アナクロメディア

気がついたら、あやしい広島弁で書いとったけん。ネコとかスローライフとか部屋の片づけとかの日記ですけん。

じゅなんのはいけいじゃけん

2005-01-16 23:33:05 | ネコですけん
 また、つらい日がやってきた。世間的には、阪神淡路大震災の日。そして、湾岸戦争の開戦。個人的には、愛猫の命日。この日だけは、どうやっても楽しい気持ちにはなれないよ…。
 それにしても、去年から自然災害が相次いでいるね。我が物顔で地球環境を汚してきた現代人への警鐘だとか、戒めだとか言う人もいるんだろうけど、別に科学的に説明のつく出来事が重なってるだけだよ。ま、確かに現代人は凄まじい環境破壊で自然環境に重篤な危機をもたらしてるけど、それが地震や台風の原因になってる訳じゃないよ。
 二酸化炭素の排出による温暖化で、台風が増えてるっていうのはありそうだけど、過去にも大きな気温の変動があったのも事実。
 地震に関して言えば、プレートテクトニクスで説明できる。大きな地震や、火山噴火っていうのは、割とまとまって起きているんだ。
 日本国内の事で言えば、18世紀の後半なんてそう。有史以来最大の死者を出した、雲仙普賢岳の噴火、天明の飢饉の切っ掛けとなった浅間山の噴火(ただし、同年にアイスランドのラキ山で大きな噴火があり、その降灰も合わせて北半球が寒冷化したと言われている。後のフランス革命の原因となったのは有名な話)それに、記録に残る最後の富士山の噴火もこの時期。これは、大平洋プレートが大きく動いて、地震や噴火といった形でエネルギーを放出したと考えれば、納得できるよ。もっとも、学術的にはもっと複雑な理由もあるんだろうけど、オイラのシロウト考えでも、割といいセンいってるかな。
 とにかく、このところの災害は、単に自然現象なんだ。人心の荒廃とか、環境破壊のしっぺ返しなんかじゃないよ。
 嫌悪感を感じるのは、単純に犠牲者の数が災害の規模の尺度になってるような雰囲気。インド洋の十数万人も、神戸の数千人も、新潟の数十人も、予告もなく人生を断ち切られた人たちに変わりはない。一人一人の悲しみに、大きな違いはないんだよ。オイラにとっては、1月17日は命の重さを噛み締めた記念日だから、改めて大きな災害の報道の裏側に存在する悲しみの一つ一つを考えてみたい。
 みんなはどう?。災害報道はエンターテインメントじゃないよ。おもしろがって見てると、噛み付くよ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿