今日12月8日は太平洋戦争開戦からちょうど80年目になる。一昔前までは戦争特集と言えば8月放送が多かったが、昨今は夏以外でも特集を組むようになっている。
今年は12月になって戦争特集を放送していたので、何故この時期に?と思ったが、太平洋戦争開戦80年目だったのだ。
但し私はその類の特集番組は暫く前から見ていない。見なくとも報道の主旨は予想がつくし、かつては軍部の暴走のために戦争になったと言われていたが、近頃は一般国民も開戦を熱狂的に支持したという論調が増えてきた。
だが、開戦気運を煽りに煽ったメディアへの検証は全くなされていない。例えば戦時中の最も有名なスローガン「欲しがりません勝つまでは」は、当時、作者は東京の十歳の少女が作ったと喧伝されたが、戦後、この少女の父親が作って娘の名前で応募したものと判明する。
「「欲しがりません勝つまでは」11歳少女の最も有名な標語の真実」という記事にはその詳細が載っているが、未だに一般には知られていないだろう。他には厳しく身内には大甘のメディアの体質は、戦前戦後ともに変わらないようだ。
戦後メディアのスローガンは、「戦争は悪」と並び「戦争がないと豊かになる」。モデルケースとして盛んに挙げられるのか沖縄。日本に組み込まれるまで沖縄は一貫して平和な島で貿易立国で富を築いていたという神話である。名はあえて伏せるが、あるカトリックの老ブロガーも沖縄の例を挙げ、戦争がないとこんなに豊かになるです等の記事を書いていた。
確かに交易は莫大な富を生む。海運国家ヴェネツィア共和国が典型だが、この国は戦争は辞さない国でもあり、主役となった第4回十字軍での悪行は有名。『逆説の日本史9』(井沢元彦 著、小学館)第一章 琉球王国の興亡編に見る琉球王国時代の沖縄の交易の実態は興味深い。
大交易時代の沖縄は東アジア最大の軍事国家・明との一種「同盟関係」にあり、琉球から民への朝貢品は、沖縄では子供でも知っている馬と硫黄だった。建国当時の明はまだ内戦状態で、モンゴル人の勢力をさらに北へ駆逐しなければならないという軍事的な課題を抱えていた。その時、琉球に対し火薬の原料になる硫黄を求めに来ていた。現在の沖縄県の一番北にある硫黄島島で産出していた硫黄を明が求め、琉球は
これを供給してことがある。
もう一つは馬。大型の馬ではなくロバのような小型の馬だが、琉球にはたくさん馬がいて、明はこの馬を大量に琉球に求める。中国は遠くモンゴル平原に軍隊を送っていたので、その戦場に食糧を含めた軍事物資を送る必要があった。琉球の馬はその運搬手段に使われたといわれる。
これを以って作者はこう述べる。
「つまり、琉球と明との友好関係は、明の軍事力を増強するため、琉球が「武器輸出」をするという関係で成立していたのである。こういう言い方は、沖縄の人々にとっては不快かもしれない。
しかし、ここは冷静に考えて頂きたい。例えば現代の某国が中国に対してプルトニウムと軍用ジープを主な輸出品としていたら、世界の国々はその国を「平和貿易国家」と呼ぶだろうか、という問題である」(59頁)
沖縄の歴史には関心がなかったので、遅ればせながら沖縄の交易時代の実態をこの本で初めて知った。もしかすると拙記事を見て、本土人の無関心さに怒る沖縄県民がいるかもしれない。しかし沖縄県民も、東北については殆ど知らないだろう。無知はお互い様だし、責められるいわれはない。
もちろん武器の原料となる物質を輸出して儲けたのは琉球に限ったことではないため、大交易時代の沖縄を非難するのは筋違いである。ただ、琉球が火薬の原料になる硫黄を輸出していたならば、元寇時に使われた「てつはう」も、琉球が供給した硫黄で作られていたのだろうか?また元軍が連れてきた馬も琉球の馬だったのか?
もし元寇時に琉球産の硫黄や馬が使われていたとすれば、琉球王国は間接的に元寇を支援していたと言えよう。元寇といえ、主力はモンゴル兵ではなく高麗軍だったが、軍需物質を有する琉球を元軍が無視するのは不自然に思える。
大交易時代の琉球交易は、軍需物質の輸出に支えられたのは否めず、これが「平和貿易国家」の実態だった。もちろん現代の様な「平和貿易国家」の概念は当時は何処にもなく、自国が戦場にならなければ、戦争があると豊かになる国々があった。「武器輸出」による戦争景気で国内は富み、平和を享受する「平和貿易国家」は何時の時代にも珍しくない。
その二に続く
◆関連記事:「大本営発表」
「なぜ日本は無謀な戦争をしてしまったのか」
馬は草食動物なので牧草のみ食べていると思い込んでいましたが、穀物を大量に食べていたことには本当に驚きます。江戸時代の日本の平和は環境によるところも大だったとは。
こちらの動画を見ていただけると。穀物と家畜の競合について解説してます。
19世紀の英国は羊と馬のために農耕地の2割分の使う必要があったそうです。
牧畜後進国ゆえ一般の日本人は、去勢と言われてもピンときませんよね。なぜ日本では去勢馬がいなかったのか不思議でしたが、戦国時代からの事情がありましたか。
さらにいくら体が大きいと言え、馬は穀物を人間の8倍も食べる家畜だった??馬と言えば人参のイメージがあり、野菜と草を食べているとばかり思っていました。
馬の世話と比べると牛は楽だったことも初めて知りました。やはり牛の方が性質が温和なのでしょうか?牛も結構穀物を食べそうに思えます。
日本馬は力は弱く耐久性も低いことは知っていましたが、気性が荒くて反抗的だったことは初めて知りました。こんな馬の騎兵でもよく日露戦争で使えましたね。しかもコサック相手に。
第一次世界大戦後カイザーは退位しましたが、やはり責任を問われましたか。カイザーの責任論はその後のナチスのために吹っ飛んだのかもしれません。関係者がいなくなりつつあるナチスも、責任論は薄れいくのやら。
江戸川乱歩が書いていた小説には驚きました。いかにフィクションにせよ、アメリカの大都市が粉微塵になる事を想像して喜ぶ人物が登場していたのですか。当時はそれだけアメリカには憎しみがあったのでしょうね。
リンク先のブログ記事には絶句しました。こんな番組が高視聴率だったのは今では考えられないでしょう。登場人物が自衛隊を指して、「ありゃ軍隊だろう?軍隊なんてものは戦争するためにあるんだろう?」と言っていますね。
もちろん自衛隊が軍隊なのは確かですが、旧日本軍と重ねており、戦争=侵略という平和論は短絡の極みでしょう。また、「戦争なんかして、得を取った人は一人もいない」もおバカというか……戦で得をする者もいるくらいのことも想像ができないようで。
アタマは未成年並にせよ、櫻井翔も未成年の若者ではない。自衛隊は人殺し集団という連中に限り、災害時には自衛頼みで救援が遅いと言うでしょう。
日本の軍馬は去勢されてなかったんで気性が
荒かったんです。西洋ではおとなしくて自分の手足の様に動く馬を理想としていたのですが、日本は戦国時代以来良馬というのは獰猛で主人と一緒に噛みついたり蹴り飛ばしたりして戦ってくれる馬でした。ニーズが全然違うのです。しかし、馬は大半は大砲や荷車を引くのがメインですからそんな馬がメインだったらそりゃあ大変です。そのへんが「馬の形をした猛獣」といわれることに。もっとも穀物を人間の8倍食べる馬を嫌って農耕用は牛中心でしたから馬を扱った人材自体が明治では不足していたというのもあります。ちなみに日本が江戸時代欧州の列強と遜色ない人口だったのは、穀物の消費の少ない益獣を飼育して人間への穀物割り当てが大きかったからという研究もあります。
ちなみに爺様の代は農耕は馬と牛併用でした。
我が家では2000年ぐらいまで2から3頭、食肉用の牛を飼っていたので牛の世話は多少はしたこともあるので分かります。あくまで実体験を伴いませんが話に聞いた馬の世話と比べると牛は楽だと思いますね。
ウィキで読んだ話だと思っていたのですが、今探しても見当たらなかった情報によると、あの辺りの時代の日本馬は気性が荒くて反抗的、力は弱くて耐久性は低レベル、と家畜としては最低の評価でした。よく日露戦争で騎兵が活躍できたものだと。
>米国もベトナム戦争の解釈は揺れているし
戦後一世紀ぐらい経ないと無理かもしれませんね。ウィキによると、第一次世界大戦勃発に関してはカイザーの責任がかなり言われていたものの、今はそこまで言われていないといいます。直接の当事者および子供がいなくならないと無理そうです。
収容所群島も凄まじいですが、日本の場合さすがに表向きにそんな発言は戦前でもしていないと思います。全然関係ありませんが、江戸川乱歩は戦時中国策小説を書いたことがあります。スパイと超速爆撃機の話なのですが、アメリカの大都市がその爆撃機で粉微塵になる事を登場人物が想像して喜ぶ辺り、やはり今の感覚だと違和感がありました。個人的にはあまり面白い話と思えませんでしたが、これは人それぞれの感想だと思います。
>しかし自衛隊に入隊しようとするかつての教え子を引き留めようとする話があったことには驚きます。
高校を卒業しようとするかつての教え子が自衛隊に入隊したいと言い出し、金八たちがかつてのクラスメートたちを集めて憲法九条を読み上げさせるのです。善意でやっているにせよ一種の吊し上げなのですが、脚本家は気づいていないので恐ろしい。紹介しているサイトが画面とセリフの切り貼りをやっていない限り、結構ひどい内容です。櫻井翔のインタビューに通じますね。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1943.html
災害の場合は自衛隊がいなければ身動きが取れません。本当に大変な職業です。
日本の馬って義和団の乱当時は、気性が荒かったのですか??馬と犬は違いますが、主人に忠実なイメージの強い日本犬のように馬も温和だと思っていました。
勝敗によって戦争を語る雰囲気はかなり変化しますよね。米国もベトナム戦争の解釈は揺れているし、正義好きの米国人さえあの戦争は正しかったと、表向きは言っていません。
河北新報にも戦争に関する講演を紹介した記事が載りますが、論調は皆同じで、とにかく戦争は悪、二度と戦争は起こしていけないというスローガンばかりでウンザリしているのは私だけではないと思います。
戦時中では敵兵を殺すのは義務だったし、称賛される行為だったのは書くまでもありません。『収容所群島』には「ドイツ娘ならば強姦した挙句、撃ち殺しても構わない。これは勲功みたいなものだ」といった一文があり、これが戦時なのかと言葉を失いました。
何故か昔から学園ドラマは苦手で、「金八先生」は1度も見たことはありません。しかし自衛隊に入隊しようとするかつての教え子を引き留めようとする話があったことには驚きます。
今でも自衛隊は人殺しという輩が一部いますが、少なくともネットの声の大半では自衛隊を称賛しています。私行き付けの図書館のヤングアダルトコーナーに、「自衛隊が日本にいてよかった」等のタイトルの本が置かれていました。これも時代の流れでしょう。
震災時の被災地における自衛隊の働きは感謝されているし、「平和団体」は何をやったのか?と言いたくなります。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw7887449
しかし、日本が勝利した日清・日露・第一次世界大戦は一切戦争として問題になりません。仮にこれから戦争が発生して日本が勝利した場合、また戦争を語る雰囲気は変化するのでしょうね。ネットで読んだ話ですが、戦争に関する講演(?)で「現地の酒がうまかった」と言った元兵士は次回から呼んで貰えなかったとか。実際、戦争を語る際に好まれる話はありますね。これが先の戦争が勝利で終わったなら、勇敢に戦った話ばかりが講演やマスコミの戦争話で語られていたことでしょう。実際戦前の話ですが、「シナ人の間者を斬殺」「生蕃征伐」が手柄話として語られていたと内田百けんの随筆にあります。確か百けんの知人や身内の話だったと思います。
あと、昔人気だった「金八先生」で、自衛隊に入隊しようとするかつての教え子を引き留めようとする話があるとネットで見ました。都市伝説だと思っていたら、本当にあったので驚きました。今なら職業差別で大炎上しています。このように言っては何ですが、「平和ボケ」と言われながらも日本人の意識も変化して来ているのです。
日本で戦争や軍事研究を否定する連中でも、トップは知性の放棄よりも確信犯だと見ています。科学者の中にも軍事に繋がる研究はしないときれいごとをいう輩がいますが、この類こそ中共の軍事開発に協力する。そもそも科学者は研究費を得られるならば、平気で軍事開発をする性質がありますから。
このように戦争は富を生み、科学や学問が発展する面もあります。アミさんがコメントされていますが、人類の歴史は戦争の歴史であり、戦争によって発達した科学や学問から作られた製品は身の回りにあふれており、私たちの豊かな生活は戦争あってのことなのは否めません。
私も江戸時代のような鎖国は望ましいと思うことがしばしばあります。しかし、それはないものねだりに外なりません。日本が強く鎖国を望んだとしても、今は国際社会の力学からも許されません。もう江戸時代の頃には戻れないのです。
硫黄のほうも琉球が全て供給していたとは思えませんが、それでも琉球は馬と硫黄の輸出で儲けたでしょう。
確かに井沢氏の逆説の日本史は信ぴょう性に疑問はありますが、読ませられる箇所が多いのも否定できません。
その二にも書きましたが、戦場にはならなかったにせよ二大国に侵略され、辛酸をなめた国の一つがイランです。参戦国トルコはここまで酷くありませんでしたが、トルコの場合、自国を戦場にされておらず、中東での戦いは前線(アラブ)で行われました。それがイランとの違いになったのでしょう。
トルコの場合、前線として組み込んだはずが、その地の住民が造反してしまう誤算が起きましたが、返って戦後の国民国家形成で大いにプラスになりました。
>>他国の戦争に武器を売るのは基本的には良いことなのです。
私もこの意見に同意します。しかし、ナイーブぶった日本の有識者には通じませんよね。
戦争によって発達した科学や学問から作られた製品は、サランラップや缶詰、インターネットをはじめ、身の回りにあふれています。
医療機器も軍事技術が応用されているものが多いのです。
言ってしまえば、私たちの豊かな生活は、戦争あってのことだといえるのですよね。
日本の近代化も、軍事力の強化と密接に連携しており、戦争がなかったら近代化もあり得なかったし、今の生活もなかったでしょう。
戦争や軍事技術を否定したら、今の生活をすべて放棄しなければならないのに、戦争否定、軍事研究否定で平和で豊かになれると妄信するのは、知性の放棄だと思います。
しかし翻って考えると戦争とは最高の無駄遣いだ。ウォー・シミュレーション・ゲームをやると分かるが資源と時間と労力をつぎ込んで作った武器が、戦闘によりたちまちスクラップと化してしまう。
相手を圧倒するため最新武器を開発しても戦闘に投入した時点から陳腐化が始まる。やってもやってもきりがない。
もはや戦争すると世界が破滅しかねない現状では、海外に富を求めるのはヤメにして江戸時代のような閉じた系の中で安定した社会を目指すことがサステイナブルなのではないだろうか。
ただ琉球の馬はモンゴル高原の戦には役に立たなかったと思いますしそれほどの数を供給できたとも思えません。明軍の軍馬は蒙古馬かその系統の馬だったはずで島育ちの馬では耐久力に問題があったと思うんですよ。硫黄も明軍の使用に耐え得るほど大量に供給できたか疑問ですし、井沢さんの逆説の日本史はどこまで信ぴょう性があるか疑問です。
井沢さん自身は好きなんですけどね。
まさにその通りですよね!戦争で豊かになったケースは多いし、戦争がなかった鎖国時代の日本は低成長状態でした。戦争がないと豊かになる論は単純・短絡脳でなければ、確信犯の反日種族でしょう。
その二にも書きましたが、一定の海軍力を保有していなければ琉球は八重山諸島への遠征は出来ませんよ。苛烈を極めた宮古や奄美への支配は本土人に案外知られておらず、自分たちの負の歴史を直視しない。
初心でカマトトぶる沖縄には本土人も責任もあります。沖縄は反日左翼の吹き溜まりだし、河北新報の常連投稿者には、わざわざ宮城県栗原市から沖縄にデモに行く者までいます。
「戦争」が悪なのではなくて、「戦場になることで富を生むための労働力や社会インフラが破壊される」のが悪なのです。
もちろん、戦争して負けた場合は自国が戦場になって破壊される可能性が非常に高し、勝った場合でも兵士の死傷という形で富を生むための労働力が棄損されるので、戦争は悪いことだと基本的に認識するのは間違いではありません。
しかし、侵略されて自国を戦場にされるのは最悪です。だから、簡単に自国(本土)を侵略されないように、戦争してまで勢力圏を拡大して前線を遠ざけるのは正しいのです。
例えば、内地>沖縄>台湾>東南アジア、内地>朝鮮>満州>中国、という風に前線を遠くにすれば、前線以外は戦場になりません。ロシアが東へ東へ領土を拡大したのも、アメリカが西へ西へ太平洋を越えて日本まで勢力圏を拡大したのも元は同じ理由です。
(厄介ではあるのです。前線として組み込んだはずが、その地の住民が本土意識を持ってしまい、さらに遠くに前線を求めてしまうので。)
また、他国が戦争で疲弊すれば、その分だけ自国が攻め込まれず戦場にならないので、他国の戦争に武器を売るのは基本的には良いことなのです。
>日本に組み込まれるまで沖縄は一貫して平和な島で貿易立国で富を築いていたという神話である
ぐすく(城)があんなにあった時点で、内部で相当戦ったわけですし、海洋上に国際法やそれを守る協力関係などない近代以前の世界で、海運をやったら
海賊から守るためには実力以外なく、一定の海軍力を保有していたはず。そして宮古や奄美を支配して
明治政府が正すまで過酷な重税を課して支配してい居た琉球が、初心でカマトトぶるのはいつもいつも
腹立しく思ってます。