その①の続き ジャムセートジーはゾロアスター教の近親婚の規定に従い、曽祖父の代に分かれた同族のターター家出身のヒーラーバイ・ターターと結婚する。彼女の兄ダーダーバイはターター財閥創業当初からの最古幹部で、中国貿易部門を担当していた。ジャムセートジーはこの血縁の妻との間に2人の息子を儲け、双方に神官教育を施し、ヘールベド級神格の資格を取得させた。ちなみにターター家には上位のモーベド級神官やダストゥー . . . 本文を読む
インドの諸財閥の中で、最大規模と呼ばれるのがタタ財閥である。しかし、創業者以降この財閥を率いてきた会長は全てパールシー(※インドのゾロアスター教徒)と呼ばれる少数民族であり、一族経営により強固な基盤をつくり上げている。ターター一族の興隆は、そのまま近代インドの歩みと重なり、英領インドの知られざる側面も伺える。なお、日本語解説ではタタとなっているが、現地の発音ではターターとなるそうで、以下この表記 . . . 本文を読む
今日はイギリスのロックミュージシャン、フレディ・マーキュリーの命日に当たる。45歳の若さで彼が他界してから、今年で18年となる。国籍こそイギリスだが、元来フレディはパールシー(※ペルシアから来た人の意で、ゾロアスター教徒を指す)と呼ばれるインドの少数民族の出である。そこで、彼の同族パールシーについて書いてみたい。千年以上前、宗教の迫害を逃れイランからインドに移住してきたパールシーだが、インドに限 . . . 本文を読む
18世紀のインドはムガル朝の弱体・衰退化に伴い、各地で地方王朝が乱立、覇権を巡る戦いで混乱に陥り、それを狙った西欧列強が国土を蚕食していく。イギリス東インド会社によるベンガル地方支配を決定付けたのはプラッシーの戦い(1757年)だが、その前年6月、この地方で「黒い穴事件」と呼ばれる惨事が起きている。『残虐の民族史』(柳内伸作著、光文社)に、この事件は以下のように載っている。 -1756年6月、ベ . . . 本文を読む
キリスト教と同じく仏教も教祖に関る娼婦の話がある。晩年の釈迦はヴァッジ国の首都ヴェーサーリー(現ヴァイシャーリー、ビハール州)に好んで滞在していたが、ここで有名な遊女アンバパーリーと出会い、接待を受けている。既に80歳を迎える釈迦であり、当然艶っぽい内容ではなく、布施の話である。 アンバパーリーはその頃、他の町にまで名声が伝わっていた遊女で、美貌と容姿、魅力に恵まれた他にも踊りや歌、音楽も巧み、 . . . 本文を読む
アジアで初めて西洋型の乾ドック式造船所が建設された国は、残念ながら我国でもトルコでもなく、インドである。既に18世紀半ば、当時はボンベイと呼ばれていた現ムンバイでそれが完成した。造船所建設を行ったのはインド人でもヒンドゥー教徒やムスリムではなく、パールシー(インドのゾロアスター教徒)の船大工ロウジー・ワーディアー。この背景から、改めてパールシーとイギリス東インド会社との密接な関係が浮かび上がって . . . 本文を読む
その①の続き ヴァイデーヒー王妃は占師の予言どおりになったことに衝撃を受ける。王子の厳命で、群臣も王妃も一歩も牢に近付くことを許されなかった。心痛で気が狂いそうになった王妃だが、考えた末一計を思いつく。体を洗い清め、バターと蜂蜜、はったい粉を練り合わせたものを体中に塗りつけた。首飾りや耳飾りの玉の中には葡萄酒を詰める。それらを身につけ、牢獄を密かに訪ねた。牢番には賄賂をやり、彼女は夫のいる獄中に忍 . . . 本文を読む
古代インドの大国・マガダ国の王ビンビサーラ(漢:頻婆娑羅〈びんばしゃら〉)は釈迦最大のパトロンとされる。首都・王舎城(ラージャグリハ、現ビハール州ラージギル)で竹林精舎を寄進、仏教の発展に大いに貢献し、自らも篤く帰依したと伝えられる。しかし、その最後は実の息子に幽閉され、食物を一切与えられず餓死するという惨いものだった。 釈迦は出家後間もなく南に向かい、マガタ国に入っている。王城の高楼からふと街 . . . 本文を読む
その①の続き 日本でも知られるサイ・ババはインドで最も有名な聖者だが、彼以外の聖者も実に物質的だという。大統領との会見でもサイ・ババは真っ赤なメルセデスに乗って現れ、大統領のリムジンさえ小さく見えたそうだ。大半のインド人はそのような虚飾を良くないとか精神性に問題があると思わないらしい。だが、ガンディーは頑固に質素に拘り、そのため劇的に彼の主張する自己否定が失敗したのだ。ガンディーの死後すぐ、或いは . . . 本文を読む
一般に日本人はインドの指導者といえば、未だにガンディーを思い浮かべるだろう。ガンディーがインド史上偉大な指導者だったのは間違いないが、このような人物は極めて稀であり、インド人は敬意を寄せても、信頼する政治家となればまた別である。インドの大手週刊誌が行ったアンケート調査「あなたが最も信頼する政治家は誰か?」の結果、トップに選ばれたのは何とガンディーと正反対のタイプ、インディラ・ガンディーだった。 . . . 本文を読む