この本は出淵博も含め7人の文学者(主として英文学者)による対話の形で1冊が構成されており、1974年に学生社から出版されている。
川崎寿彦(1929年生 当時名大助教授)、森常治(1931年生 当時早大教授)、岩崎宗治(1929年生 当時名大助教授)、平井正(1929年生 当時東工大教授)、平岡篤頼(1929年生)豊田昌倫(1938年生 当時京大助教授),そして当時東工大助教授だった出淵が対話し . . . 本文を読む
今日はオーストラリアから観光に来たHさんご夫妻と日本人のMさんご夫妻と一緒に見事に晴天の花の鎌倉の名所を歩いて来た。そして夕食でもみんなでお腹をかかえて笑いつづけた後、夜の鎌倉駅でお別れして帰って来た。
日本人のMさんご夫妻とオーストラリア人のHさんご夫妻は、オーストラリア人と結婚してオーストラリアに住んでいるMさんの姪御さんの関係で親戚関係となるのだが、互いに顔を合わせるのは今日が初めてだった . . . 本文を読む
一昨日の私が会食した3人のアメリカ人、M弁護士とM夫人、それに同行のB夫人の3人はいずれも米国中西部の名門大学のイリノイ大学(University of Illinois)出身であることがわかり、会食での話が一段とはずんだ。
というのは私がかつてイリノイ大学のキャンパスのある大学町、シャンペーン、アーバナ(Champaign,Urbana)の近くの町に住んでいたことがあるからである。シャンペーン . . . 本文を読む
昨日話したレユニオンの後で私と別れの挨拶をした時に、アメリカから来た女性のBさん(バーバラさん)がひょうきんに右手を高くあげて、「GO!ILLINI!」と叫び私に笑いかけた。
明日この話をしよう。
ILLINI という単語は私の辞書をひいても出て来ない単語だ。
*画像は私が十数年持ち続けている帽子の正面についているマーク FIGHTING ILLINI という字と何かわけのわからないものがつ . . . 本文を読む
レユニオン(Reunion)という英語は英和辞書を見ると、1.a 再会の集い,親睦会; 同窓会,クラス会. b 再会. 2 再結合[合同].と書いてある。
以前私が米国に勤務していた時に特許訴訟でお世話になっていたシカゴ在住の米国人のM弁護士が香港、中国に行く途中に日本にも立ち寄った。米国で一緒に同じ仕事をしていた昔の私の若い同僚のN君が2月終わりごろにこのことを私に連絡をしてくれていて . . . 本文を読む
昨日は午前と午後、私が所属している2つの会の総会に出席した。2つの会とも会長が交代された。ボランティア活動の会長職はさぞご苦労が多かったことと思う。またボランティアの活動団体といえども、会長職を引かれるときにはいろいろと心残りもあることと思う。
勇退され別な方にバトンタッチされた思い切りに敬意を表したい。2つのうちの1つの団体は執行部が完全に一新された。一新といっても新しい執行部の方々は長い間旧 . . . 本文を読む
大学に入って2年目くらい(昭和31年1956年)のときだったろうか、出淵が能楽を見に行かないかと誘ってくれた。彼の東京にいた叔母さんが切符を送ってきてくれたからではなかったかと思う。出淵は大学に入学して学内のサークルは「喜多会」に入会していた。父君が謡いをたしなんでおられ、腹から声を出す謡は健康にもよいからというのが理由だと話していたが、もっとほかに理由があったのかも知れない。彼らしい心配りで、私 . . . 本文を読む
出淵博をこのブログで私がどういう風に呼ぶべきかについてかなり考えた。結局、出淵博もしくは出淵と書くことにした。これは私が例えば文豪志賀直哉のことを書くときには志賀直哉もしくは志賀と書くのと同じことである。呼びつけにしているわけではない。私が学生時代からの友人だからと言って、彼を出淵君と書くのはおこがましいというものだ。二人の間では、彼は私のことを佐藤君と呼んでくれていたし私も出淵君という呼び方以外 . . . 本文を読む
出淵博著作集の第2巻には彼の写真が載っている。著者遺影と書かれているのが悲しい。1988年撮影とあるから彼が53歳のときの写真だ。学生時代と全く変わらない青年の顔だ。彼のように自分の信ずることを正しく主張しつづけ、また書物を通じて古今東西の詩人たちと心を通わせ、また周囲の人に優しく、理想を語りつづけて生きていると人間はこのように若い時のすがすがしい顔をそのまま保てるのだろう。
遺影とあるが、しか . . . 本文を読む
これは出淵博著作集全2巻の2巻目のものである。題は「批評について書くこと」となっているが、この中には彼の58編もの小論が載っている。例えば第1編には次のような題の論文が並んでいる。
Ⅰ 英米現代批評の「現在」
・ハルマゲドンの日に ー あるいは英米批評
・ 批評について書くこと
・ イギリス批評界の胎動
・ 批評の現在 ― イギリスを視点として
・ <新旧論争>ケンブリッジ、1981
・ ‘E . . . 本文を読む
ダブリン市博物館の玄関にモード・ゴンの頭像があるのだそうである。晩年のイェーツがこれを見てつぎのような詩を作っているのだそうだ。
ここ玄関の右手、この青銅の頭像は
人とも超人とも見え、鳥に似た円い瞳を見ひらく
他のすべては枯れはて、ミイラさながら死んでいる
いかなる巨大な墓地の彷徨者が
遥かな空を翔るのか
(他のすべては死んでいるが、何ものかが徘徊する)
そしてそこに見出すものは、自分の恐ろし . . . 本文を読む