帰ってきたエイトマン8888

個人の日記です。

爽快な読了感2

2011年11月19日 | 書籍
われら戦後世代の「坂の上の雲」-ある団塊人の思考の軌跡 寺島実郎 氏

特異な世代としての団塊の世代(昭和20年~25年生まれ)

それは、国家とか社会といった全体の価値を胡散臭いものとして否定し、拒否する文化状況であった。戦争の時代における「忠君愛国」の国家主義的価値が否定されていく過程で、個人を超えた価値を掲げるものは危険かつ非民主的なものとして退場を余儀なくされた。このような「右肩上がり経済」と「戦後民主主義」を培養液として育ったのが私生活主義であった。つまり、私生活だけに関心を寄せていても生きていける環境、それを肯定する状況が継続してきたのである。(P.129)


ほどよく前の世代に合わせ、悪乗りして80年代後半のバブル期には、中間管理職として最大の受益者となった。


私生活主義を押し隠して「世界」や「社会」を語り目をくらます技術もある。価値破壊の世代は30年の経過の中で、他人に厳しく自己に甘い「生活保守主義者」の群れと化したのである。そうとうに抑制して表現しても、この世代は何かを否定したかもしれないが、社会的にはいまだに何も創造はしていない。(P.130)


世界の当たり前の常識だが、古今東西のいかなる社会共同体においても、一人前の大人とはカセギ(経済的自立)とツトメ(共同体維持のための公的貢献)のできる人のことである。(P.134)


官と民のあいだの「公共」という分野を誰かが支えないと、人間社会は成り立たない。< 中 略 >カセギ(経済的安定)とツトメ(貢献)は大人が大人である要件であり、そのことを担う団塊の世代の最後の転機における覚悟が問われている。(P.194)


戦後を生きた日本人が小成に安んじ、疲労感に満ちて癒しを求めるべき状況ではない。これからの十年に真価が問われるのである。日本の国際関係における立ち位置を想うとき、われわれの戦後などまだ終わっていないのである。(P.196)


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