もめん亭の部屋

♪♪ようこそのお運び有難うございます♪♪
皆様との「一期一会」お待ち致しております。 

福島ライフエイド・・・炊き出し

2011-03-25 00:26:12 | 東北地方太平洋沖地震

福島ライフエイド・・・と言うボランティアが立ち上がり活動している所に私も参加させてもらっています。
 福島市の中心市街地で働いている飲食店数名が地震当日集まり
 「今日自分達にできること」は「炊き出し」とある飲食店オーナーが
 言い出し、3月11日当日の夜、避難場所として近所の
 福島県立橘高校に避難者が集まっているとの情報により
 カセットコンロで炊き出しを始めたことが始まりでした。
 あまりにも予想を超えた惨状である今回の災害をニュースで知り、
 私たちが住む福島市にたくさんの避難者が集まってくるだろう
 との想像をしました。
 あらためて飲食店に従事するものとして、この非常事態に少しでも
 困っている方のお役にたてる事をしようと、翌日の12日には
 近隣の飲食店仲間も集まりこのボランティア団体のベースができ、
 「福島ライフエイド」としてスタートしました。
まずは・・・ のブログをご覧下さい。

http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_lifeaid

http://ameblo.jp/hirohaku/entry-10833753321.html

昨日・今日はあづま総合体育館での炊き出しです。

3月も終わりに近いと言うのに、昨日は雨から雪、今日も帰る頃には止みましたが雪が降りました。 体育館で毛布の生活…の方々の切なさを思うと本当に胸が痛みます。

理想の炊き出しhttp://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_lifeaid/2700685.html

一昨日、リーダーの方たちが今後のボランティアのあり方として…避難所におられる方(文さんとおっしゃって、双葉町でラーメン屋さんをしておられたそうです)と話し合う席を設けて、調理の指揮をその方にお願いして、我々ボランティアと福大生・避難地近辺の中学生そして…避難所の中の方の参加での理想の炊き出し作業が始まりました。

普段は、ご飯はまだか?と…口だけのご主人が、「こんなこと初めて」と言ってレタスをちぎってくれたり、玉ねぎを切るのを手伝ってくれたり…もちろんご婦人がたも体を惜しまぬ働きを。

「俺のちぎった、切った…玉ねぎはこれかな」・・・と美味さも倍増だね~などと世間話もしながらの作業でした。

手伝ってくれた・原町から避難していると言う方は漁師さんで、津波の大きさは半端でなく横一列で押し寄せて来て(2度も来たそうです)とても怖かったそうです。

8メーターもある波・・・2階建てでさえ4メーター、想像するだけでも身のすくむ思いでした。

まさか、原発の問題が出てくるとは思ってもおらず、地震や津波の余波が治まればと、避難の誘導に簡単に従ってしまったので、着の身着のままで何も持ち出せていないとの事。

それでも明るく振る舞って手伝ってくださる被災の皆さんでしたが、先の不安・・・は否めません。

一日も早い原発の安全宣言が無い限り、本当の復興に向かっての一歩は始まらないであろう事を思うと・・・春も・・・遠のく感じです。

 


“切り札は常に俺達の中にある!!”

2011-03-23 10:27:55 | 東北地方太平洋沖地震

誰かが動けば、誰かも動く。

上記の言葉も、タイトルの文字もブログの応援メッセージの中で見つけた言葉です。

昨日も、あづま総合体育館の1500人分に近いカレーの野菜カットの作業の手伝いと(実行班が現地で調理)福島高校体育館へお餅(あんこ・きなこ・ずんだ)を届ける班に参加。

とりあえず、飲食店関係の従事者(40~50歳の5名ほど)が主軸ですが、後は福大生だったり若者サポーター。 また民芸所属だと言う(福島出身で動かずにはいられなかったというI氏)などなど総勢20数名だったでしょうか。 後期高齢者は誘ったK氏と私だけ。

皆・・・何かしたいと思っている

でも・・・方法が分からない。

届け終わって帰ってきた話し合いの中で…いみじくも出たK氏の話が正に”切り札は君たち若者にかかっている”でした。 ↓がその一部です。

>かつては労働運動で生活権の安定を訴え、学生運動で世の中を変えようとしたりして、今のこの平和な生活に到っている。 君たちの政治参加(意識)が世の中を変えることが出来る。 もっともっと行動すべきだ…と言うような事でした。

そしたら、今の政治への不満も・今回のような出来事への対応ももっと身近なものとしての捉え方…方法が見えてくるのではないか???

行政として食事は提供しているとは言え、日の丸弁当やおにぎりやパンを配るだけではなく…せめて数日おきでも皆で好きなものを作って食べられる日があるとか、何か方策が出来ないものでしょうか。

一緒に行動した女子が1カ月の臨時雇用で災害対策の仕事に係わっていて・・・避難場所を訪ねて歩き耳にした事は、衣類・食事は満足とはいかなくても「○」…下着・靴下の新しいものが欲しいと言う事だそうです。 それから、ボランティアの形も子どもたちと話す・遊ぶなどの心のケアが大事になって来ることなども。。。

昨日「あづま総合体育館」に我がボランティアの中の方の伝で、アントキの猪木さんが激励訪問してくれたそうです。 子どもたちも「1・2・3・ダー」にサインを貰ったり元気を貰い喜んだとの事。 福島高校の方も予定していたのですが、時間の関係で残念ながら訪問はありませんでした。

夜…風呂に入りながら(お水が出たとはいえ・大変だった時期を思うと毎日は入れません)避難所の子ども達を呼んで入れてあげる事が出来たらどんなに喜ぶだろうと、しみじみ感じ入りながら感謝の床につきました。

 

追記・・・今・地方新聞で携帯電話の大手ソフトバンクの孫社長が、昨日県の災害対策本部を訪れ知事に会い…震災による被害者全員に携帯電話などの情報端末の無償貸与を申し出た事を知りました。 こうした行動(勇気)の輪が広がることを期待してやみません。


ボランティア参加

2011-03-21 20:11:26 | 東北地方太平洋沖地震

福島市のパセオ通りに出来た商業ビル「パセナカMisse(みっせ)」 (かつて仲見世として賑わっていた場所)

1階が物販、2階は飲食がメーン。 3階は屋外施設としてフットサルなどが楽しめる。

この建物のオーナーさんと中で飲食店を経営している方の働きかけで、地震のあった翌日から…避難場所へ食べ物を届けるボランティアを始めていた由。 

今日、初めて私も参加させてもらいました。

今日の食事は(夕食)サフラン入りのご飯とカレーライス。

あづま総合体育館と福島高校体育館に行く班の二班に分かれての作業です。

私は、福島高校の方に・・・

一時は500人も避難しておられたそうですが、今日は100名位とか。

やはり温かいものは好評のようで、ましてカレーの香りは作っていてさえたまらないほどの良い香り。

体育館に着くや「カレー」だと知ると大喜びの子供たち。

そして、何度か訪れているお兄さんお姉さんに「遊ぼう」と駆け寄って来る。

ご飯が少し足りなかったのですが、お昼に出た御飯が残っていて助かり、途中からはカレースープのような感じで食べてもらいました。

いつまで続くか分からない親の不安をよそに、元気に遊ぶ子供たちに…こちらが元気を貰ったような気がしました。  ↓はボランティアの方と遊ぶ子供たち。

何とか早く、家に帰れるようになったら…と切に願ってやみません。

 追伸です。 同じく本日より参加のあづま総合体育館行きの方が帰って来ました。 焼肉丼風(キャベツ・成形肉ですが)を振る舞ったそうです。

避難しておられる方々も、何かと手伝ってくださりコミュニケーションを図りながらの作業をしていた由。 何より、冗談を言ったり明るさをふりまき働くこのボランティアの責任者らの対応に感心したと言っておりました。

こう言った行動が、若者に継承されるような仕組みになって欲しいのが、この会の願いだそうです。 

連日手伝って皆を引っ張っている長の方々の・・・「疲れた」と言う言葉はナシで「やり切りましたネ~」…と言っているのに前向きなプラス思考の姿を教えられたと言ってました。


待望の「お水」が出ました。

2011-03-18 09:30:04 | 東北地方太平洋沖地震

昨日・・・待ちに待った断水解除です。(丸・1週間ぶり) とにかく水の色は錆が抜けるまで赤茶色…隣のご主人が体に支障が無いので、まずはお風呂に入った方が好いよ…と言うので(とは言え、もったいないと思いつつ少しは水を出しておいてから)久しぶりにシャンプーが出来ました。 水槽にたまるのが低いうちは少し濁っているような色なのですが、たまるほどに茶色になって来ます。  

でも、夜になるとほとんど鉄のオリが出なくなり、ほぼ大丈夫の状態になったので、もしかして…これが一時的の可能性もあると思い再度入浴しなおしたりしました。、

実は、店にあるこの暦も11日の儘でした。

とにかく…今日が何日なのか?何曜日なのか?さえも定かでない日々だったのです。

それから、昨日の夕方の事。

福島駅西口の前に差し掛かった時優しい音色が流れて来ました。

丁度時刻ごとになるらしく・・・それは古関裕而さんの曲でした。(東口前には古関裕而の記念碑があります) 自転車を止め立ち止まってしまいましたら、何だか訳も分からずに涙が溢れ出てしまいました。イロイロ思いもかけなかった経験をし、お水も出た後でいつも当たり前に思っていた生活の有難さを充分に感じていたせいでしょうか。。。(今も、胸を絞めつけるような思いで涙が溢れ出て来てしまいました。)

津波の余波で家ごとなくしたり、家族の訃報にあわれたり、原発の問題で余儀なく避難をされている方などの事を思う時・・・

ご近所さん・お友達・親類・ミクシイの皆さんなどなどに助けられ…励まされて今日までの日を無事に過ごすことが出来、まして命あることに本当に感謝の日々です。

また・命かけて必死の復旧に携わっておられる方々にも心から感謝したいと思います。

また、地震です。。。 かなり大きかったですが震度は「4」です。 いつまで不安の日々が続くのでしょう。 「震度6」の経験からするとまだ大丈夫の感…はありますが???


地震・停電・不安な夜から早1週間です。

2011-03-17 11:00:00 | 日常の事

今朝庭の隅に…ガンバレ…と言っているような福寿草の蕾を見つけました。

悲しい出来事なのに・・・

卒業式の言葉に…「家族の大切さ・絆を感じた」と言った児童のいた事も知りました。 

強く逞しく”優しい思いやり”のある成人になる事でしょう。

 

本日9時48分・第1原発3号機への自衛隊による空からの放水が始められました。 何とか安全値に治まり、皆が安心できる状態になって欲しいと心から願うばかりです。

人は少なからず空気中の放射線を受けており、日常は1年で2400マイクロシーベルト、胸部X線で50マイクロシーベルト(1時間単位で受ける量)なので心配されるような量ではないとの事ですが・・・15日、福島市内で、午後7時に約24マイクロシーベルトの放射線を観測。

午後9時にも、約23マイクロシーベルトを観測し、福島県によると「福島市内の放射線量は減少していない」とのことだそうです。福島市は、第1原発から60kmもあるのに???普段の535倍もあったと聞くと・・・本当に大丈夫?と言う疑問も。。。

 

今日も、次のような記事を見つけました。

>東電や政府に文句を言っておられる方。
>この後に及んで原発反対を実しやかに唱えられているかた。
 

>現場の人はそれこそ命をかけて寝食を忘れて、なんとかしようと懸命の努力をされている。
>今は批判する暇なんて無いはずだよ。

 >原発反対結構、政府の腰抜け批判結構。 終わってからやってくれ。

 今はただ現場で遮二無二頑張っておられる人を応援する事。
 それが今被災をまぬがれた人間の務めじゃないかなぁ。

>複雑な思いを持ちながら報道を見ております。

>多分今回の事故で日本の原発開発は終わってしまうでしょう。
>そこで国民がどのような判断を下すのか、非常に興味があります。

>これまでの電力需要は見込めないので、村を潰して水力発電をするのか、
>化石燃料を大量消費して、火力発電に頼るのか?
>それとも風力発電や太陽光発電という発展途上のものに頼るのか、
>それとも電気消費量を大幅削減して、つつましく暮らすのか?

>これまでその恩恵を甘んじて享受しておきながら、それ観たことかと ここで叩くというのはどーなんかねぇ。

 

私も、いつも事が起きた時に感じている事ですが、自分がその立場だったら…どうか?…です。

 今日もまだ断水が続いております。 川俣町に避難されていた双葉町のT氏ご夫妻…廃校利用の避難場所で寒さを心配していましたが、本日・奥様の妹さんの所へ移られた由で安心しました。

 




12:23:59・・・緊急地震速報

2011-03-16 12:26:15 | 東北地方太平洋沖地震

携帯の緊急地震速報が鳴りました(茨城沖での地震発生のようです。)が今のところ問題なしです。

それにしても壊滅的被害を受けて…満足な食事もとれず燃料も少なく過酷な状況で避難所生活をされている方・一瞬にしてご家族を失った方や、まだ行方の分からない家族を探しているいる方々の悲しみ・ご苦労を思えば”なんのその”です。

早急な援助で、少しでも安堵の生活が出来ますように…と祈るばかりです。

12:52TVで「茨城・千葉」への緊急地震速報が報じられました。震度5弱(マグニチュード6)の揺れとの事です。 画面のカメラの映像がかなり揺れています。

余震が 15日深夜に東海地方を襲った震度6強を記録した静岡県などを含めて、移動しているかのように大きな地震の起きているのは恐い事態です。

13:14…又震度4の地震発生です。 

震度6弱を経験しているとこの位では…のような変な余裕さえ感じます。

それより今は・・・原発による放射能の問題の方がとても心配です。

イロイロ情報を探していると、次の記事が

ペヨンジュン、地震被害に10億ウォン(約7500万円)を寄付!

日本の公式ホームページを通じて、"被害の規模がますます大きくなっていて、余震のニュースに心が痛い。 私が何をできるか、最善の方法を考えてみる"とし、地震の犠牲者を助けるという意思を明らかにした。 所属事務所の関係者は"ペヨンジュンが寒さでの避難所はもちろん、水さえ不足している状況にある被害者の状況を聞き、とても心配している"としながら "食料品や毛布など、最も急がれる救援物資からサポートしてくれと頼んだ"と伝えた。

益々人柄にほれ込む人が増えそうですね。

私も嬉しい経験をしました。 トイレ用の水を貰いに行った時の事です。

「自分の家も大変なのに遅くまでご苦労様ですね」と言うと…「皆が喜んでくれる事ですから」…との返事。 人の心の温かさに触れた一瞬でした。


今度は・・・原発の問題で大揺れ

2011-03-15 14:24:01 | 東北地方太平洋沖地震

3月15日、福島第1原発3号機付近で400ミリシーベルト、4号機で100ミリシーベルトの放射線が測定された。この400ミリシーベルトという数値は、一般人の年間被ばく線量限度の400倍にあたる。


ニュースを見て、横浜に居る娘がして「暫くこっちに来ていたら」…と電話をくれました。

心配してくれる気持ちは重々分かりますが…さりとて、チャッピーもいるし(も穏やかでない様子を感じています)簡単に「ハイそうですか。。。」と言う訳にも行きません。

落語を聞きに来て頂いている双葉町の方も20キロ圏内なので川俣町に避難しておられるとの事です。 家を離れての自由の利かない生活を思うと自分たちの苦労はまだまだ…と思えます。

今日もまだ断水。 飲み水などは、それなりの対応をしたので何とか大丈夫ですが、トイレ用は消防屯所で配っている川の水を貰って来ました。

  ∧_∧ ~ ♪ ちゃんのカリカリが底をついたので、偵察を兼ねながら「ダイユーエイト」まで。

いつもは(初売り・何かの売り出し)並ぶのが嫌いなので、少々高くても近くの商店を使用。

普段行かないので、店員さんに置き場所を尋ねると…売り切れていなければ・との事

残り3袋…愛娘のカリカリはゲットする事が出来ました。 ついでに店内視察して見ました。

たいがいの棚は↑のような状態です。

買うつもりもなかったのですが、そば茶のペットボトル・おにぎり(ご飯は焚いてあるのですが)鮭・コンブ・たらこ入り各種・明治の板チョコなどなど、つい衝動買いを。

リユックは   ∧_∧ の食糧です。

余震は少なくなりましたが…まだ続いています。 ただ震源地が移動しているのが気持ち悪いですね。

常日頃・原発の恐さを訴えておられた方の言葉を重く感じている昨今です。


相変わらず「断水」

2011-03-13 22:57:32 | 東北地方太平洋沖地震

先立ちまして…お見舞メールをいただいたり・お便りいただきました皆様にお礼申し上げます

昨日までは、自分たちの周りの出来事でイッパイで!!頭がまわらない状態。

TVは見ていても落ち着いて?と言うか何気なく大雑把な感じの捉え方でしか見ていなかった。・・・と言うよりも、詳しい情報が今日になって出始めていると言う事でしょうか。

地震の当日の様子、被災の大きさ…のニュースも改めて目にして

想像を絶する凄まじい・恐怖の事態であった事に

改めて天災の恐ろしさ(まさかの自分たちが被災者)を身にしみて感じております。

今日は、ペットボトルを持って”初めて”給水を受けに行ってきました。 (場所によっては凄い行列で、 昨日・並んだ人で6時間…の言葉を聞きました。) 夕方からは、消防団の方が屯所の前でトイレ用に…と川の水を配っていました。

断水の復旧作業の見通しが…全然わからないと言うのが皆の「大困り」の原因です。 何せ水の確保が”一仕事”…さりとて全面的に間に合う水量確保が出来る訳ではありませんから。

食料は、暫くは冷凍品・缶詰などなどの在庫で食いつなげるでしょうが、毎日・水乞いでの生活となると、かなり大変です。 阪神大震災の教訓で知っていたので、食事は、洗い物が出ないようにお茶碗の中にラップを使い汚さないようにしています。 味噌汁類は食べ終わったら・速拭き取る。 

でも、昨日も書いたと思いますが、津波の被害で家が無くなったり避難地(学校などなど)で毛布での夜を過ごしている方を思えば、暖のある自宅で過ごせる事は有難い事です。

いつになったら余震が納まるのか。。。

一日も早く、復旧出来…普通の日々が過ごせるように・と・祈るばかりです。

追伸・・・3月20日の隅田川馬石「独演会」は、延期して戴けるようにお願い致しました。

寄って・今回は「中止」となります。 改めての日は追ってご案内申し上げます。

ヨロシク(* ̄▽ ̄)ノ ヨロシク ☆;:*:;☆ お願い申し上げます。


地震・・・近況ご報告

2011-03-12 21:46:49 | 東北地方太平洋沖地震

まず・・・皆さまにご心配いただきました事に感謝申し上げます。

昨日の地震・・・「auの緊急地震」のお知らせベルが鳴ったと同時に「グラグラ」と来ました。

つけていたTVが消えました。

いつにない激しい揺れで、もしかして崩壊??が頭をよぎりました。 揺れている時間も長かったので、とても気持ち悪かったですが…いつも天命と思う事にして開き直っております。

チャッピーがが凄い勢いで逃げ回っていました。

今・チョッと大きな余震です。(9:56)

少し落ち着いてから娘などに、「とりあえず無事」の連絡をしようと思った時には電話もメールも一切通じない事態に。。。

情報発信…あの状態でするのはとても難しい…(経験するとは思ってもいなかった事態に遭遇) 3本立っていた携帯の充電があっという間に「0」…充電して下さいに。 電話も不通

でも、停電です。  どうにも手の打ちようがありません。 パソコンのメールも試みましたが駄目でしたね。

非常時のロウソクを買ってあったのでそれを頼りに、お隣さんの家で旦那さんのカーテレビを見せてもらいながら、しばらくは過ごしましたが(反射式のストーブは焚いていましたが)冷え込みも強くなってきたので、家で布団をかぶり着のみ着のままで、いつでも避難できる状態で横になっていました。

今朝8時前にやっと電気がつきました。  でも、断水です。  実家で連絡が取れないので心配して訪ねて来てくれたので、便乗して行き…そこからやっと娘への連絡が取れた次第。

今回は「ドコモ」の方が有効に活躍した模様。

店も家も、落下物など…被害は思ったより少なくて済みました。 メチャクチャの状態には到りませんでした。

携帯も夜になって漸く、外からなら…メールを見たり、発信したり出来るようになりました。

再度(10:14)余震です。 かなりの揺れで震度4です。

でも、避難勧告で体育館などで過ごさなければいけない方々の恐怖からしたら

まだ恵まれていると思わなければいけないとは思っていますが

再度の(10:14)余震が福島沖に変わったので心配です。

 

 

 

 


地震・・・マグニチュード7

2011-03-09 13:53:07 | 日常の事

整形外科の診察で、近くの病院に行って待っていると…何か??椅子が揺れる感じ

その内床も???

すると、さすがに…お隣さん達も異変を感じ始めました。

この位大きな建物でも…この位感じるのでは震度はもしかして「4?」かも、と思いましたが

TVのニュースで福島の中通りは「震度3」との事。(福島は横広なので浜通り・中通り・会津地方と3通りに分かれた気象予報が出ます。)

三陸沖がが震源地で宮城県は「震度5」

揺れている時間がいつもより長かったので、ニュージーランドの被災のことなどもあるし

事が起きた時、誰かに…今、自分がここに居る事を知らせてなければ、果たして探し出せないのでは…等と隣の方とお話したりしました。

余震のことなども心配しましたが、今のところ起きていません。

HNHKでは地震の起きた11:45以来・・・ずっと地震のニュースが続いています。

津波の襲来が心配されるので、その注意報の知らせです。

大きな被害など出ませんようにと願っております。