その一、その二、その三、その四、その五の続き
私的には第三章「モンゴル帝国の興亡―五代十国から元朝まで」が一番面白かった。中国史のテーマからは外れるが、モンゴル帝国の実態や現代モンゴル事情にも言及していたので。第三章には刺激的な見出しが幾つかあり、中でも「「チンギス・ハーンって、どんな人」と日本人に聞くモンゴル人」は、思わず目を疑った読者は多かったと思う。
件の見出しの前には、「歴史を消されたモンゴル―モンゴル人が書いた「モンゴル史」はない」「現代モンゴルでは、チンギス・ハーンは否定される存在」というものもあった。チンギス・ハーンといえばモンゴル史はもちろん、世界史上最大の英雄と本国では扱われていなかったことに日本人は仰天しただろう。その背景について著者は説明しているが、ソ連が大きく関わっていたのだった。
モンゴル北部は1921年に独立し、モンゴル人民共和国となるが、ソ連の第一番目の衛星国でもあった。かつてのモンゴルによるロシア支配、いわゆる「タタールのくびき」への恨みもあり、ソ連はモンゴル帝国やチンギス・ハーンには否定的だった。
「モンゴル帝国は大昔、友好国のロシア人を虐待し、支配した。ロシアだけではない、同胞である社会主義諸国の東ヨーロッパを征服、略奪した悪い奴らだ。チンギス・ハーンを崇めるなんてもっての外だ」と非難した。
過去以外にもモンゴルで民族運動や、他国にもいるモンゴル民族を統一しよう等という動きが高まることを警戒したのだった。ソビエト連邦内には多数の「共和国」があり、多くの民族が暮らしていたため、各民族が独立を志向すると困るのだ。
それでも1960年代、モンゴル科学アカデミー総裁トゥムルオチルがチンギス・ハーン生誕800年記念を祝したシンポジウムを開き、四種の切手が発行される。
郵便学者・内藤陽介氏は自身のブログでこの切手について記していたそうだ。ソ連がチンギス・ハーンの顕彰に対して“不快感”を示すと、問題の記念切手の販売も直ちに中止され、手元の切手を郵便に使用することも禁じられる。特に四種セットのうち、チンギス・ハーンの肖像を描いた切手は、モンゴル国内の切手収集家や切手証の間からも完全に姿を消し(所持していることが分かれば、処罰対象とされた)、“幻の切手”と呼ばれる存在となったという。
切手販売中止のみならず、モンゴル科学アカデミー総裁もまた「民族偏向主義者」として非難され失脚する。モンゴル内にも党書記長ツェデンバルのようなソ連協力者がおり、ライバルを民族偏向主義者として追い落とす。
それ以降、チンギス・ハーンを称えることは完全にタブーとなってしまう。モンゴル人は心の奥底ではチンギス・ハーンに敬意を持っていたが、それは表に出していけないこととして、モスクワから厳しく監視されながら数十年が過ぎた。
また、共産主義は「宗教はアヘン」という考え方なので、モンゴル人が信仰していたチベット仏教も迷信であるとして弾圧される。「封建領主が罪のない人民を搾取した歴史など学ぶ必要がない」とされ、モンゴル人は自分たちの英雄を崇めることも出来ず、信仰も奪われた。尤も当時は社会主義国は地球の半分を占めていたので、モンゴル以外にも各地で同様なことが起きていたが。
社会主義国時代には文化面でもソ連化が進み、モンゴル語の表記はチンギス・ハーン時代からのモンゴル文字から、ロシア語と同じキリル文字への切り替えが強行される。
1991年のソ連崩壊後、ようやく民主化と共にチンギス・ハーンも「復活」するが、実は誰もチンギスについてよく知らない有様。何十年も歴史を封印され、ブランクがあったので、チンギス・ハーンですら、若い人にとっては「誰?」だったという。
1992年、著者は夫君岡田英弘氏とともに初めてモンゴルに行く。大変な歓迎を受けたが、「チンギス・ハーンて、どんな人でした?チンギス・ハーンのことでしたら、何でもいいから教えてください」と質問攻めにあったという。ラジオやテレビにも引っ張りだこ、新聞のインタビューにも答える。チンギス・ハーンについてモンゴル人が日本人に、熱心に質問していたというエピソードだけで考えさせられる。
著者は他にもモンゴル人一般がいかに自国の歴史を知らなかったか、具体例を挙げている。1997年に発行された歴代ハーンの切手があり、チンギスとモンケは正しいが、オゴデイとフビライが逆になっていたそうだ。フビライの肖像画なら日本の教科書にも載っているし、元寇もあって日本人にはよく知られている。
尤もオリジナルの肖像画は北京の故宮博物院、そして台湾にもあるが、モンゴルにはなかったのだ。90年代に切手を作成したモンゴル人は歴代ハーンの顔を初めて見たのでしょう、と著者。何かの手違いで顔が入れ替わってしまったのだが、それほど歴史について無知な状態に置かれていたとは哀しい。
その七に続く
20年前にはこのような企画がありましたか。現代は下手するとヘイト扱いで、首都圏でもシンパのイベントばかりになっているのやら。
実は私は内藤先生に直にあったことがあります。
ただあちら私を認識してはいないでしょうが。
「北朝鮮まつり」というイベントがございまして
そこで講演していたのを見たことがあります。
北朝鮮まつりといって「え シンパのイベント?」
と思うかもしれませんが、北朝鮮の、トンデモナイ
一面の情報を公開しあい笑い飛ばすイベントでして。参加者も濃い方ばかりで朝鮮語は理解できるのは普通。自分の子供を将軍様と誕生日が同じになるように配慮したという私の隣の席の方がいたり。
そこで内藤先生北朝鮮の切手から内部の政治事情を
分析する講演でしたね。もう20年前で内容は忘れましたが、笑いありの以外な話アリの面白かったのだけは覚えてます。ほかにも北朝鮮の硬軟両方いける専門家たちのとっておきの話をが聞けた面白い企画でした。