トーキング・マイノリティ

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虚言で国会議員を辞任した女 その①

2016-12-14 22:10:09 | 世相(外国)

 11月25日付河北新報の第23面(社会・総合)に、「小泉八雲は「二重国籍」」という大見出しの記事があった。他の見出しには、「日本人と結婚、英が無国籍離脱認めず」「愛知学院大・竹下教授が発表 未公開書簡で詳細判明」とある。件の論文を発表したのは愛知学院大の竹下修子教授(家族社会学)で、24日までにこの説を明らかにしたそうだ。

 試に“竹下修子”で検索したら、「愛知学院大学 教員情報」に名は載っているが、職歴には2011/04から「愛知学院大学文学部 日本文化学科教授」「愛知学院大学大学院 文学研究科 日本文化専攻 教授」 とある。肩書は「文学部 日本文化学科教授」であり、家族社会学とは書かれていない。
 もうひとつの愛知学院大学の教員紹介サイトには、研究テーマが家族社会学となっており、竹下氏は日本文化と家族社会学を兼ねているのか?八雲が日本と英国の事実上の二重国籍だった可能性が極めて高いと結論付けた氏だが、当時騒がれていた民進党党首・蓮舫の二重国籍問題への擁護論なのは明らかだ。

 八雲のケースを引用してまで二重国籍は問題なしという、あざとい印象操作の一環だが、私には当時の英国が八雲の国籍離脱を認めなかったことの方が興味深い。法的に禁止されてまではいなかっただろうが、20世紀になっても英領インドで英国人とインド女性との結婚が、「あってはならないもの」だったことが、英国人作家F.フォーサイスの小説『神の拳』『アフガンの男』に見える。
 拙ブログに時々コメントされる主婦ブロガー、ハハサウルスさんの10月26日付の記事「最近の雑感」には、「何だか、蓮舫氏の二重国籍問題の幕引きの為に作られたかのような内容」の民放番組が取り上げられていた。

 メディアの御用学者・御用文化人らは、欧米諸国では二重国籍は当り前、といった擁護論を盛んに張っており、彼らに倣い私も欧米諸国の例を紹介したい。前置きが長くて恐縮だが、オランダでは虚言で国会議員の身分を失った女がいた。彼女の名はアヤーン・ヒルシ・アリ。アヤーンは何冊か著書を出しており、日本にも邦訳された書(Infidel:My Life、邦題『もう、服従しない/イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』)がある。
 アヤーンの著作は未読だが、『イスラーム世界の論じ方・増補新版』(池内恵著、中央公論社)で、私は初めて彼女の名を知った。日本では馴染みない人物でも、米英の書店では彼女の写真が壁一面に並ぶほど注目を集める論客だそうだ。しかし、池内氏が描いた彼女の実像もまた、欧米メディアのあざとい印象操作が伺えた。

 1969年生まれ、1992年に難民としてオランダに渡ったアヤーンは、オランダ語を取得しライデン大学で学ぶ。通訳や難民支援活動を経て、2003年には国会議員となった。
 彼女の知名度を世界的に高めたのは、原案を提供した映画『Submission(服従)』が反イスラム的として非難を受け、これを撮った映画監督テオ・ファン・ゴッホが2004年11月、二重国籍者でもあるモロッコ系ムスリムにより暗殺されたことによってである。彼の死体には、次はアヤーンだ、とのメッセージが刺されていたという。

 ソマリアからの難民と聞くと、着の身着のままでオランダに渡ったというイメージを受けるが、アヤーンの一族は西欧諸国やアメリカ・カナダと本国を行き来するエリート階層であり、父は政治家だった。アヤーン自身もオランダに行く前に欧米での生活を経験しており、数か国語を身に付けていたと見られる。

 そのアヤーンがオランダに難民申請したのは、実際は父の強制する、見知らぬ相手との結婚を逃れてのことだった。あたかもソマリアの内戦による難民であるかのように装い、名前と年齢を偽って申請を行ったことが、国会議員になった後に(さらに一連の著作と暗殺・脅迫事件が世界的な注目を集めて以降)政治問題化、2006年には議員辞職に追い込まれ国籍も剥奪されそうになり、事実上オランダからの追放を招く。
 ちなみにアヤーンの問題の扱いを巡っては、オランダの内閣が1つ崩壊するほどの騒ぎとなったそうだ。リベラルで有名なオランダのこと、難民に偽装、名前と年齢を偽っていた国会議員を認めようとする者も少なくなかったかもしれないが、虚言を弄した女議員を追放したのは賢明だった。
その②に続く

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