トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

破戒僧たち

2013-02-10 20:40:44 | 歴史諸随想

 十数年近く前、家族と旅行で永平寺に行ったことがある。この曹洞宗の大本山はとりわけ修業が厳しいので知られ、口にするのは精進料理のみのはず。にも拘らず、雲水たちは誰もががっちりした体型であったのは驚いた。むしろ俗人よりも堂々たる体つきだったし、家人ともに私は、「あれで本当に精進料理ばかりなの?陰でこっそり生臭物を口にしているのでは?」と言い合った。
 もちろん不信仰な私による邪推だが、旅行から帰ってから間もなく、職場で福井県出身の人物を接待することになり、衝撃的な話を聞いた。この人物によれば、永平寺の僧の中には歓楽街で飲食している者もおり、地元では結構知られているというのだ。僧は常連になっていると、こともなげに話していた。

 NHKだったと思うが、ТVでも永平寺の特集があり、若い雲水たちの厳しい修行が映されていた。映像だけ見れば、さすが永平寺…と感心させられるが、飲み屋で飲食している僧の姿を映すはずもない。破壊僧への弁護は、「一部の僧に過ぎず、僧侶も人間だ」といったものだが、特権には義務がつきものなのだ。俗人よりも己を厳しく律しない僧が蔑まれるのは当たり前だろう。2009-11-12付けの記事にも書いたが、17世紀前半の仏教僧(宗派は不明)も興味深いので再び挙げる。
平戸オランダ商館5代商館長ナイエンローデ(在1623-32年)は面白い記録を残している。地元の日本人の葬儀に参列、呼ばれた仏教僧は式の後酒を飲み、ご馳走をたらふく食べて帰っていった。僧侶をもてなす日本人をナイエンローデは蔑み、「何と、哀れな人々か」と日記に書いていた。

 8世紀に日本渡航した鑑真の目的は戒律を伝えるためだった。どうも当時から日本人は戒律を軽視する傾向があったらしく、仏教を宗教ではなく学問として捉えていたようだ。ちなみに現代の中国で鑑真の渡航は、「東征」と教えられているという。
 明治の廃仏毀釈は悪名高いが、これに焼身自殺で抗議した僧の話は聞かない。政府の一方的命令で行われたのではなく、民衆側でも積極的に加わる者もいたのだ。wikiではその背景を次のように解説している。
―江戸時代には寺院がさまざまな特権を持っており、寺社奉行による寺請制度で寺院を通じた民衆管理が法制化され、汚職の温床となったことで、それに対する民衆の反発があったためとの説もある。

 敬虔な仏教国として知られるタイだが、近年は破戒僧が出てきたことをТVで報道していた。かつらを被り、歓楽街で生臭物を食べ、如何わしい女を侍らせる僧がいたのを知り、多くの国民が衝撃を受けたという。ここまで堕落はしないが、経済成長に伴い托鉢の食事にも恵まれ、生活習慣病を患う僧も出てきたそうだ。メタボ体型の僧侶がダイエットに励む様子は唖然とさせられた。

 一般に厳格な戒律を順守すると思われているイスラム圏だが、国によって温度差があり、やはりトルコには世俗的な聖職者が多いらしい。トルコ史研究家の故・大島直政氏は現地で、断食を守らないばかりか、高利貸し(イスラムでは利子は厳禁)までしている神学者を見たという。オスマン帝国時代からカリフも兼ねる皇帝の大半が大酒のみだったし、聖職者に関して辛辣な諺がある。
ウラマー様の説教通りに振る舞え。ただし、ウラマー様ご自身のようにはするな

 2009-10-19付けの記事にも書いたが、帝国末期の皇帝の御用神学者たちの売国行為は甚だしい。それだからこそ、トルコ革命において宗教勢力は弾圧されたのだ。
 大島氏はトルコ以外の中東世界の聖職者も問題も指摘している。破戒はしていないにせよ、聖職者たちが勝手に作り上げた数多くのタブーに縛られた民衆を見ており、逆に「神の法」を屁理屈でごまかす多くの偽善者たちとも出会ったそうだ。元来は聖職者階級の存在を否定することで成立したはずのイスラムなのに、時が経つにつれ、キリスト教世界と同じようになっていったのは歴史の皮肉だろう。破戒僧は困り者だが、教条的聖職者もまた信者を苦しめる。

◆関連記事:「ワクフ-イスラム式脱税

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
世界中どこにでもあること (巨大虎猫)
2013-02-10 22:04:42
クッキングホイルさんや桃栗さんのブログを荒らす梅毒クンも、神学生を自称しているくせに、風俗通いをしていますよね。
そう言えば、関西にいたとき、琴のソープの常連には、仏教の坊さんやカトリックの神父・修道士が多数いる、という噂をあちこちで聞きました。私自身、K学院大学神学部の神学生が、高級車を乗り回し、ブランド服に身を包み、女子大生をナンパしまくっている姿も、良く見ました。そして、貧困のどん底にいた国立大生の私を「信仰が薄いから、神の恵みがない」と嘲笑・罵倒したのでした。
第2次世界大戦中、ドイツ軍のトルキスタン義勇師団(第162歩兵師団)の従軍ムラーが、イタリア戦線投入時にモスク建立の資金を持ち逃げして、居酒屋を開業していた、・・・という記録もありました。(ほとんどの従軍ムラーは、模範的な兵士だったそうですが。)
返信する
Unknown (巨大虎猫)
2013-02-10 22:07:04
誤:琴のソープ → 正:雄琴のソープ

返信する
清廉潔白な宗教家はどこに (みみずく)
2013-02-11 14:53:39
いつもユニークな視点のブログを楽しませていただいています。
破戒僧の有り様もいろいろで興味深いです。
永平寺納豆を有難く頂戴している身には生臭さに現実味がありました。
トルコの場合は世俗主義をとっていたはずですから、堕落者もいておかしくないような気もしました。世俗主義なのにウラマーがいるとは知りませんでした。
そういえば今のトルコの政権はイスラム主義をとっているそうですね。
素人はこういう矛盾がよくわかりません。

返信する
RE:世界中どこにでもあること (mugi)
2013-02-12 00:04:58
>巨大虎猫さん、

 私も貴方やクッキングホイルさんのコメントで、キリスト教の破戒僧や風俗店通いをする神学生が多かったのを初めて知りました。日本のメディアでは仏教僧の破戒は報じても、キリスト教関係者はまず報道しません。そのため非キリスト教徒の日本人の大半は、この問題を知らない人が多いはず。

 第2次世界大戦中のドイツ軍にトルキスタン義勇師団がいたのですか。そして、モスク建設資金を横領、居酒屋を開業したムラーのお話は初耳です。一般にトルキスタンのムスリムは、アナトリアのトルコ人よりも敬虔のはずですが、それでも居酒屋を開業とは…確かにこちらの方が儲かるし、信者の心を癒すでしょう。

 エジプトの女性作家ナワル・エル・サーダウィの小説『イマームの転落』には、非婚外子を儲けるイマームが登場します。その娘こそ小説のヒロインで、まさにビント・アッラー(神の娘)。これはフィクションですが、実際に数は少なくともエジプトにもこの種の“神の子”がいます。しかし、法律上は存在が認められないため、黒子扱いになっているとか。
 アンチキリストの中には、面当てのようにイスラムを持ち上げる者もいますが、このような出来事は仰る通り世界中どこにでもあることなのです。
返信する
RE:清廉潔白な宗教家はどこに (mugi)
2013-02-12 00:06:21
>みみずく さん、

 いつも読まれて頂き、有難うございます!タイトル通り、どの宗教も清廉潔白な宗教家は至って少ないですよね。初期のムスリム神学者たちは別な生業を持っており、宗教関係の仕事はボランティアのようなものでしたが、やがて彼らはザカート(喜捨)で養われ教団関係の仕事に専念、事実上の聖職者階級となりました。御用学者の始まりです。
 永平寺土産にゴマ豆腐を買いましたが、それほど美味しく感じられなかったですね。ブランドとしては有名なのでしょうが、これなら一般の豆腐会社のそれの方が美味しいと思いました。

 仰る通り、今のトルコの政権はイスラム主義を掲げていますが、イランやサウジのように教条的ではありません。まさか現政権は、国営のビール工場を閉鎖までしないはず。この工場は周辺のアラブ諸国から、「トルコ人は堕落したイスラム教徒」と非難される原因にもなっています。
返信する
「動物農場」の現代的読み方 (madi)
2013-02-12 04:43:32
ジョージ・オーウエルの「動物農場」はソ連の革命後のごたごたを描いたものと理解されています。支配階級の堕落とか肉食への批判とかでも読めそうです。21世紀になって岩波文庫にはいりました。付録にはいった出版にいたる経緯がおもしろいので一度岩波文庫版をみてみてください。
返信する
RE:「動物農場」の現代的読み方 (mugi)
2013-02-12 21:50:43
>madiさん、

 ジョージ・オーウェルの『1984』は有名ですが、未だにこの代表作は未読だし、『動物農場』は初めて知りました。wikiを見ると、かなり社会風刺のあるストーリーのようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%BE%B2%E5%A0%B4
返信する
宗教屋は居ても ()
2013-02-13 23:11:48
宗教は存在自体が疑わしいと私は思います。
神の存在も、霊の存在も、私には存在を感じられません。

もし、神が居て、霊があれば、死後にこれについて考えたら良いと私は思います。

もう20年前になりますが、創価学会の秘密が知りたくて、知り合いを通じて、創価学会の座談会に参加させてもらった事があります。
一生懸命お題目を唱え終わり、座談会になりました。

この時感じたのは、宗教は実際の世界と異なる、アナザーワールドを作る事なのだと思いました。
つまり、実際の世界では『地位の無い』人が
(この世界)では高い地位に昇れるんだと思いました。
時々、電車の中で一生懸命創価学会の本や新聞を読んでいる人に出会いますが、
(ホンとの世界)では地位が低そうな感じがしてなりません。

キリスト教に関しても創価学会に関しても
ビジネスだと思います。
宗教屋さんだとおもえてなりません。
彼らに純粋な高い倫理観など求めるのは、
お門違いだと思えます。
返信する
RE:宗教屋は居ても (mugi)
2013-02-14 21:57:46
>哲さん、

 かなり昔ですが、私の伯母が一時期創価学会に入信していたことがあります。私生活面でかなり悩みがあったし、単身で上京していたため、誘われて入信したようです。以前、池田会長について書いたことがありますが、案の定「学会員の中には良い人も沢山いる」というコメントがありました。「私は、学会員ではありませんが」と断っていますが、私は嘘と見ています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/f8a6167d63f7a3f37a21877af50ebdbb#comment-list

 前に「古代インドの不信仰者たち」という記事でも書きましたが、『ラーマーヤナ』の中でバラモンが主人公にこう忠告するのです。
「これらの教典の教えは人々を言葉巧みに寄進に誘い、他にも儲け口を探し出し、こうした素朴な人々を支配しようとする知恵に長けた連中によって作られたものである…この世のほかに来世などは存在しない」
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e4307a9a0ed6c8cd10818604cc1c0d0a

 仰る通り、キリスト教やイスラム教のような世界宗教だけでなく、その他の新興宗教も、その本質はビジネスだと思います。最近の「地球教」のようなエコ活動もまた、宗教の変種ではないでしょうか?ある宗教を棄教しても、これにハマる人を見ると、つくづく詐欺だと感じられます。もちろんトップはエコを利用して大儲け。

 現世に満足している人なら、まず宗教に入信する必要はないはず。クリスチャンホームに生まれ、後に棄教した女性ブロガーさんが言っていましたが、宗教は現実逃避であり自己満足とのこと。そして生活に余裕のある人の趣味でもあるそうです。
返信する