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木炭譚 -Small is beautiful and useful-

環境文化の実践ブログです。大量生産大量消費大規模流通では得られない時間、空間、人間の3つの「間」を大切にした実践日記。

並木百道

2016-04-08 23:48:08 | 散歩
16年4月8日
狭山湖に向かう軽便鉄道跡地の桜並木です。


4月15日
6)高円寺参道のもみじです。


2-2)西東京市「いこいの森公園」の桜並木です。今は「いちよう」という名の桜が満開です。


3月30日
3)西武新宿線と中野通りの桜並木です。


4)学校グラウンドの桜並木です。(西東京市)


5)花小金井付近の多摩湖自転車道の桜並木です。


3月23日
1)あんず並木です。(府中市)


3月30日
2)西東京市「いこいの森公園」の桜並木です。「こしのひがん」「えどひがん」「おおかんざくら」「しゅぜんじかんざくら」「たおやめ」「しょうげつ」などの兄弟並木です。今は「こしのひがん」が満開です。満開の時期が兄弟でちがうので長く楽しめます。

生涯学習

2016-04-04 14:03:38 | 生涯学習
4月4日
≪創発≫
 MOOKで「脳と創造性」を受講し、頭の中に俳人芭蕉が浮かんだ。更に、新しいジャンルを切り開く実験「スモールワールドネットワーク」を実践したスタンレー・ミルグラムと芭蕉の「奥の細道」の旅が重った。
 旅の主な目的は、①芭蕉が敬愛する「西行」が訪れた「歌枕」を自分も訪ね、西行という昔の人と多くの情報を共有し、「リアルなコミュニケーション」に基づく自然(当時の言葉では「造化」)との共通の共感性を確認、②芭蕉庵での「身近な人とのある程度予想のできる繋がり」からの解放による「Anterior Cingulate Cortexのアラームシグナルへの気付き」能力の深化、と共に、③「創造性は個人の独創性だけで生まれるものではなく、様々な人が様々な形で情報を交換することで育くまれる」との実感を踏まえて、「弱い絆」で結ばれている地方の門人たちと同伴の曾良を含めた「スモールワールドネットワーク」での俳諧連歌の創作の3点であり、芭蕉は自身の創造性を育み、創作手法を確立、俳諧連歌を日本文化として育てようとしたのではないかと感じた。
 俳諧連歌は、「発句」に次の詠み手が「ミラーニューロンによる共感回路で自分があたかも体験したかのように、ありありと思い浮かべ」た上で、自分の「Anterior Cingulate Cortexからのアラームシグナル」に気付き「脇句」を詠み、これを「挙句」まで続ける創作活動。芭蕉は、地域の気候風土・歴史・社会慣習・造化などの分野の「Absorptive Capacity」が高い地元門人とのコミュニケーションにワクワク感を抱いていたと思う。
 芭蕉の「実験」の結論は?小生は「旅に病んで 夢は枯野を 駆け廻る」の句から、発句は「俳句」として日本文化になったが残念ながら「俳諧連歌」を集団の創造性を高める文化とする「夢」は叶わなかったと思いう。この「夢」は現在の「創発」を目指す様々な実践の中で日本文化として現実になるのではないでしょうか。

2月23日
≪iPS細胞≫
1)iPS細胞の特徴:造血幹細胞や神経幹細胞などの体性幹細胞ではなく、ES細胞などと同じく体外で人工的に作り出される幹細胞であり、ほぼ無限に増殖でき、どんな細胞にも分化することができる特徴をもつ。また、ES細胞は胚から作られるが、iPS細胞は血液や皮膚などのからだの細胞から作るので倫理的課題が相対的には少ない。
2)再生医療: iPS細胞だからこそ可能な研究が実用段階にある。傷つき易い体内の神経細胞を使わずに「ドーパミン神経細胞」を作るパーキンソン病への適用、長期保存のきかない血小板のもととなる細胞「巨核球」の凍結保存、癌などとの長期戦で弱った「Tリンパ球」の補充など。また、自家移植だけではなく、他家移植でも免疫反応を起こりにくくするためにHLAホモドナーのiPS細胞ストックも始められている。
3)創薬研究:疾患特異的iPS細胞を活用すると、多量の人の細胞で①病態を体の外で再現でき、三好型筋ジストロフィーやALSなどへの創薬研究のように②創薬スクリーニングに効果的であり、骨軟骨疾患の創薬研究でのスタチンのように③ドラッグ・リポジショニングとして既に安全性が確認されている薬が利用され、更に、アルツハイマー病の創薬研究のようにアミロイドβタンパク質の関与する部位による個別化医療が可能になる。
4)研究支援:①安価な公共技術にするための知的財産の確保、②キメラ動物や生殖細胞の作製などを含む倫理的課題の検討、③医薬品医療機器等法・再生医療等安全性確保法などによる適切な規制、④臨床研究と治療との違いの認識、⑤研究資金の確保、⑥サイエンスコミュニケーションが研究支援に必要。中でも研究資金の確保については一般からの寄付による研究基金の充実が支援になる。
5)感想:iPS細胞から様々な細胞に分化誘導する方法は創薬・再生医療の基盤になることを実感。十分に対応策が検討されているとは思うが以下の三点が気にかかる。①ミスでiPS細胞が残ったままの細胞の移植。②研究者の好奇心での非倫理的な行為。③アンチエージング分野で患者の貧富差による治療内容の格差がますます拡大。

1月4日
《日本中世の自由・平等・平和》
1)「自由・平等・平和」という用語について:日本の中世以前の「武力」を背景とする国家システムに現代の法治国家で用いられている「~からの、~への」自由、「機会均等としての」平等、「人の命が脅かされない」平和の概念をそのまま適用せずに、それぞれ、自由は「土地の、自分自身の、物などの」所有として、平等は「身分制度による」差別の反意語として、平和は「社会システムの」維持継続として把握する必要がある。現代社会では「自由で平等な平和な社会」という表現が成立するが、中世以前では「自由と平等が無いので平和な社会」という表現も成り立つことになる。
2)所有権の未成熟と「自由」:土地の所有は武力に基づく当知行が「ザイン」であり、文書などに記録されている公権力による「ゾレン」は建前論の域を出ないので所有権は未成熟であった。主従制に立脚した公権力にはツリー型とリゾーム型、更にはホリスティクな型まで考え得るが外的要因や経済の発達などによる「國」の規模拡大に伴い、武力行使に適合するツリー型が織田信長の時にリゾーム型の一揆を凌駕した。文書などに記されている土地の所有も他者に所有を妨げられた場合でも公権力が武力などを背景に責任を持って他者を排除できる社会システムへと変化した。この時点で「土地所有」を対象とした「自由」は成熟した。
3)熊谷直実と「平等」:成熟した公権力を持たない社会の安定を維持するために、人を差別して貴族を頂点とする身分制度を維持することは有効であろうが、村落のリゾーム型の主従制運営形態は多数の地主と多数の作人の合意形成形態どあるので上意下達ではなく村落運営参加機会の平等の概念の萌芽が見られる。熊谷直実は大乗仏教の教えるところの自己と他者の関係から中世身分制度との矛盾を自身の「叫び」として顕在化させた。
4)人口の増加と「平和」:日本列島の延喜年間(西暦900年)の人口と耕地面積は600万人、100万ha、太閤検地(西暦1600年)では1,200万人、200万ha。享保年間(西暦1,700年)では2,800万人、300万haである。現在の耕地面積は500万haあり中世と江戸時代の人口の制約条件にはなっていない。中世と江戸時代の社会システムでそれぞれに適応した人口が決められたと考えられる。中世までは貴族、武士などの身分を持たない人々の命が軽く扱われ、武士による理由なき虐殺さえも行われていた時代であったことが江戸時代と比較して人口が少なかったことの一つの要因とも考えられる。この残虐で野蛮な武士の世の中を嫌って、12世紀に活躍した西行は武士を捨てて和歌を詠み、南北朝時代の吉田兼好は京都に東国の武士が入ってくる前に貴族の身分を捨てて徒然草を綴ったのかもしれない。この両者から社会システムはどうあれ人の深層は昔も今も変わらないことが覗える。

《芭蕉の俳句》
梅がゝや 見ぬ世の人に 御意を得る(出典:「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫、平成22年11月)
【目新しさ】座五の「御意を得る」は侍口調であり、俳諧としての目新しさを持つ。上五の歌ことばである「梅が香や」との対比には強いインパクトを感じる。
【普通の言い方との違い】基底部の「見ぬ世の人に 御意を得る」は、芭蕉とは時代を異にする貴人に御意を得るとしており、矛盾を含む表現で「見ぬ世の人」と芭蕉の心の響き合いを強調している。普通の表現ならば「見ぬ世の人に お目通り・お会いする・想い馳せ・導かれ・教えられ」などが考えられる。
【句意】「芭蕉全句集」によると、「江戸の楚舟亭で初対面の人に示した挨拶吟と知られる」として、「梅の香が漂う中でお目にかかり見ぬ世の人と近づきになった思いがする」と訳している。また、「見ぬ世の人」とは昔の世の人、徒然草13段の「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とする」によるとしている。
【全体的な意味づけ】干渉部の「梅がゝや」が、昔の貴人とお近づきになれた感概を表した句意を方向付けている。
【この句を選んだ理由と面白さ】我家の庭に白梅が在り、「梅が香」の下に座っていると、自然の営みに溶け込むような心の落ち着きを感じるので選んだ。以下は勝手な解釈だが、西行の「梅をのみ 我が垣根には 植えおきて 見に来む人に 跡しのばれん」の和歌に込められた梅の香を時代を隔てて楚舟亭で聞くことができた芭蕉が「西行さんに微笑みかけて頂けた」の感概を挨拶吟としたのかもしれない。また、「見ぬ世の人」を我々現代を生きる人へのメッセージとして、歌ことばである「梅が香」が持つ不易の含意を当時の流行語を使って伝えているのかもしれない。このような想像ができる「脇の甘さ」に面白みを感じた。

《化学》
形状記憶ポリマーを利用した水泳用ゴーグルの提案
(1)問題点:耐久消費財の生産者は一般に最終製品まで造り込んでしまっているために逆に消費者満足度が低い商品が供給される場合がある。具体例として小生の趣味である水泳で一般に使われているゴーグルは眼鏡部分と両眼のつなぎ部分がポリカーボネイト、顔に接触する部分とバンドはソフトシリコンゴムでできており、50年前のガラスとゴムで作られていた水中メガネと比較すると格段のフィット感が得られているが、いまだにバンドをきつくすると眼に圧迫を生じ、ゆるいと内部に水が入ってしまうのが現状である。また、同じく50年前に三宅島で出会った漁師さんがご自分の顔の骨格に合わせて木を削って作ったフレームとガラスでできた一品生産の水中メガネは顔と全面で均等に接しているのでバンドをしなくとも外れることがなく、そのフィット感を得るには至っていない。
(2)科学者による取り組み その中での課題:形状記憶ポリマーが医用工学等に利用されているが耐久消費財への適用事例は乏しい。水泳用ゴークルにポリカーボネイトとソフトシリコンゴムが使用されることで耐用性、安全性、フィット感が格段に向上したのは紛れのない事実である(出典:化学辞典、吉村壽次編、森北出版株)。更なるフィット感向上のシーズとして形状記憶ポリマーの利用が考えられる(出典:「機能性プラスチック」のキホン、桑嶋幹他、ソフトバンク クリエイティブ株、2011.11.25)。具体例の一つとして、体温付近に形状応答温度を持つ形状記憶ポリマーに薬物を内包して体内で徐放させるなどの開発(出典:大矢裕一「鋭敏な温度応答性と薬物徐放を示す生分解性形状記憶ポリマーの医療応用」(ネット検索))がなされてはいるが耐久消費財への適用例は少ない。なお、調査は文献調査によった。
(3)自分なりの提案:生産者は一次製品を販売し、消費者が形状記憶ポリマーの機能を発現させて自分だけにフィットする最終製品を作る。一般の水泳用ゴーグルのバンドを除く部分をポリカーボネイトの一体構造で作成し、顔に接する部分と両眼のつなぎ部分に分岐型オリゴカプロラクトンを用いて可逆相の転移温度(形状応答温度)が45℃程度の架橋体を調製して一次製品とする。スイマーは購入した一次製品を50℃程度の温水で温めてからゴーグルが室温まで冷却されて顔の骨格にフィットした形状に一時的に固定されるまでゴーグルの両眼部分を指で顔に密着させながら押し当てる。なお、充分なフィット感が得られなかった場合、本人以外が利用する場合は形状応答温度以上に加温することで1次製品に戻し、再び上記に操作を行うことで50年前の三宅島の漁師さんが得ていたフィット感が一般のスイマーにも拡がる。





庭の梅

2016-04-04 13:35:03 | 庭トープ
4月4日
桜は満開。梅は実と葉を付けました。



7月20日
梅の香は 花⇒実⇒梅干し 迫るパノラマ 
塩漬にしてた実を干し始めました。今年は収穫量が多かったので、梅酒にも、梅シロップにもしました。


6月21日
梅の木の散髪をしました。根元にあるのが剪定枝の束です。


6月14日
梅の実や ガレージ屋根に ポンゴロロ


6月11日
実が熟してきました。懐かしい香りです。これは「白加賀」で毎年は南高梅のようには色づかないのですが、今年は日が良く当たる処の実は赤くなっています。





6月5日
実の収穫をしました。今年は、去年、一昨年の倍の梅です。未だ採らないで樹にそのままの実もあります。


5月10日
梅の実がたくさんの葉に守られて育っています。


4月28日
この1週間で2cmほど伸びました。


4月20日
葉の生長と伴に枝もこの1週間で5mmほど伸びているようです。


4月15日
花は去り 春雨来たり 水実つく 刹那のあわい ゆたけき光


4月14日 
葉が開いてきました。枝はあまり伸びていません。実も大きくなっています。去年は相当数の実がこの時期に落ちてしまいましたが今年はどうでしょうか?




4月11日
4日前と比べ外側の葉を残して内側の葉は前方に進んでいるようです。


4月7日
葉の芽吹きです。一か所から何枚も出てきてどうなるのでしょうか?まるで花を咲かせる時のように葉が重なっています。葉が大きくなるに連れて枝も伸びるのでしょうか。


4月5日
実がグングンと生長しています。葉芽も育っています。


4月2日
メジロ色の実の赤ちゃんです。子だくさんです。


3月27日 
最期の花が朝日に輝いています。白い蝶が大地にう舞い立つ姿です。開花が2月17日でしたので39日間楽しみました。Thank you!
「あわれなり 梅香去っても チュジュメ来る 花は散れども 枝も花」


3月22日
「久かたの 光のどけき 春の日の 静心もて 実を育くまん」
花は散りましたが、実の赤ちゃんが育っています。葉芽もです。


う3月21日
昨日の花びらの「赤」がはっきりとしてきました。


3月20日
散る寸前の花びらのなかに、裏側が微かに赤くなった部分があります。モミジの着色と同じ? 近くのピンクの梅の色の真似?



3月19日
「一番はな」から一か月、まだまだ咲いています。が、もう小さな実をつけいるところもあります。樹冠の下では白い蝶が舞い、白雪がうっすらと積もっています。






3月15日
春風に 梅花舞い散る 白さかな


3月14日
紅梅も咲いて紅白になりました。


3月13日
シジュウカラです。梅を観ていたら飛んできました。最初の花から17日で一か月です。梅の樹の生き残りサステイナブル戦略を感じます。梅は桜と比べて十二倍楽しめます。①花を楽しむ期間が長い。②雪中花を楽しめることがある。③蕾の時から香りが楽しい。④メジロ、シジュウカラなどを見て、聞いて楽しむ。⑤剪定を兼ねて花を切って室内で楽しむ。⑥春を告げる妖精の舞を長く観られる(花びら)。⑦メジロ色の実を見て楽しむ。⑧フルーティーな実香を楽しむ。⑨梅酒、梅干を楽しむ。⑩野趣を楽しむ(我が家の梅は野梅(やばい)系の白加賀)。⑪紅白の花が重なると点描の色彩が楽しめる。⑫周りの風景を引き立てる。要するに「香り、メジロ、実も楽しんでいます」ということです。


3月12日
ペンギンメジロです。


逆上がりメジロです。


仲良しメジロです。


3月10日
花びらが春風に舞っています。純白の妖精の舞いです。「春を連れてきてくれてありがとう」です。


3月9日
地面の花びらも増えてきましたが蕾もまだたくさんあります。一輪咲くごとに春になってきました。


3月6日
幹から咲いた花です。栄養状態が良いようです。


3月4日
夕日に輝く白梅です。


3月2日
真っ青な空に白が似合いです。


「一番花」が散りました。14日の間ありがとう。


3月1日
メジロです。




2月27日
朝、庭に出ると何枚かの花びらが落ちていました。もう「一番花」は散ったのかな?と思ったのですが、そうではありませんでした。小鳥たちが散らしたようです。




2月26日
梅の花と一緒に「お月見」をしました。


2月25日
去年は「葉が早く落ちた処に着いた蕾から咲く」という仮説をたてましたが、今年は「風当たりが少ない処から咲く」です。北側の地面に近い枝の蕾から咲いてる気がします。梅の花は桜と比べてひとつひとつの花の判断で咲く時を決めているような気になります。先ほどオナガが枝にとまっていました。大人がブランコで遊んでいるような感じの違和感がありました。


2月24日
昨日のポカポカ陽気でたくさんの花が顔を出しました。


2月22日
お客様はシジュウカラです。梅の樹の下に座っているとメジロも咲き具合を見にきますし、千客万来です。


「一番花」のとなりの蕾がひらきました。


2月21日
ぼちぼちと咲き始めています。「一番花」を裏から見るとまるでガクが紅梅のように見えます。ガクと花びらは半枚分ずれて付いているのですね。右隣の蕾はあと数時間でしょうか?

 
2月19日
「一番花」から一日をおいて純白の花が咲き始めました。


2月18日
雨が降っています。「一番梅花」は孤独です。まだ開かない蕾に「まだだよ!」と伝えているようです。咲くのと拮抗する力を持つガクに「もう少しガンバッテね」と言っているのかもしれません。


2月17日
咲きました。「一番星み~つけた~」ではなく、「一番花み~つけた~」です。花が咲く時のエネルギーを感じます。「もう咲く」と「まだ咲かせない」力が拮抗している処に春の陽ざしが後押ししたのでしょう。朝はまだ蕾だったのに夕方には咲いていました。


2月15日
去年より開花が若干遅れていますが、そろそろのようです。


2月6日
ハッとする 懐かしい香は 庭の梅。
そろそろのようです。未だ蕾なのにイ~イ匂いでした。樹の下を通り過ぎた時に香りに呼びとめられました。


2月1日
蕾が先日の雪も乗り越えて膨らんでいます。去年の開花は2月10日でしたので、あと1週間は蕾の生長と微かな香りを楽しみます。


1月23日
雀が日向ぼっこです。


1月12日
シジュウカラが梅の蕾の膨らみ具合を見にやってきました。


1月1日
新年の暖かな陽ざしで蕾が日光浴しています。


12月5日
太陽の光が葉に透けて綺麗です。光が入って葉色が綺麗に見える様に、見る人の心を梅の葉に入れ込むと「蕾が育つまで守って、それから蕾に押し出されて土に還る」意思が観じられます。


6月12日
雨が上がったので梅の実の収穫をしました。昨年の梅酒がまだあり、梅酒に入ってる梅を取りだしてジャムにしました。今回の収穫分は梅シロップにします。


5月10日
今年の梅の実は充実しないうちによく落ちてしまいます。去年実りすぎたのでしょうか?それとも病気なのでしょうか?観察していた実も落ちてしまいました。木陰は造ってくれていますが実の香りは今年は期待できないかもしれません。


5月2日
梅酒で春の収穫祭りをしました。葉が茂り、今年も気持ちの良い木陰を造ってくれています。後1ケ月もすると梅の実の香りも加わってくれると思います。




今日の実です。先日の雨と風で落ちてしまった実もあります。自然淘汰なのでしょうか。いつもの実の右側に茶色の班のある実がありますが、これは遅くまで花のガクが付いていたためです。


4月26日
今日の実です。葉が茂ってきていますが実も確実に「充実」してきています。


4月21日
今日の実です。


4月19日
今日の実です。「将来の夢は梅干しになって君に食べてもらうことです。」と実子さんは言っています。ここ4日間で太ってきているようです。


4月15日
暖かい日が続き実がドンドン大きくなっています。


4月12日
かわいい葉が開き、実がドンドン大きくなっていきます。百個程は付いています。



3月31日
葉の赤ちゃん、実の赤ちゃん、最後の花の三位一体で、梅木葉実花さんです。




3月26日
花びらは散ってしまいましたが小さな実が幾つか見えてきました。葉芽もついています。


3月19日
去年の12月5日に葉が落ちたところの蕾が咲きました。遅くまで葉を付けていたためか花は小ぶりです。


3月16日
満開です。樹の下に居るだけで梅の香が漂いリラックスします。


3月13日
梅の花が春をお迎えに行って、連れてきてくれた感じがします。満開です。


3月8日
梅香も満開です。




3月6日
咲き始めが2月10日でしたから24日が経ちます。梅の花はサクラとは違って長く楽しめますね。



3月4日
白梅に三日月が咲きました。


梅の樹の下は座り心地が良いのです。梅の香りが漂っているからです。その空気をいっぱい吸えて贅沢冥利につきます。


3月3日
霧雨ですが、雨が続いてかわいそうです。雪でなくて幸いです。


3月1日
メジロです。お客様を蜜で歓待です。


2月28日
暖かな陽ざしでドンドン咲いています。


2月26日
樹の下に座っていると、それだけで香りがするようになりました。






2月25日
去年は、なぜ日当たりが良い処の蕾から先に咲かないのか不思議でしたが、今年は「葉が早く落ちた処に着いた蕾から咲く」で納得です。12月まで葉を付けていた蕾(3枚目の写真の中央上部)はまだ小ぶりです。







2月22日
我家の庭には白梅が咲くと春がきます。春が来ると梅が咲くのではありません。




2月21日
白梅香る喜春楽がきました。




遅くまで葉が着いていた処の蕾はまだ小さいです(写真中央のピンボケの蕾)。ということは五月雨的に葉が落ちたので五月雨的に花が咲くのかもしれません。



2月17日
白梅が咲き始めました。秋の枯葉から冬の蕾に、春の白梅です。清楚な香りと純白の花びらです。








2月14日
また雪梅です。先日の雪の後に2つだけ咲いただけなので、花びらが寒がることはないとおもいます。


2月10日
咲きました。清楚な雪がそこに残ったかのような花です。雨ではなく「雪を得て一時に咲く」でした。


2月9日
雪はみるみる間に暖かい陽ざしで溶けています。


2月8日
雪梅になりました。咲く前で良かったです。


2月7日
そろそろのようです。




2月6日
まだ咲きませんが、メジロやシジュウカラが始終やってきます。逆光ですがメジロが一つがい写っています。


2月5日
昨日は雪が降りました。まだ咲かなくて良かったです。今日は暖かそうなので「時を得て一時に咲く」かもしれません。


2月2日
わが家の梅は、相変わらず落ち着いたたたずまいです。「寒いからあまりあわてて咲かなくてもいいよ」です。




1月30日
朝、小鳥が「咲いたよ!」と言っている気がして目が覚めましたが、まだでした。蕾の赤い色の中に花びらの白い色が目立ってきました。


1月29日
蕾は、可愛いまんまる顔です。咲けば散るのでこの姿を充分に楽しみます。
   

1月27日
昨日は雨、今日は快晴。だけど未だです。


1月25日
庭の梅で一番早く咲きそうな蕾です。今日は曇りなので次の暖かな陽ざしで?それとも様子を見に来るメジロの鳴く音色で?


1月22日
去年の11月28日の写真と同じ構図です。観察をしていた葉(写真の中央)の落ちた後の蕾も膨らんでいます。枯葉から蕾への世代交代がうまくできたものとそうでは無いものがあるようです。

(11月28日)

1月21日
シジュウカラが梅の開花状況視察に来ていました。蕾はピンク色ですがこの梅は白梅です。「旧年寒苦の梅、時を得て一時に咲く」という言葉があるそうですが、何がきっかけとなって開花するのかも観察しようとおもいます。




1月18日
まだかな~。去年と比べると蕾の膨らみが早い気がします。
 

1月13日
太陽の恵みの蕾が華になるために最期に暖かさをもらっています。



12月31日
梅の蕾が小春日よりでニコニコ微笑んでいます。落葉の頃は花が咲くのはまだまで先だと思っていましたが、新年になれば直ぐに咲きそうな気になってきます。受験生の気持ちもそうなのでしょうね。


12月18日
寒空に蕾が大きくなっています。11月6日、11月30日の写真と比べると歴然です。小春日和の天気と幹からの栄養に守られて生長しているようです。


12月11日
葉が落ちてしまいました。勝手な思い込みでしょうが、落ちた葉はこれから咲く蕾を育て、美しい花が咲き(美味しい)実を付けることを願って散ったのかもしれません。空海の言葉に「六大無碍にして常に瑜伽なり」とありますから濃淡の違いはあるにせよ落ち葉にも「心」があるのかもしれません。





12月5日
観察していた葉がなくなりました。落ち葉になりました。自然循環の中では「色即是空」「不生不滅」ですが寂しいです。「地の根の国」に戻りました。これからは葉の落ちた後の蕾を観察します。
 

12月3日
小春日和の一日でしたが、微風の一撫ぜ毎に風の息に合った葉がゆらゆらと揺れ、あたかもお隣の葉に挨拶してから土に戻っていく今日このごろです。


12月2日、11月30日、11月28日
晩秋の梅の葉は、もしかすると、蕾に水分を供給するために、枝から垂れさがるような形になって葉の裏側に多い気孔を太陽に向けて蒸散作用で大地の水を吸い上げているのかな?と感じました。風の強い夜があってずいぶんと葉が落ちましたが、穏やかな日が続いてもらいたいと思います。写真の梅葉を落葉まで観察します。
(11月28日)


梅の葉(11月30日)

(12月2日)       (12月3日)
 

梅のつぼみ(11月30日)11月6日の写真から蕾が大きくなっています。


葉が落ちて間もない蕾のようです。落葉の断面が明確に見えています。(11月28日)


11月25日
秋の梅の葉はお世辞にもきれいとは言えません。他の樹木のように鮮やかな色付きもなく、虫喰いの穴、勢いの無い垂れた葉です。だけど兼好さんのお陰で美しい姿に見えてきました。


11月18日
「徒然草」の兼好さんの観察力は凄いですね。155段に、梅の蕾を見て、葉が落ちるのは枯れて落ちるのではなく、蕾に押し出されて落ちるのだと書いています。四季(死期)を通しての役割り分担なのでしょうか。椿などはつやつやした葉を背景に蕾を膨らませていますが、落葉樹と常緑樹との違いなのでしょうか。それにしても落ちる葉から咲く蕾へのバトンタッチは神聖且つ合理的な儀式のように感じました。


11月6日
梅の蕾を見ていたら、ナント、メジロがやってきました。メジロの地鳴きも聴くことができました。メジロの鳴き声が「ヒー、ヒー」と悲しく感じましたが、メジロ君にしたら「人間の勝手な感情移入だよ」ということですね。




10月28日
蕾の赤ちゃんです。来年の春が今から楽しみになってきました。徐々に少なくなる葉を見ると虫喰いの孔が目立ちます。それだけ「庭トープ」に貢献してくれているのですね。幹には苔が生しています。この夏は大規模な剪定をしましたし、今年は大きな実が沢山なったので来年は期待どおりにはいかないかもしれませんが・・・。思い出しました。そろそろ今年の梅酒を試飲してみます。