虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

私のニギハヤヒ様や神武東征

2024年02月06日 | 約束の地
東京は雪で大混乱だという寒い日。
思い立って杵築神社に行って来た。この名の神社はあちらこちらにあるのよね。
いつだった初詣に行った所なのだが、そこを最初知ったのはなぜだったか、なぜそこに行ったのか、理由は三四あると思うのだが、どうも何もかもがあやふやで。覚えているのはそこに初詣に行って手を合わせた時、鏡だ~鏡に自分が写っていたこと。ひどくドキッとしたことを鮮明に思い出すのだ。
「お鏡」というのはそういうことなんだな~と思ったことだった。

さて私はこの間からあのなが~いなが~い蛇行剣と大きな盾鏡が見つかった富雄丸山古墳に行こうと場所を調べていて、あれ~富雄川沿いから行ったほうがいいのかな~と見ていると、富雄川なら登弥神社もついでに行けることに気付いた。
いや待てよ。ということは矢田坐久志玉比古神社もそこから行くが便利。
こうなると時間的には順番が大切だな~と思っているとなんと杵築神社のすぐ近くに天忍穂耳尊 神社があるではないか。
ま~寒いし、今日はずっと気になっている杵築神社に行こう。まずは岩船神社から天忍穂耳神社へ行って、次に杵築へ。こういうのが時間的には良い筈。
しかしですね。探せど聴けど天忍穂耳神社がない。歩けばさして分かりにくい場所とは思えないのだけれども、車では行きつかなかった。
ま、いいや~杵築の場所は大和郡山二名だとわかったからね。目印になる。
しかしなぜにあそこに天忍穂耳尊神社があるのか?ニニギ?ホアカリ?ニギハヒ?まさか神武が?ということはないでしょう。
但し、真弓山がそこにあり、もう一本向うには弓塚があり、もうちょい西には地元に人気の(明智光秀みたい)ナガスネヒコの碑があり、そのもっと向こう、あれは西大寺から行った方が早いのか、清滝から行ったほうが早いのか金鵄の場所があり。そこも含めて、そこから西の一帯は登美の地で。

もうだいぶ以前のことになるが、岩船から饒速日は古代にどんな道を歩いたのかということを自分なりに検討したことがあったのだった。饒速日山から生駒の頂上に行く。その頃そこは湖だ。だから貝塚からかもわかるように、大阪側だと旧高野街道より上が住居で、奈良の方も今より随分上が住居だった?
何故に金鵄の場所があそこだったと金鵄の会の人達は比定したか?
ナガスネヒコはどこで敗れたのか?ではナガスネヒコはどこにいたのか?
桜井でもなければ、橿原でもなければ、宇陀でもなければ、磯城島でもないのである。古代史はそこがおかしくないか?
そしてむこうとこちらに同じ地名や同じ神社があったりするのである。
もっと違う地ならば日本にはありがちだが、ヤマトの東と西に歴史的に同じ重要な地があるのである。

私は歴史が好きではない。本当のことなんぞ分かる筈はないし、ある程度解明されても、人間であればそれぞれ三角頭で伝えるはずだし。
そんな私が古代史をやっているのは、健造先生の飛騨古代史を知ったからで、先生は誠実な方だし、私はたまたま神武東征の場所にいたからである。
そしてなぜかそれが自分のルーツを知ることにもなるような気がしたからである。今更ルーツを知ったからとてどうということもないが、両親の哀れな?生と死が、何か腑に落ちるような気もしたのである。
そして私はど素人には違いないが、ど素人故にある考えがまとまりつつある。
私は自分の考えをまとめる気もないし、誰かに言ったこともない。
この心の中だけにしかない。
けれどもし、私の考えと70%80%くらい同じくらいの人が現れたら、ちょっと感動もので、その人に夢中になるかもしれない。

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