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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

カエサルとパルティア その②

2008-10-17 21:27:48 | 読書/中東史
その①の続き カルラエの戦い(BC53年)で、5分の1の兵力にも係らずローマを完敗させたパルティアの将スレナスを、作家・塩野七生氏は『ローマ人の物語』4巻(新潮社)で、こう描いている。-迎え撃つパルティア側には1人の青年貴族がいた。オリエントの貴公子のやること全て、豪奢な宮殿、華美な服装、美女を集めたハレム、被支配者への虐待の全てを最高度でやる男だったが、伝統に縛られず偏見に囚われない透徹した頭脳 . . . 本文を読む

サーサーン朝ペルシア滅亡後 その②

2008-09-13 20:28:18 | 読書/中東史
その①の続き イランのイスラム化が進むにつれ、様々な伝説が誕生した。その代表的なものがサーサーン朝最後の皇帝ヤズデギルド3世(在位632-651)の娘シャフル・バーヌー(国婦の意)の伝説。この皇女はアラブ軍の捕虜となり、奴隷として売られるところを、ムハンマドの従弟で正統カリフのアリーがその高貴な身分を知り、次男フサインの嫁にしたというのだ。シーア派からすればアリーは初代イマーム(導師)でもあり、フ . . . 本文を読む

サーサーン朝ペルシア滅亡後 その①

2008-09-12 21:24:55 | 読書/中東史
 4世紀に亘り繁栄と高度な文化を誇ったサーサーン朝ペルシア帝国も、651年(※642年のニハーヴァンドの戦いをもって滅亡とする学者もあり)、新興のアラブ・イスラムの前にあっけなく滅亡。アラブのイラン支配とイスラム化はイラン史上類のない影響を及ぼし、2,500年以上のイラン史はイスラム前とイスラム以降に2大区分されるのもこのためである。社会のあらゆる分野が大きく変化する中、伝説と文化遺産が遺された。 . . . 本文を読む

サーサーン朝ペルシアの文化 その③

2008-09-09 21:25:41 | 読書/中東史
その①、その②の続き女性 ゾロアスター教神官は後のイスラム神学者のように男女隔離を強要しなかったため、この時代の男女は比較的自由に交流できたらしい。特に女性にチャドル着用の習慣がなかったので、当然ながら容姿やスタイルに細心の注意が払われた。サーサーン朝時代のペルシア男から見て魅力的な女とは、まず思考において異性に同情的である必要があった。続いて背丈は中くらい、胸は広く、乳房はマルメロ(カリンの一種 . . . 本文を読む

サーサーン朝ペルシアの文化 その②

2008-09-08 21:20:01 | 読書/中東史
その①の続き絵画 サーサーン朝時代の絵画は、現代は一枚も残ってはいない。ただ、当てにならぬ伝説にせよマニ教の開祖マニ(210-275頃)が中国に行き、現地で画法を学び、帰国した後それを伝えたという。実際イランの細密画には中国画の影響が見られ、マニならずともイラン人絵師が中国に行ったことは考えられる。現代のイランではマニの名は消滅した古代宗教の開祖よりも、昔の天才的画家として知られる。 ゾロアスター . . . 本文を読む

サーサーン朝ペルシアの文化 その①

2008-09-07 20:25:06 | 読書/中東史
 ベストセラー『ローマ人の物語』(塩野七生著、新潮社)の影響により、古代ローマの歴史や文化は一般の日本人からも関心をもたれるようになった。しかし、ローマと覇権を争った古代ペルシア(現イラン)は殆ど知られず、学者もかなり少ない有様。先日、サーサーン朝ペルシア時代の文化を記載した本が読めて、とても面白かった。 サーサーン朝ペルシア時代には絢爛たる文化が花開き、東西にそれが伝播する。パフラヴィー語(中世 . . . 本文を読む

オスマン帝国末期の中東 その③

2008-07-27 20:28:13 | 読書/中東史
その①、その②の続き オスマン帝国は第一次大戦まで中東を支配していたと言われる。しかし、19世紀に既にシリア地方は欧米列強勢力が蚕食、エジプトは1882年に英国の統治下に置かれた。ベルもシリアを旅した同年、手紙に記している。「エジプトは“約束の地”のようなものです。あの地における我国の施政がどんな印象をオリエント人の心に刻んでいるかはちょっと見当がつかないくらいです…」。トルコ人官吏の権限はアラブ . . . 本文を読む

オスマン帝国末期の中東 その②

2008-07-26 20:23:18 | 読書/中東史
その①の続き ベルがシリアを旅した1905年は日露戦争最中で、彼女の行く先々でこの戦は話題となっており、戦況や日本について質問をされている。現代と異なり情報伝達は口コミ程度だったはずの中東のムリスムの間で、何故この戦争が広く知れ渡っているのか英国人ベルも不思議がっていた。ドゥルーズ派のアラブ人など、常勝している日本は我々と同じと話しており、ベルが日本人とあなた方とは人種や宗教も違うといくら説明して . . . 本文を読む

オスマン帝国末期の中東 その①

2008-07-25 21:29:33 | 読書/中東史
 先日、ガートルード・ベルの『シリア縦断紀行』(東洋文庫584~5、平凡社)を面白く読んだ。この紀行文は1905年早春に、エルサレムからアレキサンドレッタ(現トルコ領、ハタイ県)までを千数百㎞に亘り縦断、2ヶ月余りの旅の記録である。旅の舞台は題名どおりシリアだが、この作品からオスマン帝国末期の中東の風習や政治的状況が浮かび上がってくる。 中東といえばイスラム圏であり、住民はアラブ人のムスリムと思う . . . 本文を読む

バハイ教 その④

2008-06-04 21:27:21 | 読書/中東史
その①、その②、その③の続き ババオッラーの後を継いだのが、長男のアブドゥル・バハー(栄光の僕の意)。ババオッラーは生前から長男を後継者に指名しており、自分の死後、全てのバハイ教徒にこの指示に従うよう命じた。アブドゥル・バハー自身、孫のショーギ・エフェンディーを後継者に決めており、この血族世襲制は世界宗教でも極めて特異である。ただ、3代目ショーギ・エフェンディーは子供を残さず、1957年にロンドン . . . 本文を読む