捨てられない性格

2005-10-26 22:28:20 | Weblog
 しかしモノが捨てられない、この性格はなんとかな
らんかと思う。それも有形のモノだけでなく、無形の
モノなかなかも捨てられない。例えばメールとかも。

 携帯の受信メールに関して「もうすぐいっぱいです
よ」サインが出た。仕方なく古いメール(二年も前)を
削除しはじめたのだが、それでもいちいち読みなが
ら消去している。結構とっておくメールがあったりす
るのがアレである。それよりもっとアレなのは、この
二年、わたしにメールを送ってくれた人間のほとんど
がキャバクラのねーちゃんだ、ということである。

 以前使用していたフリーメールが閉鎖されたとき、
受信メールを全部フロッピーに落としたことがある。フ
ロッピーに保存したからといって、わざわざそのメール
を見る、ということなどしたことはない。失ったからとい
って大きな影響のあるメールではないのだ。それでも
保存せずにはいられない。「捨てようと思えばいつで
もできる」 こう考えることこそが捨てられない性格の
あらわれ。捨てる人間は、こんな理屈を頭の中に作り
上げる前にモノの始末をしているのだと思う。

 物心ついてからこのかた、本を捨てた記憶がない。し
かも古本屋にたたき売った経験もないのである。捨てる
のは雑誌のみ。これでは、四畳半ひとつが本の山でつ
ぶれるのも当然であろう。

 買った記憶はたしかにあるが、部屋のどこにあるかよ
くわからない、という書籍が相当数ある。読みたいとき
すぐに手にはいらなければ、そんな本は「持ってない」
のと同じである。・・・・わかっちゃいるが整理ができない。
わたしの「整理能力の欠如」というのはほとんど生来の
ものなのである。ちょっと弁解口調ではありますが。

 とりあえず、最近書籍はあまり買っていない。読むに
値する面白い本はないか。やっぱりゲッツ板谷の本が
いいなぁ。このツキヌケぶりは、そうそうマネができるも
のではない。ゲッツ板谷、わたしの1歳下。わたしが町
田市の高校でグータラしていたとき、板谷氏の地元、立
川ではこういう諍いが絶えなかったというのが衝撃的。
町田というのは存外ぬるい街だったのかしれない。