何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

悲しみと友達になれる日

2016年05月06日 | 死別体験


ゴールデンウィークで、嫌でも家族連れや、カップルが目につくからだろうか、精神的にどんどん落ち込んで行くのが分かる。

なにやら世間の空気までが薄桃色で、幸せに満ちているのかと思うと、何故自分だけが、何故私と祥一郎がこんな目に遭わなければならないのかと、何にこの思いをぶつけたら、少しは楽になるのかと、
そんなことばかり考えてしまう。

底知れぬ寂しさにやり切れなさに、この身が粉々になりそうだ。

身体は12kgも激痩せし、栄養を欲している。

でも、精神的に受け付けない。食べる事が、生きる為に食べる事が罪悪としか思えない。

祥一郎はどんな思いを残して逝ってしまったんだろうと思うと、生きること自体が罪深いことなのだと考えてしまう。


これが、最愛の家族を亡くすということか。

こんな思いを、こんな災厄を、乗り越えて生きている人が居るのだろうか。
いや、居るのだろう。

だからこそグリーフケアに通って、そのヒントを得ようとしている自分が居る。

同じ悲しみを持った人が集うブログ村に登録して、他の方々のブログを漁るように読んでいる。

私の心は、奥底で助けを求めているのだろう。


悲しみに満ちて涙を流し続けることが、残された私が祥一郎にしてやれる唯一の事だとそう思いながらも、どこかで助けを求めているのかもしれない。

人は最愛の人を亡くした後、悲しみだけで生きてはいけないのかもしれない。

どこかの時点で、現実としての悲しみが、記憶になっていくのだろうか。

愛する伴侶を喪うということは、悲しみ以外のなにものでもない。

でも、悲しみというものは、生きる糧にはやはりなり得ないのかもしれない。
それだけでは人は生きていけないのだろう。


そうなるまでどれだけの時間がかかるのか、それを考えると気が遠くなるような気もするが。

祥一郎の為に悲しむのだ、涙を流すのだと格好をつけたところで、やはり辛い物は辛いし、苦しいものは苦しい。

笑って・・・・とはいかなくとも、落ち着いて祥一郎の死を誰かに語れる日が来るようにと、私はどこかで思っているのだろう。

そう、悲しみと友達になる・・・・

悲しみは消えないまでも、それと折り合いをつけること・・・・・それができた時点で、ある意味乗り越えたということなのだろう。


祥一郎よ・・・・・・

おっちゃんにそんな日はいつ来るのだろう。

お前は、おっちゃんがそんな日を迎えたら恨むかい?

「おっちゃん、僕の為にずっと死ぬまで悲しんで欲しい。」と思うかい?

それとも、
「おっちゃん、それでいいんだよ。そうやって生きて行って。」

と、言ってくれるのかい?

愛する祥一郎よ・・・・・・・・


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

黙して語らないアイフォン  祥一郎の一年余りの軌跡

2016年05月06日 | 死別体験


先日、アップル社が、米連邦裁判所からのパスコード解除命令を拒否したとのニュースがあった。

https://securitynavi.jp/916

銃乱射事件捜査の為に、犯人の持っていたアイフォンのパスコードロックを外すことは、大勢のユーザーの情報が漏えいする危険があるというのが理由だそうだが。


世界的企業であるアップル社が、連邦裁判所の命令さえ拒否するほどセキュリティに拘ることは、理屈としては理解できる。
悪用しようと思えばいくらでも出来る可能性があるだろう。


祥一郎が亡くなった時、私は頭の中が混乱し、何をどうしたらいいのか何から始めればいいのか、茫然自失していた。

しかしその中で、一年余り前からやっとガラケーからアイフォンに二人同時に替えたその端末、祥一郎の端末を早く解約しなければならないという思いに取りつかれていた。
もう使用する人が居なくなったものを、使用料もかかる上、そのままにしておくわけにもいかないと、亡くなって何日か後にauショップで解約してしまった。

そう、後でその行為がとてつもなく私を後悔させることになるのも知らずに。

祥一郎を荼毘に伏し、四十九日も終った頃、私はとんでもない事をしたと自覚し出した。

直近の一年あまりに祥一郎がやり取りしたメールや電話の記録を見ることができなくなってしまったのだ。
祥一郎が設定しそうなパスコードを何度か試してみたが、どれも虚しく弾かれ、何度か間違ったコードを試してしまったので、もう試すこともできなくなってしまった。

徐々に体調が悪化する中、誰かにその思いを伝えていたかもしれない、助けを求めていたかもしれないと思うと、つくづく私は愚かなことをしたと思う。

まだ契約を解除せずに、慎重にパスコードを選び、試してみるべきだったのだ。

そしてもっとこの件について詳しい人に相談しながら、あいつの端末の情報を何とかして取り出すべきだったのだ。

auショップに相談に行って契約解除した後、パスコードの件はアップルショップに行ってくださいと言われ、アップルショップに電話相談すると、「もうそれは初期化するしかありません。その場合中の情報も消去されます。」とけんもほろろに言われた。
私は泣きながら理由を話し、懇願したが、アップル側から返ってくる返事は「申し訳ありません、それは出来ません。」のみ。

渋谷のアップルショップに直接行って相談もしたが、まったく同じ返事しか返ってこなかった。

考えてみれば、米連邦裁判所ほどの大きな機構が命令したことをアップル社が拒否したほどの問題だ。
そんな重要な問題を、日本に居る、私のような一個人が、例え亡くなった伴侶の情報を取り出したいという理由があったとしても、それを「はいわかりました。ご協力します。」となるわけがない。

それから私は、万策尽きてアイフォンに替える以前にあいつが使用していたガラケーから、メールのやりとりや電話の履歴を調べ、連絡が取れる人には取っていった。

結局見つかったのは、祥一郎が亡くなる直前までLINEでやりとりしていて返事が来ないことをいぶかしんでいたあいつと何度か会ったことのあるゲイの友人と、何年もメールで同じ趣味であるコスメ話をやり取りしていた京都の女性のメル友だけ。

そのゲイの友人は自宅まで訪れてくれて、iiTunesに接続したことがあるのなら、バックアップが残っているかもしれない、でもそれにもパスコードが必要だから、根気良く何度も押してみる必要があるとのこと。友人自ら私のパソコンで行ってくれたが、上手く行かなかった。

各方面の詳しそうな友人知人に相談するも、根本的な解決法は見つからず。

怪しげな秋葉原のデータ復元ショップに連絡しても、「それは中のデータを初期化するしかありません。」との同じ答えしか返ってこない。

どこかに違法スレスレのやり方で復元するショップを探せばあるのだろうかと思うが、未だそれは見つからず。そもそもそんなショップがネットにHPを乗せてはいないだろう。

こうして祥一郎が亡くなる直前まで使っていたアイフォンは、真っ黒な画面のまま何も語ってはくれない。
直近まで祥一郎とやりとりしていた人達とは、殆ど連絡を取り合える可能性は無くなってしまったのだ。

祥一郎・・・・・・・

おっちゃんは愚かな事をしたね。

まだ契約解除もせずに、もっと慎重にことを運んでいたら、お前の少なくとも2015年のプライベートや、連絡する必要がある人が見つかったかもしれないのに。

今頃お前とまったく連絡が取れなくて、心配している人も居るかと思うと、つくづくおっちゃんは馬鹿だったと思う。

ごめんね・・・・・・お前のアイフォンはきっといつまでも真っ黒な画面で、何も語ってはくれないのだろうね・・・・・・

それがお前に申し訳ないし、切ないよ・・・・・・。



にほんブログ村 家族ブログ 死別へ