ミセスローゼンの道後日記

黄砂降る街を行き交ふ黒マスク



ユダヤ人のお金持ちが、娘がある夜の夢に見たお家を実際に建ててみたのがこの邸宅。幾つかの区画に切り売りに出されている。内見してもいい?と聞いたら、冷やかしはお断り、買うなら見せる、との事で見れなかった。



16日午前中、ホテルの部屋でクリスティーン・マ教授のインタビュー。ニックが6歳でチェロを初めた時の恩師エレノア・シェーンフェルドと、その姉で、ニックの兄のヴァイオリン教授だったアリス・シェーンフェルドの思い出を語る。マ教授はニックの妹弟子のチェリスト。アリスとエレノア姉妹の成し遂げた南カリフォルニア大学地区に於けるヴァイオリンとチェロ教育の偉業を讃える本を作っているという。

以下ニックの話の要約。

エレノア先生は大分前に亡くなり、アリス先生は今年98歳になられる。僕が初めて聞いたブラームスダブルは、南カリフォルニア青少年オーケストラと共演した若きシェーンフェルド姉妹の演奏だった。彼女らがどれほど美しかったか!完璧に施された髪型と化粧、香り立つ色気、それぞれヴァイオリンとチェロを持ち、ロングドレスでステージを横切る気品に満ちた完璧な歩幅!
姉妹がヨーロッパからカリフォルニアに渡って来て、裸一貫、時間500円のレッスン料で、当時教育熱心だったユダヤ人家庭を中心に、一週間毎日休み無く教え、結婚もせず姉妹寄り添い倹しく暮らし、コツコツ貯めたお金が今や姉妹の名を冠したコンサートホールやコンクールになった。

・ピアティゴルスキー先生就任以前に南カリフォルニア大学に居られたチェロ教授陣の話。
・楽器商に勤め(若き日の馬教授など)有望なチェリストに楽器の貸出を担当していたニックの母とシェーンフェルド姉妹の交友。ピアティゴルスキー先生の尽力と母の協力によりどんな楽器に巡り合ってきたか。

エレノア先生には音程中心に、テクニックを叩き込まれた。ピアティゴルスキー先生はまず音楽ありきだった。どんな音色で、どんな風に歌いたいか、それに有効なテクニックは何か。フィンガリングもボウイングも自力で考えさせられた。マスタークラスで僕らが披露した曲を聞いて初めて、ピアティゴルスキー先生は、どうすればより良い音楽になるか、良いパフォーマンスになるか、コンサートチェリストは如何に生きるべきか、という高みまで、幅広いアドバイスをしてくれたよ。

その中で特に姿勢に関して、両先生の教えが結果的に一致する物が多かったのは驚きでは無い。「君がこのような音色で弾きたいなら、このような姿勢で弾かねばならない。」というピアティゴルスキー先生の教えと、「このような姿勢で弾く事が豊かな音楽表現を作るのです。」というエレノア先生の教えと。姿勢が先か、音楽が先か。

僕は生涯一生徒だ。チェロ演奏に完成という時は永遠に来ない。七十歳の今も常に先生を探している。チェリストに限らない。亡きルジェロ・リッチーも良き友人で恩師だった。僕が弾きたい音楽に必要なボウイングはシンプル。デターシェ、レガート、スピカート、(アップ&ダウン)スタカート 、それで全て。だがルジェロの高地砂漠の家で教わった、彼がパガニーニを弾く時のボウバウンシング(弓を弦の上で跳ねさせる)テクニックは、以前に教わった事のない物だった。それ以来ボウイング・コレクションが一つ増えた。僕はボウ(弓)や楽器のコレクションに興味が無い。音色を作るのはボウではなくてボウイングだからね。練習あるのみだよ。
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