芋焼酎のつぶやき、バラとの戯れ & HbA1c・血糖値を下げる新しい糖尿病食事療法『糖質制限食』実践記録

A Days of Wine and Roses.酒とバラとイバラの日々。芋焼酎好きアラ還-バラ栽培と糖質制限に挑戦です

東日本大震災(平成の大地震) - その37 備忘録

2011年04月22日 | 大地震

■4月22日(金、43日目)
・くもり。昨夜10時23分千葉県東方沖を震源とする地震が発生。千葉県北東部で震度5弱、同北西部で震度4を記録

・原発に関しては検証記事が多くなってきた。長くなるが2つほど引用する。

・産経web---『福島第1原発 1~4号機「電源融通」できず 津波の猛威、ここでも「想定外」』
『東京電力が福島第1原子力発電所での深刻な事故を想定して作成した対策のうち、電源喪失時の主要対策が機能しなかったことが21日、分かった。原子炉の電源喪失が起きた場合、隣接する原子炉から電源を供給する手順だったが、1~4号機が津波で一斉に停電する想定を超えた事態となり、実施できなかった。復旧の遅れの原因になった可能性があり、対策を了承した国とともに妥当性が問われそうだ。
東電が作成したのは、設計上の想定を大幅に超える炉心溶融などの深刻な事故を防ぐため、必要な手順や設備などをまとめた「アクシデント・マネジメント」(過酷事故対策)と呼ばれる安全対策。平成14年5月、福島第1原発について報告書を作成し、経済産業省原子力安全・保安院に提出した。
……専門家は「津波で設計を超える事故が起きたうえ、さらにアクシデント・マネジメントでも想定外のことが起きた」と事態の深刻さを指摘している。アクシデント・マネジメントは1979年の米スリーマイル島原発事故を機に各国で導入が進み、日本では平成4年に原子力安全委員会が電力各社に自主整備を勧告。東電は16年、対策の整備により電源喪失や炉心溶融の恐れが減ったとする安全評価を保安院に提出し、了承されていた。』

・毎日jp---『検証・大震災:不信洗った、ヘリ放水 原発から白煙…政権「世界に見放される」』
『◇自衛隊が前面、米に覚悟示す
晴れ渡る空に陸上自衛隊の大型輸送ヘリCH47が2機、巨大なバケツ(容量7・5トン)をつり下げて仙台市の陸自霞目(かすみのめ)駐屯地を飛び立ったのは、東日本大震災6日後の3月17日朝だった。東京電力福島第1原発3号機からは白煙が上がる。使用済み核燃料プールの水が沸騰した放射性水蒸気だ。海水をくんで放水し、プールを冷やす前代未聞の作戦だった。「炉心溶融が進行していれば、放水によって水蒸気爆発を起こすおそれもある」。菅直人首相らは「最悪のシナリオ」を危惧し、防衛省は搭乗隊員向けにできる限りの防護策をとった。放射線を極力遮断するため戦闘用防護衣の下に鉛製ベストを着込み、床部にはタングステン板を敷き詰めた。原発上空に停止せず、横切りながら放水する方式とした。
「ヘリ放水開始」。午前9時48分、テレビ画像のテロップとともに映像は世界に生中継された。計4回(計約30トン)の放水で1回目が目標に命中したが、爆発は起きなかった。日本政府が命がけの作戦を開始した--。ニュースが伝わった東京株式市場では全面安の展開だった日経平均株価の下げ幅が緩んだ。
「自衛隊などが原子炉冷却に全力を挙げている」。作業終了から約10分後、菅首相はオバマ米大統領に電話で伝えた。その後、米国防総省は藤崎一郎駐米大使にこう伝えた。「自衛隊の英雄的な行為に感謝する」翌18日、米原子力規制委員会(NRC)代表団や在日米軍幹部と、防衛、外務当局や東電など日本側関係者が防衛省でひそかに会合を持った。米側の一人はヘリ放水を称賛した。「よくやりましたね」
相次ぐ水素爆発と放射性物質の広域拡散……。原発暴走を制御できない無力な日本という印象が世界に広がりつつあり、菅政権は「日本は見捨てられる」と危機感を強めていた。「放水はアメリカ向けだった。日本の本気度を伝えようとした」。政府高官は明かした。

「原発の状況が分からない」。米国のいら立ちは震災直後からあった。NRC先遣隊が12日の1号機水素爆発直後に日本に派遣されたが、複数の政府関係者によると、経済産業省原子力安全・保安院は「情報開示に慎重だった」といい、米政府は原子炉の現状を推測するしかなかった。14日には「トモダチ作戦」に参加していた米原子力空母ロナルド・レーガンが乗員から放射性物質が検出されたとして三陸沖を離れ、16日にはNRCのヤツコ委員長が下院公聴会で「4号機の使用済み核燃料プールには水がない」と証言。17日未明にルース駐日米大使が日本の避難指示より広範な原発から半径50マイル(約80キロ)以内の米国人に圏外避難を勧告した。一連の言動は日本への不信と強い危機感の表れと映った。
日米がかみ合わない中、打開に動いたのは防衛省だった。15日に東電側と相談して「3号機は上空、4号機は地上から」という放水作戦を立案。水蒸気爆発を懸念した菅首相は防衛省に「地上の前にまず上空から」と指示した。隊員から戸惑いの声も漏れたが、「やるしかない」と陸自幹部は覚悟を決めた。
16日の夜には北沢俊美防衛相と制服組トップの折木良一統合幕僚長が「放射線量の数値が高くても踏み切る」と「17日決行」を決める。「隊員の命にかかわる作戦だ」。17日朝、折木統幕長が東電から「安全」を確認すると北沢防衛相に最終的なゴーサインを告げた。「今日が限度と判断をした」。北沢防衛相はヘリ放水後の会見で言った。米政府は好感し、現実には冷却効果が期待できないヘリ放水は二度と行われなかった。【震災検証取材班】』

 

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