1 社会と美術の概観
インド美術は、宗教の盛衰と、異民族による被征服の歴史とは切り離せない。インドの歴史はハラッパ・モヘンジョダロに始まるが、ここではヴェーダ―時代から始めることとする。
2 ヴェーダ―時代 (BC1500~BC600)
寒冷化と食糧不足によるインド・アーリア民族の大移動(侵略)で、インダス文明は終焉を迎え、インドにおけるアーリア人の支配が確立し、バラモン教の聖典ヴェーダ―が完成し、マハーバラタ等の神話が成立した。
3 宗教改革期(BC500~BC300)
バラモン教の四姓制度が現実に合わなくなり、宗教改革の一環として、仏教・ジャイナ教が起こった。また、バラモン教も土俗の宗教を取り入れヒンズー教へと変化した。まだ、仏像は存在しなかった。
4 仏教興隆期(BC300~AD400)
北西部ではギリシャや中央アジア民族による征服王朝が勢いを持ったこともあるが、土着化したアーリア人のマウリア朝がインドを統一した。
マウリア王朝の保護もあり、仏教は全盛時代を迎える。石窟寺院を含む多くの寺院が建てられ、クシャーナ朝で、仏像が誕生した。
サーンチの彫刻、ギリシャ的な釈迦の苦行像・菩薩像、土着的なマトゥーラ仏、アジェンタ・エローラ等の石窟寺院の石像・壁画、サールナート等の仏教遺跡と、黄金期であり、この時代の代表作を1つに絞ることはできない。
5 ヒンズー教の隆盛と仏教の衰退(AD400~AD1200)
北インドでは、外部勢力の度重なる侵入と小国乱立の戦乱の時代である。仏教は支持基盤の商人階級の脆弱化、教義研究への傾斜などで衰退傾向であり、イスラム勢力の征服により姿を消した。バラモン教は土俗の宗教と習合してヒンズー教として変化し、大きな勢力となった。
ヒンズー教文化の黄金期であるが、北部では偶像崇拝を禁じるイスラム勢力の影響で寺院や神像は破壊された。これは仏教も同様である。しかし、デカン高原以南はこれが当てはまらず、石窟寺院を含め、ヒンズー・仏教・ジャイナの遺跡が残っている。カジュラホの遺跡群がすべてのものを飲み込むヒンズー教の土着性を示している。
6 イスラム支配(AD1200~AD1850)
当初、イスラム勢力はインド在来の文化に対して敵対的であった。ムガール帝国になって、融和へと方針が変わり、土着の勢力もマハラジャとして共存していた。
イスラム建築の花としてのタージマハール廟、イスラムとしては例外的に人物を描いたムガールの細密画はこの時代の代表である。
7 最後に
インドの美術を概観すると、ヴェーダ―時代以前を除くと、宗教とのかかわり、あるいは束縛が、イスラム文化圏に次いで強いと言える。