない限り、マイナーな英雄ティプーを取り上げた私も全くのヘタレで、だからこそ彼のような人物に惹かれるのでしょうね。凡人なら獅子の1日より羊の一生。

インドの殆どの藩主が英国に屈する中で、勇敢に戦った人物がティプーとラクシュミー・バーイーくらいとは残念。近代的なナショナリズムがまだ無かったインドで共闘できなかったのは無理もありませんが、逆に英国はナショナリズムの権化だった。

日印共に庶民や英雄、敵に尾を振る裏切者にも不足しません。そこが人間の多様性でもあります。
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