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MSX研究所長の日常

80年代を駆け抜けたオールドパソコンMSXの研究の日々を綴ります。

2005年におけるMSXの話(2)

2005年02月05日 00時55分50秒 | MSX
MSX研究所・所員日記からの転載)

さて第2回。実機を再現するという目標はとりあえず達成されたものの、次をどうするか?これはなかなかユーザー間で話がかみあわない話題で、強行すれば友情にヒビが入ること間違いなしの難しいテーマであった。それでヒビの入る友情って何よ!とか思いそうだが、根が深いことの例えと思って欲しい。

さて「なぜ話がかみ合わなくなるか」という原因は分かっている。それはMSXに求めるものが一人一人全く違うということである。ここを見ている貴方、MSXで何をしていますか?MSXで何をしたいですか?もっと縮めて言えば、MSXらしさって何?ということになる。

国内の状況を具体的な分野別に上げると

・レトロゲーム、すなわち過去の市販ソフトを遊ぶのが好き
・アマチュアの作ったソフト、例えばMSX・FANの投稿ソフトなどを遊ぶのが楽しい
・オリジナルのゲームソフトを作るのが楽しい。BASICで比較的簡単に作れるのが好き
・オリジナルのゲームソフトを作るのが楽しい。アセンブラで極限まで性能を引き出すのが好き
・オリジナルのツールを作るのが好き
・ハードウェア、特にMSX本体を改造するのが好き
・ハードウェア、特に本体に外付けするものを作るのが好き
・MSXでCGを描くのが好き
・MSXでオリジナルの曲を作るのが好き(PSG、FM音源、SCC、あるいは複数音源利用など、この中でも多岐に渡る)
・MSXで既存の曲をアレンジするのが好き(音源に関しては上に同じ。作曲とアレンジは似ているが微妙に違う世界らしい)
・MSX関連イベントでいろんな事を仕掛けていくのが好き
・MSXユーザー間の雰囲気が好き
・MSXという一度は見捨てられたハードが盛り上がっている雰囲気が好き
・MSXのハードの中身を解きあかすのが好き
・アセンブラでI/O叩き放題のMSXというハードがなぜか好き
・大きなカーソルキーが好き

など、最後は冗談だがあとはどれも実在する。これが海外になるともっと増える(ブラジルあたりだと、完全オリジナルのMSXを作るとか)。当然複数かけ持っている人もいる。

「MSXユーザー」と言葉では簡単にくくれても、その内実はこれだけ違っている。それでもMSXユーザー間に亀裂があるとかではなくて、集まったら集まったで仲間意識を発揮するのか、ちゃんとそれなりに仲はよいのだが。それだけMSXは広く普及したし、MSXというもののフトコロの深さとも言えなくもない。

ただ、今後のMSXをどうするか?ということを議論するとなると、どうしても弱い。

夢のMSX3が見たい!という人もいる。
今のMSXを無理に拡張するのは良くないという人もいる。
レトロゲームのコレクションが主体の人にとって、ハードやBASICをどうするかというのは興味がない。
ユーザー間の雰囲気が好きなだけであれば、むしろ新しいMSXなんてないほうがよいという答えもある。まるで老人のような意見だとは思うが、分からなくはない。

というわけでこれまでは集まってもあまり議論しなかった、あるいはできなかった。10年もかけていれば少なからぬ機会はあったものの、話がまとまった試しはない。

まとめなくて済んだ理由としては、MSX実機がかなり頑丈であるため、とりあえずMSXを持っていれば代替機を必要としないという事情がまずあった(2005年現在も、turboRであれば修理できない故障はほとんどない)。
もう一つは、MSXのエミュレーションが進んでいくことでMSX活動におけるモチベーションが保たれていた、ということ。これは前回書いた実機を目標にするというところである。

しかし実機相当のエミュレーションがほぼできるようになってしまい、その方面で残されたことはもう本質的にはなくなったと言ってよい。
前回から話が進んでいないが、次こそ新しいMSXの話になる、つもり。

(つづく)

2005年におけるMSXの話(1)

2005年02月03日 23時17分39秒 | MSX
MSX研究所・所員日記からの転載)

ふと気がつくともう2005年である。MSX・FANが休刊したのが1995年7月であったから、今年で10年になる。10年前の今は既に専門誌「MSX・FAN」(徳間書店インターメディア)の休刊が予告されており、ユーザー間でその後の情報交換の準備をしていた頃になる。もっとも、当時の自分は「郵便番号が7桁になる頃には何か違う趣味を持っているんだろうな」、なんて考えていたのであった。ちなみに7桁になるのは1997年2月と、これまた予告されていた。

それがどうか。今でもMSXで遊んでいるのである
その間にMSX電遊ランドがあったりMSXマガジンが出たり、いろんなことがあった。しみじみ。

しみじみしている場合ではなくて、よく考えればMSXの商業的な歴史は1983年~1992年の10年間である。いろんなカウントの仕方があるが、簡単に市販ソフトが出ていた時期としてみた(1993年にもMIGHTYバトルスキンパニックとかピンクソックス・マニア3とか出ているが)。この年にMマガも実質的な休刊となっている。その先のMSXの歴史は、93年から95年まではMSX・FANがあったとは言え、アスキーがMSX辞めてからの方が長いのだ。往生際の悪さもここまでくれば大したもんであるが、この10年のことを適当に思い出してみると

・Windows95が出た(MSX・FANが休刊した時にはまだWindows3.1だった)
・Windows98も出た
・Windows98SEも出た
・WindowsMeも出た
・Windows2000も出た
・WindowsXPまで出てしまった
・Longhornはまだかいな

うーん、こんなにあるぞ。凄いや!
という冗談はさておいて、一番変わったのは

・みんな携帯電話を持っている
・大抵の人がインターネットに常時接続している

というあたりであろうか。しかしお国破れてサンガリアといういう中国の故事にもある通り、変わらないこともある。

MSXの貧弱なスペック

はそのまんまなのである。10年前でも十分なくらいショボかったが、今ではもっとショボい。相対性理論というやつである(うそ)。
さて、このどうしようもなく低いスペックをどうするかの議論は10年前からあった。そして、今もありつづけている。

実はこの話、いままでの10年以上の間ずっと逃げてきたと言ってもいい。
かつてMSX本体を素人が作るなんて不可能だったので、実機に対しては主に外付けカートリッジによる拡張が行われていたのである。MEGA-SCSIはその代表例と言える。

MSX・FANが休刊した1995年頃にはPCによる今のようなMSXエミュレータが出てきたが、これも再生する側のスペックが不十分だったのでまだMSX1相当がやっと、MSX2はほとんどのソフトが動かない上、動いても遅くてやってられない、FM音源も鳴らない程度の再現度だった。この頃はまだfMSXという、Marat氏製作のソフトによって「ソフトの力でMSXが動かせる」ことがやっと話題になりつつあった頃である。

その後もいろんなエミュレータが製作されていき、PCの速度も増して行った。
かつて困難だったFM音源(OPLL)も[OK]氏の音源エミュレートによりほぼ完璧に鳴るようになった。
とにかく貧弱なスペックでも余すところなく再現する、実機そのものがエミュレートの目標だったんである。これは公式エミュレータにしてもその他の自主製作のものにしても同じである。ただ、公式以外の(多くの場合、海外の)エミュレータはニーズの関係上からかBASICで組まれたソフト、特に拡張BASICや漢字BASICを使ったソフトがほとんど動かなかった。公式はそのへんを考慮してるので、比較的よく動く。

ともかく、MSXマガジン永久保存版2号が出てturboRに対応するまでは、実機を目標に考えていれば良かったのである。
その先が問題なのであった。

(つづく)

「画楽多」5本

2005年01月31日 00時30分59秒 | MSX
負けじとMSXの同一タイトルばかりを集めてみる

ああ、懐かしい「画楽多(ガラクタ)」です。今は亡き和知電子工業がMSX2用に発売したお絵描きソフトです。

いかんせんツールとしてデキが良くなかったためにタイトルに恥じない扱いを受け、90年代中頃から数年間、秋葉原の山手線下のガードにある「ニュー秋葉原センター」の店頭でいつ行っても300円で置いてあり、「買っても買ってもなくならない」と言われながら多くのユーザーに愛され続けました(基板が)。一説には100本以上のデッドストックであったと言われています。

私も300円で数本買い求め、「似非RAM」「MEGA-SCSI」などに改造して長い間利用していました。今では製品版のMEGA-SCSIにしていますが、当時の経験は今でも私の財産であります。価格的には今でも300円相当でしょうが、「潰しても惜しくない」というのが最大の価値とも言えます(これが「アレスタ」なんかだと勿体なくてとても改造できません)。


ちなみにこのソフトの面白いところは、メガロムコントローラーを持ちながらメガロムマークが無いことです。確かにこれに使用されているロムは64キロバイトで、1メガビットにあたる128キロバイトに足りないため普通のROM同様のマークがついています。律儀と言えば律儀ですが、それならデータのセーブ形式をちゃんと公開しておけ~と思った記憶が蘇りました。(COPY文形式でセーブされているのは調べがつきましたが、パレットの形式が分かりませんでした)

ところでこのソフトにはサンプルデータを収録したFDが別売りされてましたが、どんなパッケージだったんでしょうか?ちなみに、広告で見たサンプルの一つに当時HARDのCG描きだった「尊辺友(たかべ・ゆう)」氏の絵が入っていたような覚えがあります。この人も今はどうしているのやら。

メイド萌えとMSX

2005年01月30日 23時54分47秒 | MSX
今やオタクの世界では「メイド」という職業(というか服装)はある一定の市民権を得ていると言ってよいでしょう。しかし「メイド萌え」などの感覚はパソコンゲーム界では90年代後半の18禁ゲーム群あたりから起こったムーブメントであるため、それ以前に市販ソフトの絶えたMSXの世界には、当然ながらそれに乗っかった作品は出現していません。

しかし「メイドそのもの」が出てくるゲームは何本か存在します。「ハイドライド3」(1987年)、「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」(1989年、MSX2版は90年)などに出てきます。もっとも役柄らしいものはなく、雰囲気を出すための駒として使われているだけでした。

では単独で存在感のあるメイドが出てくるMSXのゲームと言えば何か?私はこの疑問の解答を得ました。

そう、「パロディウス」(1988年)です。4面ボス「メイズ」の余りにも強烈なキャラクターはご記憶の方も多いでしょう。その面のテーマである迷路にちなんでメイドの複数形、メイズ…。あまりにもしょうもないダジャレに涙が止まりませんが、やはりMSXユーザーとしては押さえておくべきキャラクターでしょう。

しかしあの造形に萌えられるかと言うと私には不可能です。MSXユーザーたるもの、メイズに萌えてこそ!と思うのですがやはり生理的限界というものがあります。というわけで「メイズでも、いやだからこそ萌えられる!」という方がいらっしゃいましたらぜひコメントを頂きたいと思います。

なお「英雄伝説」のメイドさんは始まってすぐにセリオス王子を守る楯となり、また「ハイドライド3」のメイドさんは当たり判定があるため袋小路に入った状態で進路を塞がれると最悪の場合餓死するという、微妙なシチュエーションでの登場であることを付け加えておきます。

MSX研究所blog(テスト)開始。

2005年01月30日 23時23分38秒 | MSX
というわけで始めてみました。オールドパソコンMSXに関する疑問や発見を色々書いていこうと思います。また、どんな質問でも受け付けますのでドンと来なさい太郎君。

個人的には「見る側が使い方を覚えないといけない」blogというシステムに対していま一つ好感度が低いのですが、身内にサイトがバレているという事情があること、またRSSリーダーを使ってみたその日に元MSX・FAN投稿者のF・I・S氏のblogが引っかかったことがちょっと嬉しかったのでとりあえずテストとして始めてみます。

しばらくは本体のサイト「MSX研究所」の日記のほうも並行して続けます。