Moritarei2000の美術探訪

美術(絵画、工芸品)と美術館に関する探訪を主体に、
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エル・グレコとムンク

2017年02月28日 | 絵画

        

マニエリスムのエル・グレコ「福音書記者聖ヨハネの幻視」と、表現主義のエドワルド・ムンク「叫び」を比較する。ムンクの作品は、明らかに、デッサンよりも色彩のリズム、更にはデフォルメを使用した人物表現など、現代の抽象画につながるものである。

この様な絵がないかと探していて、エル・グレコの絵が同じ印象、デッサンよりも色彩のリズム優先、マニエリスムによる人体比率のデフォルメなどに気が付いた。

 この2つの絵を比べてみた。

 

 

福音書記者聖ヨハネの幻視(エル・グレコ)
 エル・グレコの最晩年の作(1610年頃)で、マニエリスム様式の最後期の作品である。天を仰ぐ聖ヨハネを強調する異常に長い手足、非現実的な空間構成、原色を多用した表現などが特色である。色に注目すると、聖母マリアの象徴の赤と青、イコンで使用される色の意味を感じる白、緑、黄、茶等から、宗教的図像の影響が分かる。
 画題が珍しいので、図像的な制約が少ない、言葉を変えると自由に構成できることになる。このため、画家の心が宗教に縛られているとはいえ、この絵は作者の自由な心象風景である。
 多少の矛盾はあるが、中央から当たっている光、人物の動き、一瞬間を切り取った画面等はバロックを予感させる。

 絵画はルネッサンスを境に、大きく変化する。即ち、貿易等により豊かになった市民階級、王侯貴族が芸術としての美を求め始めたこと、対抗宗教改革の影響、ヨーロッパ内の交流が盛んになったこと等で、絵画表現が大幅に進化し始めた。さらに、油彩とキャンバスが発明されて、技術的制約が取れたことも、これにおおきく貢献している。
 簡単に、この変化を見ると、自然な進展と感じられるが、静的であったダ・ビンチ(15世紀末)から、人間表現の美を求めたミケランジェロ(16世紀初頭)の人体比率、光と色の美を求めたティツィアーノ(16世紀中葉)等の自然な発展があった。

ミケランジェロや、ティツィアーノの彫刻や絵から、人体表現の美を求めた人体比率、多様な美の表現を求めてマニエリスムが起こってきた。17世紀初頭、ヨーロッパ諸国では、マニエリスムは耽美的で奇妙な絵へと変化し、終焉を迎えた。しかし、カトリックの影響が強かったスペインでは上記の傾向は少なく、写実と美を両立させたエル・グレコの絵は、批判はあったものの、宗教画として受け入れられた。

 
叫び
 ムンクの29歳の作(1893年)で、表現主義様式の最初期の作品である。遠近法の消失点まで伸びる欄干、歪み盛り上がった海、赤くリズミカルな空、喜びとも驚きとも取れる人物、すべては写実と色彩から自由になり、画家の感情を表すことを中心にしている。デッサンよりも、色と構成による心の表現に重点を置いている。

「福音書記者聖ヨハネの幻視」から300年後の作品である。マニエリスムやベネチア派の絵は、次のバロック絵画を予感させた。しかし、その重さを克服するため、軽快でリズミカルなロココ様式がフランスを中心に生まれた。
 ロココ以降は宗教的桎梏はさらに緩くなり、画家が自由に自我と美を求め始めた。光の追求、形の追求、空間の追求等、画家が芸術的良心に基づき美と感性を具現した。

一方で写真が出現し、その写実性と物の存在感を示す能力の高さに対抗するため、形の本質、色の本質を表現しようとする試みが出てきた。印象派やポスト印象派などである。画面に立体感や質感を表す必要は、必須のものではない。浮世絵の色使いが、ポスト印象派に影響を与えたのは、このような理由からである。さらに、この表現法を追求したのが、その一例として、ムンクである。


エル・グレコとムンクの比較
 人物表現を見ると、エル・グレコは人体比率を伸ばしているが、ムンクは、デフォルメを行い、はるかに表現の自由度が高い。前者の空間構成は人物の大小によるが、後者は遠近法と濃い青色の使用により、空間の奥行きを自由にコントロールしている。また、後者は色の種類は少ないが、感情表現は豊かである。この様に、詳細に見ると、300年の間に絵画表現の自由度が大幅に向上した。



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