その一の続き
プラナキラ抑留所の状況について初めて具体的に日本政府が知ったのは、1942年9月3日のことだった。日本は英国政府への抗議を行い、インドに輸送されるまでの扱いについても、「英官憲の取扱振は極めて苛酷にして一般に囚人並又は夫以下の待遇を与へたりと謂ふことを得」と非難する。日本政府からの抗議はスイス政府を通じて英国政府に伝えられた。
だが、日本政府から6項目にわたる抗議を受けた英国はこれを全面否定、「われわれの見解では、抗議は非常に誇張されており、日本による捕虜の非好意的扱いが公にされたことに対するプロパガンダとして見なしうるだろう」の一文で締めくくっている。
劣悪極まる抑留所では1943年2月までの106名が死亡した。幾人もがベリベリで死に、赤痢と下痢による死者が沢山いた。民間人抑留者には高齢者も多く、これが健康を害したのは想像がつく。
プラナキラ抑留所は43年4月後半に閉鎖された。その前の43年3月13日、抑留者たちはデリー南東にあるデオリ抑留所に移動させられ、翌12日までに婦女子も含め移動が完了した。日本人抑留者たちは46年5月にようやくインドを出発し、6月末に日本に戻ることができたという。
林博史氏の論文「インドに抑留された日本人民間抑留者」を読めば気付くだろうが、氏は一貫して日本政府を非難していても英国には批判めいたことは書かず、逆に英国の対応に同調するかのような論調なのだ。その一部を引用したい。
「もちろん民間抑留者の場合には高齢者や子どもが多かったことから犠牲が出やすいことは十分に想像できるし、プラナキラの場合には、東南アジア以上に過酷な気候のインドに連れて行かれ、イギリス側も十分な対応ができないなかで最初から犠牲が多数でたのだろう。日本軍による抑留者の扱いとかんたんには比較することはできないが、プラナキラでの状況はかなり悪かったとは言えるだろう」
尤も「抑留所のガードやスタッフによる暴行など直接の虐待は、抑留者の記録を見てもない」そうで、それ自体は結構だが、これを以って林氏は「敵国の捕虜や抑留者を人道的に扱おうとしたイギリスとそうではなかった日本との違いをも浮き彫りにしている」と断言する。
何が“敵国の捕虜や抑留者を人道的に扱おうとしたイギリス”だ。1941年12月8日未明、家で寝ていた民間人をいきなり強制連行、劣悪極まる環境に抑留しておき、この何処が人道的なのか?氏は抑留所と書いているが、強制収容所が実態である。
“抑留所”のスタッフが直接の虐待を行なわなかったのは、人道面に配慮したからとは思えない。論文にも英国政府が、「日本軍によって捕らえられている捕虜や抑留者が、これを口実にして報復をうけるのではないかと心配している外務省(捕虜局)は、いかなる欠陥もすみやかに是正するように強くインド省に促した」ことが載っており、はじめに民間人を強引に拉致、強制収容所送りにしたのは英国側なのだ。
日本政府が抗議してようやく改善がなされた点だけで、英国人捕虜や抑留者への危惧が第一だったと言える。報復の恐れのないインド人独立活動家がどのような憂き目にあったのか、書くまでもないだろう。
強制収容所と云えばナチスを連想する人が多いが、実は20世紀に世界に先駆けてそれを開設したのは英国だった。wikiでは南アフリカの強制収容所について、こう解説されている。
―1899年から1902年までにかけての第二次ボーア戦争時に、イギリスはアフリカーナーの女性と子供を現在の南アフリカ共和国に作られた収容所に強制収容し、近代世界初の強制収容所が完成した。第二次ボーア戦争に於けるアフリカーナーの死者34,000人の内、女性と子供の多くは強制収容所の中で死亡した。
作家ジャック・ヒギンズの代表作『鷲は舞い降りた』にも、ボーア戦争時における焦土作戦や強制収容所の話が載っており、この作品で私は初めて英国がオランダ系白人に対しても蛮行を働いていたことを知った。ボーア戦争から半世紀も経たず、インドにも強制収容所が建設されたのだ。
そして不可解なのは、林氏は太平洋戦争時でのインド・ベンガル地方の大飢饉に触れていない点。インドの飢饉について、これまたwikiに載っているが、1943年ベンガル飢饉では死者約300万人に上る。しかもベンガルは1770年にも死者約1000万人もの飢饉が起きている。「ベンガル飢饉(1943年)における英首相チャーチルの責任」というブログ記事も実に興味深い。
尤も英国は植民地にした隣国アイルランドでもジャガイモ飢饉を起こしており、大規模飢饉と大量の餓死者の連発は英国統治の特徴といえる。林氏がそれを知らないはずがなく、“人道的な英国”と非道な日本という描き方には不味いため、43年ベンガル飢饉に言及しないのだろう。仮に言及したところで、日本の戦争責任資料センター研究事務局長を務める氏だから、これまた日本の戦争責任と強弁するかもしれない。
論調から氏は団塊の世代かと思いきや1955年生まれ、2019.5.18記の次の主張からも反日左翼知識人の見本と言える男なのだ。
「元号などというものはやめよう、天皇制などという非人間的なものはやめよう、残したい人がいるのならば民営化してはどうか、という議論が本格的に取り上げられるべきだと思います」
日本こき下ろしに躍起になる林氏だが、「ところで日本政府からの抗議や抑留者からの不満を見て、一つ問題と見られるのが、アジアの民衆を見下した視線である」くらい、バカバカしさにも程のある一文もない。
当時も現代でも、他のアジアの民族を見下さないアジア諸国政府などあるのか?インドにせよ不可触民は未だに人間扱いされず、まして異教徒は基本的にムレーッチャ(夷狄)なのだ。古来から華夷思想にどっぷり浸かる儒教圏。イスラム圏も異教徒蔑視は甚だしい。林氏が日本の民衆を見下した視線で述べているのはよく分かったが。
右翼と批判されることも多い作家・井沢元彦氏だが、代表作『逆説の日本史』では意味深いことを述べている。日本の為政者には護民という観念がかなり薄いというのだ。これは否定できないが、林氏が典型で知識人もまた同胞への護民という考えは欠如している。何しろ拉致された日本人の存在を否定したり、海外で日本人がテロで殺されても口にするのは政府批判だけ、哀悼の意を表すことはしないのだから。
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