オガレオガサワラ

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・・・チュウゴクから。

岩手でロケ 幻の映画「オボエテイル」

2010年11月16日 09時24分38秒 | 岩手
香川照之お蔵入り5年やっと公開(日刊スポーツ) - goo ニュース

香川照之お蔵入り5年やっと公開
日刊スポーツ2010年11月15日(月)10:15

 俳優香川照之(44)らが出演し2005年(平17)9月に完成後、映画会社の倒産により公開が見送られた幻の映画「オボエテイル」(芳田秀明、明石知幸、久保朝洋監督)が、5年の時を経て来年1月8日から東京と横浜で公開されることが決まった。35ミリフィルムなど映画の素材自体が紛失し、公開が絶望視されたが、今年に入り都内の倉庫でオリジナルフィルムが発見されて公開にこぎ着けた。

 「オボエテイル」は05年6月に岩手県盛岡市でロケが行われ、同9月に完成した。同市在住の直木賞作家高橋克彦氏の短編集を原作に、記憶をテーマにした3話構成のオムニバス・ミステリーで、第3話の「緋い記憶」に主演した香川のほか、第1話「遠い記憶」に村上淳と麻生祐未、第2話「前世の記憶」に葛山信吾ら実力派俳優が出演した。

 ところが同10月中旬の「第9回みちのく国際ミステリー映画祭2005in盛岡」で招待作品として上映後、映画会社が倒産。その混乱の中で35ミリフィルム、宣伝用の写真などすべての素材が行方不明となり、劇場公開が不可能となった。

 それが今年に入り、都内の現像所「イマジカ」にオリジナルフィルムが残っていたことが判明。DVD化の話が先行したが10月23、24日の「もりおか映画祭」に招待上映され劇場公開の機運が高まった。第2話担当の明石監督が、宣伝費などを自腹で支払い公開が決まった。同監督は「幸い5年間、たるの中に寝かされていい感じに熟成されたように思います。劇場公開が、自分たちの中ではけじめにできるのがうれしい」と感激した。



お米好き

2010年11月12日 17時06分46秒 | 日常
ご飯1日3杯の女性、糖尿病リスク1.5倍(読売新聞) - goo ニュース

えぇぇ!

以下、引用---

 1日にごはんを3杯以上食べる日本人女性は糖尿病の発症率が高いことが、国立がん研究センターなどによる6万人規模の追跡調査でわかった。

 12日、発表した。

 炭水化物を多量に摂取すると発症率が高まることは知られているが、米食と糖尿病との関連を大規模に調べたのは初めて。

 岩手や長野、茨城、沖縄など8県在住の45~74歳の男女約6万人を対象に、1990年代初めから5年間にわたり追跡調査した。このうち1103人(男性625人、女性478人)が糖尿病になった。

 米飯の摂取量との関連を調べたところ、女性の場合、1日に茶わん3杯を食べるグループは、糖尿病の発症率が1杯のグループに比べて1・48倍に、4杯以上だと1・65倍になっていた。ただ、肉体労働やスポーツを1日1時間以上行うグループは、摂取量と発症率に目立った関連はなかった。

 男性の場合、女性に比べて摂取量との関連は小さいが、運動しない人の発症率は高まる傾向にあった。

 米を多くとる女性の生活習慣などが糖尿病を引き起こしている可能性もあり、今回の調査からは、米が糖尿病の原因になっているとは断定できない。データを解析した国立国際医療研究センターのチームは「米飯を含む食習慣全体をバランスよくすることが大切だ」と勧めている。


私、米どころに生まれたせいか、お米が大好き!

1日3杯なんて、普通に3食食べてたら余裕です。昼なんて、それ以上食べてるかもだし…。「炭水化物を多量に摂取すると発症率が高まることは知られている」って書いてあるけど、知らなかったし!そうか、全般的にお米とかうどんとか、じゃがいも、パスタなんかの炭水化物好きなんだよなぁ~。

ちなみにこの調査のエリアセグメントは何か意味があるんだろうか?

それにしても、糖尿病かぁぁ 涙目
(もう糖尿病になった気持ち。)

これから気をつけます…


シャンハイディズニーランド

2010年11月08日 23時43分46秒 | シャンハイから
上海ディズニー建設が本格化 15年開園目指す(共同通信) - goo ニュース

【上海共同】中国で計画されている上海ディズニーランドを建設、運営する中国企業と米ウォルト・ディズニーは5日、事業を進めるための協力協定を結んだ。10月31日に閉幕したばかりの上海万博に続く大規模プロジェクトの建設が本格的に始動。2015年の開園を目指す。上海市によると、上海ディズニー計画を担う中国の国有企業「上海申迪集団」と米ディズニーが、上海で協定の締結式を行った。

あ。
あれ。

2013年が2014年になった~ってニュースを見たばかりでしたが、なんと2015年になってました(笑)

やーでも本当にできるんだなぁ…

私がシャンハイに来た当初(2007年)に地下鉄マップを見た所「ディズニーランド駅」がすでに書いてあったので「え?ディズニーランドなんてあるっけ?!」なんて思ってたけど、建設予定の段階で名前だけさっくり載せてあるのがすごいところです(日本語フリーペーパーの地図でしたけどね)


上海ディズニー事業、100社に経済効果
yahoo!ニュース

業界関係者によると、インフラ整備段階では、浦東建設、上海建工、隧道股フンなどが恩恵を受ける。香港ディズニーと上海万博の前例をみると、ディズニープロジェクトが始動すれば、道路、建築、トンネル、ホテル・不動産などの事業規模が大幅に拡大するとみられる。

 また観光・消費産業はインフラ分野よりも長いスパンで恩恵を受ける分野。「錦江之星」、「如家」、「漢庭」、「7天」などのホテル事業者は「ディズニー事業はホテル産業の経営を上向かせる」と期待を示した。周辺地域および上海市中心部の商業活動の活発化も期待できる。

 ディズニー効果は上海の枠を超え、華東地域の消費・観光業にも波及する。そうなれば、同市観光業はより多くの内外観光客、とくに宿泊客を取り込めるようになる。観光客が集まれば小売・流通業の発展も後押しし、同市の交通輸送関連企業の業績を直接後押しするだろう。

 ディズニー作品の映画・アニメの開発や、広告、出版・印刷業、有線テレビなど文化産業の成長も期待できる。


さぁて。
どうなることでしょう!?

香港ディズニーはあまり評判はよろしくないようで…

成功しているのは日本とアメリカだけ?

行く末をゆっくりと見守ってゆきましょう。

とりあえず、勝ち点3

2010年11月07日 17時15分23秒 | カシマ(Home)
J1第3節 鹿島vs名古屋
1-0で鹿島勝利

ほっ・・・

何とか、直接対決、勝ち点3とりました。
よかった!!
いや、まだ勝ち点8差あるし、残り5試合だから、コレから先の試合はもう1つも落とせないし、何より名古屋の結果次第…というところはあるんだけど、今日この結果でなければその可能性もなくなっていたわけなので…。

とにかく、奇跡だろうが必然だろうが偶然だろうが
4 連 覇
果たしてくれー!!

いつも仲良く

2010年11月07日 11時19分23秒 | 岩手

10月末、祖母が亡くなったため実家に帰って来たのですが。
その時、家族でおばあちゃんの思い出などを語ってました。
誰からともなく。

その時、母が

「ほら、よくさ、おばあちゃんがよく外で仕事してるとラムがそばに来てさ。
 幸せそうにぐったりしてたよね~」

と。
“ぐったり”っておかしいよ!!
幸せなのか、具合悪いのか、わかんないじゃないの。

って話をしてたんだけど、でもほんと、おばあちゃんちの犬はおばあちゃんとおじいちゃんが好きで、いつもそばにいて,大人しくしてた。私たちが遊びにいくと「やった!!散歩してもらえる!!遊べる!!」と大はしゃぎで突撃されるんだけど、犬は犬でおばあちゃんとおじいちゃんには優しく接しないと…と思っていたのか、祖父母の近くでは大人しくしてた。

確かに、幸せそうに、ぐったりしてた(笑)

エダマメをむいてたり、
とうもろこしの皮を片付けたり、
座って何かをしている時、犬はいつも横で大人しくしてた。

秋とか冬とか、寒い時は自分の毛布をハウスから引っ張りだして来て、少しでも日なたに近いところにそれを置いて、くるんと丸まって。

おばあちゃんちに遊びに行って、その様子を見るのはなんだかほのぼのしててよかったです。

ラムも今年の夏頃、亡くなりました。
今頃、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒にラムは幸せそうにぐったりしていることでしょう。。。

羽ばたく人々

2010年11月05日 20時03分49秒 | シャンハイから
上海に来て、初めて友達になった人は、その小ささを感じさせないくらい大きな人だった。

そして
とっても美人で
とってもマイペースで
とっても頑張り屋さんだったな。

引越し屋さんの、上海での営業担当だったんだけど「へぇ…物流会社って男性のイメージあるけど、美人さんがいるもんだ~」と思った。引越しのための書類をやり取りするため説明に来てもらった時、

「来たばかりで上海には友達がいない」

と言ったら、早速、食事に誘ってくれた。

それから何度も食事に行ったりしたけど、マイペースな感じで、「ここに行こう!」と彼女が提案した場所でも、気に入らなければお店に行った途端「なんか違う…」とすぐ別のお店に行ったりもしたし、休みの朝に電話かけてきて「これから仕事やねんけど昼前には終わるから岩盤欲行かへん?」と寝てる私を誘い出してくれたりした。

一番思い出深いのは、知り合って三ヶ月が過ぎた、クリスマスシーズン。
友達がリンカーンをチャーターし、シャンパンなどを持ちこみ8人ぎゅうぎゅう詰めで上海市内をドライブしたんだけど、新天地や外灘(という観光スポット)ではしゃぎすぎ、具合が悪くなった彼女を病院まで送り届けた。

私、その時の中国語力、ほぼなし!一緒にいた人が中国語と英語を話せたので、病院への説明は彼に任せたけど、病院からは「彼女が目を覚ますまで誰か一緒にいてほしい」と言われ、女性で、家が近い私が付き添うことになった。

翌朝彼女が目を覚まし、事情を説明し、慌てて会社に行った(どうしても外せないアポがあったので)

その一週間後、彼女は私の誕生日にモツ鍋に招待してくれて、サプライズでお花とケーキと歌(店員さんたちによる)を用意してくれていた。異国の地で、友達もほとんどいなくて、自分の誕生日が年末にも関わらず日本に帰れず(その前に出張で帰国していたので)今年は誕生日当日、異国の地で本当に一人ぼっちか…と思っていたのに、彼女がお祝いしてくれたのはすごく嬉しかった。(※会社の同僚にもお祝いしてもらいましたが、別の日だったので)

知り合って一年後、彼女は帰国してしまった。
本当に本当にさみしかった。

上海で初めてできた友達っていうのもあるし、彼女のような子はそうそういない気がする。
“自分”っていうのを、ものすごくしっかり、でもサラっと持ってる。

いつも笑ってて、いつも明るくて。
でも本当はすごく努力をしているし、前向きに頑張ってる!
肩肘はりすぎてないから、リラックスして会える。
だから、みんなから愛されるし、多少マイペースな事して振り回されても、許せちゃうんだなぁ。

最近、彼女の誕生日があったので連絡してみた。
彼女はついこの前素晴らしい転職を決め、結婚生活も、自分の趣味も頑張ってる。
そして今、私はこんな事でちょっと悩んでて…と2~3行書いたら

「私もすごい悩んだよ、気がおかしくなるんじゃないかってくらい。
 でも今は少しでも前に進んでいる感じがするよ。
 悩むって事は前に進む準備をしていることだから、納得いくまで悩んでね。」

だって。
こういう事言われると「何でもサラっと簡単にこなしているように見える彼女でも、いろいろ悩んで前に進んでいるんだな。私も悩むのはしんどいけど、がんばろう・・・」って素直に思う。

ありがとう。
これからも、友達でいてね。
あなたほどの人は、なかなか、現れないと思うわ。



コミュニケーションツール

2010年11月02日 23時16分29秒 | シャンハイから
昨日、21時頃、ドアをトントントントン・・・
と、優しく、しかし延々とたたく人、あり。

待て待て。
21時だし。
なんだなんだ?

でも以前、日曜の22時に私に預けていた鍵を取りに来た友達を、「誰だかわからない」という理由で1時間も外に放置してた事があった(友達は鍵も携帯も家の中に置いたまま、オートロックでがちゃり…財布はあったのでうちまでは来れた)ので、今回はドアにそーっとそーっと近づいてみました。

そしたら

隣のおばちゃんの声!!

「周おばさん?!」

と問いかけたら

「あ、いる?!」

と。

ドアを開けてみたら、隣のおばちゃんともう一人のおばちゃんが笑顔で立ってました。

「昨日来たんだけどいなかったから。平日はあなた、21時頃なら帰っていると思って。早速だけど誕生日いつ?」

何の事やらよくわからないけど、まぁ隣のおばちゃんも一緒だし大丈夫でしょうと思って、聞かれるままに誕生日、国籍、学歴、現在何のためにシャンハイにいるかなどを答えた(誕生日と行っても、年と月だけ言えばよかったらしく、日まで言ったら“それは秘密でいいのよ!”と。なぜだ。)。国勢調査みたいなものかな?項目は簡単な5~6個だけ。聞かれるままに答えた後記入してくれたシートを私に見せて「間違いはない?間違いがないか確認して、最後にサインをしてくれる?」と。パスポートも何も出さずに済んだけど、何だったんだろ?

ま、そんなこんなで「私先週、帰国してたの」というような話をしていたら、最近このマンションに日本人が引っ越して来た話に。(※このへんのエリア、このマンションともに日本人が少なく、欧米人が多いので希少な存在だった事からそんな話題に。)

「へぇ。その子は学生なの?」と聞いたら

「それがねぇ、わからないのよ。何せその子、上海語がわからないから、コミュニケーションとれないのよねぇ

だって。

それ言ったらおばちゃん私も上海語はわからないですから。
ちゃんと普通語(標準語)で話しかけたかなぁ…
(中国語は標準語をある程度話せたら方言も話せる…というレベルではありません。もちろん、外国人でも方言話せる人はいますが。文法も使う単語ももちろん発音も全然違います。)
もし学生で、最近引っ越して来たというならまだあまり上手じゃない可能性はあるけれども…。

今度見かけたら(って外見で分かれば、の話ですが)、話しかけてみようかな。


いまをいきる

2010年11月01日 21時46分22秒 | 岩手
前回の記事にも書きましたが、岩手に帰っていました。
昨日の夜、シャンハイへ一週間ぶりに戻ってきました。

帰る前に「そんなわけで帰国するよ」と連絡した友達に「こんな時に不謹慎だけど、やっぱり“送り人”みたいな事するの?」と聞かれました。その時は「あー、あれも確かに東北だけど、うちはやらないよ~笑」と答えましたが、母に聞いたら「あら、するわよ」との事。祖父が数年前亡くなった時の事、覚えてなかった…。あんな事してたっけかな。(母は「そりゃあもっくんみたいな人はいないけど」と。そこじゃない。)

***

亡くなったのはおばあちゃんだったのですが、私の祖父母4人はすべていなくなってしまいました。

小さい頃は母の実家近くに住んでいて、保育園の頃から父の実家近くへ引っ越したので、母方の祖父母とは時々しか会えなくなりました(同じ岩手県内なんだけど、何せ岩手県が広いもので車で3時間はかかる)。

その祖父母が時々遊びに来るのが本当に楽しみで楽しみで、自分が遊びに行くのも楽しかったんだけど、来てくれると、もしかして本当にこれからずっと一緒に暮らせるんじゃないかと思ったりして、すごく嬉しかったんです。

小学校の頃はだいたい平日に帰る事が多かったんですが、自分が学校に行っている間にいなくなるのがイヤでイヤで、仮病を使って休んだりしていました(時効です、時効)。

自分がちゃんと見送っても、それはそれで悲しくて悲しくて。
その話を今回初めてしたら、母からも「そうそう、あんたが一番いつまでも寂しがっていた」と言われました(→そうだったんだ!!とコレにはびっくりしましたが。)

***

私が小学生の頃、兄はもう家族と出かけるより自分の友達と遊んでいる方が楽しく、ある日予定していたドライブに行かないと言い出しました。

それがなぜかすごくイヤで、お兄ちゃんも一緒じゃなきゃダメだ!!・・・と泣いたのを覚えています。

とにかく、一人でも誰か一人別のところにいるのがイヤで、もちろん、自分だけ残されるのもイヤで…

そんな私が今、一番家族と遠く離れているんですが(笑)

父を16年前に亡くした時は悲しいとか寂しいより「信じられない」という気持ちだけでした。


***

自分より若い人を亡くすのと違って、自然の摂理と言えばそうなんだけど、やっぱり家族が減って行くのは本当に寂しい。
コレは、自分の力ではどうしようもできないし。


そういえば、私は「死ぬ」事は全然怖くないです。
あの世の存在だ何だというのを信じているという事もないんだけど、死んだら会えるかな?と思ってしまうから。
父や祖父母達が幽霊でもいいから会いたいな~なんて。

とは言え、今死ぬのは違うと思う。

なんて。
まるで消去法で「生きる」を選んでいるみたいですが、そんな事ないです。

ただ、生きている間は精一杯何かやりたいな、と、そんな気持ちです。