昨日は口内炎にもかかわらず競馬場。競馬場でのわたしと
いえば、ゴール前で騎手の名前を絶叫していることが多いわ
けだが(「淳一ぃぃぃっっ、差せぇぇぇっっっっっ!!!」のたぐ
い)、口内炎で口を開くこともままならぬ状態、今日くらいは静
かにレースを見るかと思ったものの、なにせ長年の習慣、ここ
ろの底からこみあげる衝動を押さえるのは誠に難しく、結局は
いつも通り騎手の名前を叫んでしまった。といっても口内の激
痛を耐えるのもまた困難で、口から出た言葉は「かうはうぅ、あ
えぇぇぇぇっっっ!!」。ちなみに翻訳すると「勝春ぅっっっっ、差
せぇぇっっっっ!!」であり、周囲の人間が見たなら、「言語障
害のひとがその障害にもかかわらず競馬観戦の夢を実現した」
と思えたシーンだと思う。TBSあたりがドラマ化してくれるかも
であります。
しかし競馬場って所は、普段ならなかなか見られない人間の
「業」がかいま見られる空間であります。
素人が小説やシナリオ書くと、「あまりにも説明的な台詞」とい
うのが頻出して鼻白むことがあります。いや、素人ばかりとは限
らず、プロでも橋田寿賀子とかこの手の台詞を思い切り活用しま
すな。自らの置かれた状況、あるいは人物紹介、感じたことなど
を事細かに台詞としてしゃべる。「えー、あなたがあの年商百億、
業界でも5本の指に入る××産業の社長の息子さんだったんで
すか!?」なんていうのが具体例。現実に、こんな事細かな説明つ
けくわえる人間がいるわけはない。そんな訳で、こういう台詞は
シナリオにおいて評価が低くなる理由となるわけですが。
競馬場においては、この手の説明的な台詞がとびかっていて、
しかも猛烈なリアリティをもっている。「いやー、3連複1万円買っ
てたけど、人気二頭のからみだから、たいしてつかないな」 こう
いう台詞を、ひとりごととして言っているジジイが、それこそ佃煮
にできるほどいるのが競馬場なのだ。
高額配当の出たレースのあとなど、「惜しかった」オヤジが大
発生する。「最後の最後で迷ってこの馬切っちゃった」とか、「5
は買ってたんだよ5番は。でも2がくるとはなぁ」とか。どこが「惜
しい」のかよくわからず、話だけ聞いてると真っ向からはずしてる
んじゃねぇか、とも思えるのだが、本人にとっては「惜しかった。
もうちょっとでとれてた」というのが実感なのであろう。
その日の最終レース、3連単で公営ギャンブル史上最高配当
という、1800万馬券が出た。帰りの電車の中、ジジイどもの話を
聞いてると、「惜しかった」「あともうちょっとでとれてた」の大合唱
であった。なんとなく、「年金で夢見るのもたいがいにしろよ」と思
ったわたしであった。
いえば、ゴール前で騎手の名前を絶叫していることが多いわ
けだが(「淳一ぃぃぃっっ、差せぇぇぇっっっっっ!!!」のたぐ
い)、口内炎で口を開くこともままならぬ状態、今日くらいは静
かにレースを見るかと思ったものの、なにせ長年の習慣、ここ
ろの底からこみあげる衝動を押さえるのは誠に難しく、結局は
いつも通り騎手の名前を叫んでしまった。といっても口内の激
痛を耐えるのもまた困難で、口から出た言葉は「かうはうぅ、あ
えぇぇぇぇっっっ!!」。ちなみに翻訳すると「勝春ぅっっっっ、差
せぇぇっっっっ!!」であり、周囲の人間が見たなら、「言語障
害のひとがその障害にもかかわらず競馬観戦の夢を実現した」
と思えたシーンだと思う。TBSあたりがドラマ化してくれるかも
であります。
しかし競馬場って所は、普段ならなかなか見られない人間の
「業」がかいま見られる空間であります。
素人が小説やシナリオ書くと、「あまりにも説明的な台詞」とい
うのが頻出して鼻白むことがあります。いや、素人ばかりとは限
らず、プロでも橋田寿賀子とかこの手の台詞を思い切り活用しま
すな。自らの置かれた状況、あるいは人物紹介、感じたことなど
を事細かに台詞としてしゃべる。「えー、あなたがあの年商百億、
業界でも5本の指に入る××産業の社長の息子さんだったんで
すか!?」なんていうのが具体例。現実に、こんな事細かな説明つ
けくわえる人間がいるわけはない。そんな訳で、こういう台詞は
シナリオにおいて評価が低くなる理由となるわけですが。
競馬場においては、この手の説明的な台詞がとびかっていて、
しかも猛烈なリアリティをもっている。「いやー、3連複1万円買っ
てたけど、人気二頭のからみだから、たいしてつかないな」 こう
いう台詞を、ひとりごととして言っているジジイが、それこそ佃煮
にできるほどいるのが競馬場なのだ。
高額配当の出たレースのあとなど、「惜しかった」オヤジが大
発生する。「最後の最後で迷ってこの馬切っちゃった」とか、「5
は買ってたんだよ5番は。でも2がくるとはなぁ」とか。どこが「惜
しい」のかよくわからず、話だけ聞いてると真っ向からはずしてる
んじゃねぇか、とも思えるのだが、本人にとっては「惜しかった。
もうちょっとでとれてた」というのが実感なのであろう。
その日の最終レース、3連単で公営ギャンブル史上最高配当
という、1800万馬券が出た。帰りの電車の中、ジジイどもの話を
聞いてると、「惜しかった」「あともうちょっとでとれてた」の大合唱
であった。なんとなく、「年金で夢見るのもたいがいにしろよ」と思
ったわたしであった。