1 時代的背景
火焔型土器は、5000年前頃(縄文中期)、信濃川流域に出現し、僅か500年で突然姿を消した。出現時は縄文海進が終わり、現在とほぼ同じ気候になり、消滅時は寒冷化が進んだ時である。
遺跡数が最大に達した時(生活に余裕ができる)に出現し、遺跡数の減少(生活の困窮化)と共に消滅している。
2 技術的側面
本土器の粘土は現在と大差なく、竪穴・横穴窯で十分に焼ける。即ち、縄文土器の歴史から見て、造形に手間はかかるが、少しの訓練で、誰でも制作可能といえる。
ほぼ突然、信濃川流域のみで、独自に発展したものである。
3 鑑賞
造形芸術品は単体でも素晴らしいが、その背景等の付加価値により、更に想像を膨らませる。
自然の豊かさに依存し、アニミズム的に神・精霊を畏れる生活であった。畏れは写実的な
土偶がないことで暗示される。
食物は豊富になり、越冬は怖くない。雪深い地域で、冬に時間的な余裕が生まれた。薄暗い竪穴住居で、春の来るのを祈りながら、土器を作る。春に、動植物が生まれ出るように、また、料理に重要な火に感謝しながら、その思いを日常使う土器に飾り付けていく。望みが叶うよう隙間なく模様で埋める。しかし写実的なものは憚れる。
この呪術的な祈りが、現代日本の心の奥の「万物みな仏」、「縁起担ぎ」に繋がり、我々の心を動かす。