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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ゾロアスター教史 その③

2009-05-14 21:20:22 | 読書/中東史
その①、その②の続き ザラスシュトラ42歳の時、ナオタラ族の君主カウィ・ウィーシュタースパ(馬具を外された馬の持ち主の意)夫妻との運命的な出会いがあった。彼らの宮廷を訪れたザラスシュトラに対し、これを受け入れたウィーシュタースパ王。王といえ後世のペルシア帝国の皇帝には程遠い小部族の王で、ナオタラ族もまた歴史から消えている。当然、旧来の宗教指導者や反対派重臣の妨害に遭うものの、アフラ・マズダーの奇跡 . . . 本文を読む

ゾロアスター教史 その②

2009-05-13 21:25:58 | 読書/中東史
その①の続き ゾロアスターの本名はアヴェスター語でザラスシュトラ・スピターマ、彼の生前は当然この名で呼ばれていた。英語のゾロアスターも強い響きがあるが、本名もまた神秘的に聞こえる。しかし、この名をそのまま訳すと、“輝ける白色一族”の“老いたラクダの持ち主”となり、何とも拍子抜けさせられる。現代の欧米人と同じく古代アーリア人も個人名の後に一族名が来る。ザラスシュトラこと“老いたラクダの持ち主”から、 . . . 本文を読む

シリアの民族主義運動家

2009-04-10 21:20:24 | 読書/中東史
 映画『アラビアのロレンス』の影響もあり、我国ではアラブ独立運動はロレンスの指導のもとベドウィン戦士によりなされたというイメージが一般に流布している。参戦しているベドウィンは非正規軍であり、映画には描かれなかった正規軍もいた。この作品は第一次大戦時の「アラブ反乱」を中心に描いているが、アラブ民族運動は既に19世紀から見られ、20世紀の活動の中心はダマスカスとベイルート、つまりシリアの民族主義運動家 . . . 本文を読む

トルハン・ハトン/全世界の帝王を名乗った女

2009-01-20 21:11:33 | 読書/中東史
 母の実家が有力家系で、その結び付きが強いのは子供にとって強力な後ろ盾を持つこととなる。だが、時にそれが裏目に出て、思いもかけぬ災難を招くこともある。前日記事にしたジャラールッディーンの祖母と、その息子アラーウッディーン・ムハンマドの関係がそうだったように。実家が良すぎると、生涯それを鼻にかける女もいるのだ。 アラーウッディーンの母トルハン・ハトンは、カンクリというテュルク系部族の王族の出自だった . . . 本文を読む

ジャラールッディーン/チンギスに対抗したスルタン その③

2009-01-19 21:23:46 | 読書/中東史
その①、その②の続き チンギス率いるモンゴル軍と戦い、キリスト教国グルジアを破ったジャラールッディーンは、イスラム世界で名を上げたのは確かでも、その武勇と好戦癖を中東の君主は恐れるようになる。彼が戦ったのは異教徒勢力圏ばかりではなく、南カフカースから東部アナトリア、シリア方面にも侵出、諸勢力とも戦い勢力を拡大する。もはや対モンゴルの大義などなく、その精力的な活動は個人の征服欲に起因し、周辺イスラム . . . 本文を読む

ジャラールッディーン/チンギスに対抗したスルタン その②

2009-01-18 20:22:50 | 読書/中東史
その①の続き チンギスはガズニーに向かう途中、パルヴァーンの戦場を過ぎたので、シギ・クトクその他将軍に対し、作戦の誤りを現場で示し訓戒したという。その後行進を続け、ガズニーに到着した。この時ジャラールッディーンは先の合戦では勝利したものの、配下の兵はテュルク系諸部族の寄せ集めゆえ統制を失っており、到底チンギスの本隊に勝ち目はないと判断、インドに向け後退しつつあった。チンギスはこれを追い北インドに入 . . . 本文を読む

ジャラールッディーン/チンギスに対抗したスルタン その①

2009-01-17 20:23:05 | 読書/中東史
 ジャラールッディーンと言っても、一般に日本ではなじみが薄い人物だろう。しかし、チンギス・ハーンに関心を持つ方なら、“蒼き狼”と戦ったホラズム・シャー朝の第8代スルタンにして、最後の君主ということはご存知と思う。国は敗れ非業の死を遂げるが、なかなかの快傑でもある。イスラム社会でチンギスに立ち向かったのは彼くらいだった。 1210年、第7代スルタン、アラーウッディーン・ムハンマドは中央アジアを支配す . . . 本文を読む

福沢諭吉たちの見たエジプト その②

2008-12-21 20:10:55 | 読書/中東史
その①の続き 福沢ら使節団はピラミッドを「三角山」「石塚」、スフィンクスは「石首」「巨大首塚」と呼んだそうだ。安易に横文字を使いたがる現代と違う、この表現もよい。平成の御世の日本人観光客同様、これらの遺跡には圧倒されただろう。カイロ城やムハンマド・アリー・モスクも見学、豪華な装飾に感動し、「精巧華美爛々燦々(さんさん)人ヲシテ眩目自失セシムルニ到ル」と記録している。しかし、あまりにも対照的なその周 . . . 本文を読む

福沢諭吉たちの見たエジプト その①

2008-12-20 20:11:38 | 読書/中東史
 文久元(1861)年、幕府は西洋事情調査のため欧州に使節団を派遣する。竹内下野守保徳(たけのうちしもつけのかみやすのり)を正使とする総勢38人の遣欧使節団に福沢諭吉も含まれており、その翌年、彼らはエジプトのカイロとアレクサンドリアも訪問している。彼らの目に映ったエジプトはさすがに見ごたえはあったが、記録には旅行会社のコピー通り「神秘と魅惑の国」を堪能するどころか、悪い印象ばかり書き連ねられていた . . . 本文を読む

ワクフ-イスラム式脱税

2008-12-19 21:25:13 | 読書/中東史
「坊主、丸儲け」は日本の諺だが、聖職者ほどビジネスに敏く利権を確保するのに長けた人種はないのは、洋の東西変わりない。その点、利子を取ることをシャリーア(イスラム聖法)で固く禁じているイスラム世界も同様で、むしろ日本の宗教法人顔負けの脱税をやってのけている。オスマン朝後期の財政を麻痺させたワクフと呼ばれる制度がそれだった。 ワクフは元はアラビア語で「停止」を意味し、転じてこれが財産凍結を目的とするワ . . . 本文を読む