何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

何かに縋る為に  TOKYO REINBOW PRIDE

2016年05月14日 | LGBT



先日の5月7日、なんの予定も無くまた涙と寂しさに満ちた一日を送るのかなと思っていたが、友人からの誘いもあり、「TOKYO REINBOW PRIDE」という催しに行って来た。
祥一郎の写真を胸に入れて。

以前からこの団体のことは勿論知っていたし、LGBTの為の活動や啓発、パレード等を行っているのも知っていたが、別にまったく興味がないというわけではなく、行く機会がなかった。

それで今回お誘いも有ったので、行くことにした。誘ってくれた人がノンケというのも皮肉なものだが。


現地は代々木公園のイベント広場。

ゴールデンウィークということもあって、LGBTのイベントだというのに、そうでない人々も沢山居て、会場は人、人、人でごった返していた。

様々なブースがあり、ダンスイベントや、ステージで見た事も無い団体が歌謡ショーのようなものをやっていたり、勿論FOODコーナーもありで、まあ言ってみればお祭りだった。

このお祭りには目的があるにせよ、やはりお祭りなので、皆楽しそうに連れだって騒いでいる。

その中で、やはりこんな状態で心底楽しめない私には場違いだったかなと思いつつ、疲れてベンチに座りホットドックなどを食べながら友人を待っていた。

この日に先立つ二日前、このTOKYO REINBOW PRIDE関係の団体が、「ぷれいすトーク~話しにくい何かを抱える気持ちをシェアする会~」。という集まりを開催していて、私はなんとなくそれに参加してみた。
まあ基本はHIVキャリアの人達の語り場といったところだったが、そこで知り合ったスタッフに、LBGTの人で、パートナーを亡くした人達の団体が有ると聞き、TOKYO REINBOW PRIDE当日にもそのブースがあると言うので、今回参加してみることにした。

その団体の名称は「DWR ドント・ウォーリー」いうもので、まだ立ちあげて間も無い団体らしく、これから色々と活動する予定のようだった。

しかしその団体の代表の方から名刺をもらい、毎月一回日曜日に、同じLBGTの死別者の方々が語り合う集会があると聞いたので、簡単な説明を聞いてきた。

本当ならこの日は3回目のグリーフカウンセリングの日だったが、藁をもすがるような状態の今、アンテナをかざして、私のような悲嘆にくれる人間同志が少しでも心を共有できる場があるのならと、この催しに参加したのだ。

件のDWR ドント・ウォーリー」の集会は月一回日曜日なので、シフト制で働いている私に参加できるチャンスがあるのかどうか分からないが、もし機会があるのなら参加してみようと思っている。


私は今、足掻いているのだ。

祥一郎を亡くした悲しみや孤独感、喪失感や後悔などの感情は一向に小さくならず、寧ろそれが私という人間の全てを支配している。

それは私が死ぬまで続くのかもしれないし、それはそれでいい。

しかし同じような体験をしたもの同志、語り合い寄り添い合うことで、少なくとも一人ではないと思えるのなら、耳をそばだてて情報を得ることも必要なのかもしれない。

例え祥一郎を喪った様々な感情がこの先も何ら変化する事が無いとしても、それを私の血や肉とし、心の中心に据えながら、足掻いていくしかないのかもしれない。

私のこの先の人生で、もう祥一郎のような存在に巡り合う事は無いのだから。


祥一郎・・・・・・・・・・

おっちゃんは生きて行くのだろう。生きて行くしか無いんだろう。

もう沢山だ、もうこの世に未練は無いといっても、死ぬ術と勇気が無い以上そうするしか無いんだろう。

だからお前を喪ってしまって、足掻くしかないんだよ。

何かに縋ろうとしながら、足掻くしかないんだよ・・・・・・・・・・・

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