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Moritarei2000の美術探訪

美術(絵画、工芸品)と美術館に関する探訪を主体に、
芸術に関する個人的な考えも発信する。

インドの美術概観

2018年09月24日 | 美術論

 

1 社会と美術の概観

 インド美術は、宗教の盛衰と、異民族による被征服の歴史とは切り離せない。インドの歴史はハラッパ・モヘンジョダロに始まるが、ここではヴェーダ―時代から始めることとする。

 

2 ヴェーダ―時代 (BC1500~BC600)

 寒冷化と食糧不足によるインド・アーリア民族の大移動(侵略)で、インダス文明は終焉を迎え、インドにおけるアーリア人の支配が確立し、バラモン教の聖典ヴェーダ―が完成し、マハーバラタ等の神話が成立した。

 

3 宗教改革期(BC500~BC300)

 バラモン教の四姓制度が現実に合わなくなり、宗教改革の一環として、仏教・ジャイナ教が起こった。また、バラモン教も土俗の宗教を取り入れヒンズー教へと変化した。まだ、仏像は存在しなかった。

 

4 仏教興隆期(BC300~AD400)

 北西部ではギリシャや中央アジア民族による征服王朝が勢いを持ったこともあるが、土着化したアーリア人のマウリア朝がインドを統一した。

 マウリア王朝の保護もあり、仏教は全盛時代を迎える。石窟寺院を含む多くの寺院が建てられ、クシャーナ朝で、仏像が誕生した。

サーンチの彫刻、ギリシャ的な釈迦の苦行像・菩薩像、土着的なマトゥーラ仏、アジェンタ・エローラ等の石窟寺院の石像・壁画、サールナート等の仏教遺跡と、黄金期であり、この時代の代表作を1つに絞ることはできない。

 

5 ヒンズー教の隆盛と仏教の衰退(AD400~AD1200)

 北インドでは、外部勢力の度重なる侵入と小国乱立の戦乱の時代である。仏教は支持基盤の商人階級の脆弱化、教義研究への傾斜などで衰退傾向であり、イスラム勢力の征服により姿を消した。バラモン教は土俗の宗教と習合してヒンズー教として変化し、大きな勢力となった。

 ヒンズー教文化の黄金期であるが、北部では偶像崇拝を禁じるイスラム勢力の影響で寺院や神像は破壊された。これは仏教も同様である。しかし、デカン高原以南はこれが当てはまらず、石窟寺院を含め、ヒンズー・仏教・ジャイナの遺跡が残っている。カジュラホの遺跡群がすべてのものを飲み込むヒンズー教の土着性を示している。

 

6 イスラム支配(AD1200~AD1850)

 当初、イスラム勢力はインド在来の文化に対して敵対的であった。ムガール帝国になって、融和へと方針が変わり、土着の勢力もマハラジャとして共存していた。

 イスラム建築の花としてのタージマハール廟、イスラムとしては例外的に人物を描いたムガールの細密画はこの時代の代表である。

 

7 最後に

 インドの美術を概観すると、ヴェーダ―時代以前を除くと、宗教とのかかわり、あるいは束縛が、イスラム文化圏に次いで強いと言える。


ブルッセルの美術館 1

2018年09月13日 | ベルギー・オランダの美術館

王立美術館は、グランプラザから、ブルッセルセントラル駅を通り越して、公園を登ると、数分で到達する。入り口は控えめだが、規模と内容はピカイチである。

 

美術館は、大きく3つに分かれている。

 オールドマスター  イタリア、北方ルネサンスの良い作品

 世紀末  ドイツを中心とした1900年前後の表現主義を主体

マグリット 今となっては、古典となったが、マグリットを中心とする20世紀初頭のコンテンポラリー(現代の意味)アート、シュールレアリズム中心

 

マグリットが素晴らしかった。第二次世界大戦前までの西洋現代美術の良い意味での、

概念が確立できた。

これから、ウイーンにも行くので、世紀末の意味がもっとはっきりわかると思う。

 


アントワープの美術館 3 マイエル ヴァン デル ベルグ美術館

2018年09月11日 | ベルギー・オランダの美術館

ルーベンスハウスから歩いて数分のところにある。

個人の邸宅を、彼の蒐集したび美術品、主として絵画を展示する美術館にしたものである。このため、入口が少しわかりずらい。

個人の邸宅としては驚くほど立派である。

日本の印籠、根付、薩摩焼が恥ずかしそうに展示されていた。

訪問しても損はない美術館だと思う。


アントワープの美術館 2 ノートルダム大聖堂

2018年09月11日 | ベルギー・オランダの美術館

ノートルダム大聖堂を美術館と呼ぶのはおかしいが、アントワープ王立美術館の協力で、ギルドごとに祭壇画を飾るという試みをしている。多くの、異なった画家の祭壇画を見る良い機会であり、また、祭壇画の背面の絵をじっくりと見ることができるチャンスである。

実際の展示方法は、副陣と本陣との間にある各大柱の前に祭壇画を置くという方式である。

これは、中世のオリジナルな祈祷方式に戻すという試みである。各ギルドの祭壇画の中で、ルーベンスがひときわ目立った。これは、単に絵が大きいだけで無く、光の使い方が、劇的であることが大きい。

個人的には、このような配置は大聖堂の、荘厳さを損なうように感じた。


アントワープの美術館1 ルーベンスハウス

2018年09月09日 | ベルギー・オランダの美術館

毎年、ヨーロッパの美術館巡りをしている。今回も、速報的に感想をまとめる。詳細は帰国後に投稿する予定です。

 

ルーベンスハウス

アントワープといえば、ルーベンスということで、ルーベンスハウスを訪ねました。アントワープセントラル駅から、目抜き通りを、ぶらぶら10分程度歩くとすぐに着きます。

大きな工房で、庭も立派です。当時のギルド製の絵というものがわかります。

展示は豊富で、解説書を無料で配布してくれるので、便利です。

アムステルダムのレンブラントハウスと比べると教会から注文を受けるルーベンスの豊かさがわかります。