忠直卿行状記

2007-08-02 05:27:17 | Weblog
 とキャバ客の類似性。

 表題は菊池寛の小説でありまして、そこそこ有名では
ないかと。内容をかいつまんで申しますと、やや単純で
思慮の足りないところはあるものの、豪放磊落、ちょっと
のことは気にしない周囲の人間にも優しい根は善人の殿
様が、ある日下記のような家来の会話を聞いてしまう。
「殿の剣術の上達ぶりはどうじゃ?」
「いや、かなりなご上達じゃ。勝ちを譲るのに以前ほどの
苦労がなくなった」
このやりとりを聞いた殿様、今までの全部が家来のおべ
っかであったのかと何もかもが信じられなくなり、「ひとの
本当の感情がみたい。殿様としてではなくひとりの人間
として接して欲しい」という欲求から、家来や領民に対し
て悪逆非道の行いをふるうようになる、という内容であり
ます。

 「おべっか」や「世辞」というものに我々は常に囲まれて
おり、営業職のサラリーマンならこれを使わないと仕事そ
のものが不可能だろう。「人間関係」というものが存在する
ところ、すべてこの手のモノがなかったら関係が潤滑に運
ばない。同僚の子供の写真を見れば、「どこの星で発見さ
れた異性物だよこれ」などという、正直な感想は決して言
ってはいけない。「こりゃまたかわいいお子様で」というの
が常識というものだ。

 さて、キャバクラである。キャバクラというのは高い金出し
て若い娘さん(あまり若くない場合もあるが)の「会話の拒否
権」を買う。(うわーなにこの脂ハゲ。額のギトギト具合が人
間とは思えないよ)と思ったところで、「わたしこんなオッサン
の隣に座って話なんかできません。臭そうだし」なんてこと
を言うことはできない。「いらっしゃいませ。お酒お強いんで
すか」などという、これ以上ないほどのどうでもいい会話を続
け、客をある程度愉快にしないとならない。考えてみりゃ難
儀な商売である。

 そこではやはり「世辞」や「おべっか」が必須となってくる。
「ほんとですか。すごーい」とか「わたし、お客さんみたいな
ひとタイプなんですよ~」とか。こんな言葉をいちいち真に受
けていたら野暮の骨頂であるが、かといって「そんな営業ト
ーク聞き飽きたんだよ」という顔をするのもまた愚かしい話で
ある。ここはひとつ、脂オヤジの顔を見ながら、「お客さんみ
たいなひと、けっこうタイプですよ」などという、ストレスメータ
ーの針がレッドゾーンにはいりそうな「世辞」を言う娘さんのけ
なげさに感動し、「またまたまた。うまいねえ」と微笑みながら
答えるのが正しい。キャバ客が上記の忠直卿になるのだけは
避けないとならないのだ。

 安くもない金を払って「世辞」を買う。そういう店が尽きること
がないのは、世の中には「世辞」に飢えている人間が常に一
定数(それもけっこう多く)存在しているということだ。考えてみ
りゃこれらのひとの境遇は、上記忠直卿よりはるかにツライか
もしれない。