内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

個か全体か

2020-12-01 20:32:59 | ビジネス境界線
このテーマは
自分の人生の中の重要テーマ
境界線とは何か
と合間って
現実社会の中でも
随分と上位に食い込むテーマである


私は
父が超自営業の変人
母がごりごり組織人の社長令嬢

という環境の中

個と全体がぶつかり合う様の間に
挟まれて育った


親父の愚痴は
二言目には○○(母方の会社)○○って
そんなに○○が偉いんかい!

だったし

母の愚痴は
近所に迷惑がかかるとか
(父は)ああだから
(自分の親族内コミュは)だめよ

そんなのばっかりだった


今思うと本当に
個人で生きる人間と
全体で生きる人間の
価値観のぶつかり合いが
夫婦喧嘩のもとであり

お互いの一人と一人の人間同士を
焦点としてのぶつかり合いというのは
余りみたことがなかった

そういうレベルのところの関係だから
なのか

人間同士は実は合っているからなのか

それは全くわからない


少なくとも
個と全体のぶつかり合いを
散々見せつけられた時に
私は自然と仲介役となった

振り返れば兄貴はそんな時には
ただ見ている人でどうしていたかの
記憶すらない空気の認識である


私は仲介役になれてはいないが
自分として仲介役をしようとは
確かにしていた

ひとつは文句を言う

そんな事どうでもいいじゃん

といった類いである


ただ圧倒的に多かったのは
ピエロになることである

ふざけて場を和ませようとする事しか
子供の自分には出来ないと
分かっていたかもしれない


兄貴は空気なので
いつも喧嘩が始まると
私がピエロ役に転じる流れが
自然とできていた

そしてそんな私の気持ちもむなしく
母から
ふざけるんじゃない!
と言われピエロ時間が終わるのである

激しい憎悪がそこにあった
シンプルに母に対するものかどうか
はっきりしない

自分のこの仲介しようとしている
気持ちの報われなさに対するもの

自分ではこの場をどうも出来ない無力感

ただただ楽しいはずである
自分の時間空間を
心底不愉快で腹のたつものに変える
この夫婦喧嘩に対する怒り


とても耐え難い何とも言えない空気

外食にいった時に必ず喧嘩になる
どこでもいいという父と
早く決めてという母

多分父は本当に
どこでもいいから
どこでもいいといっているのが
私には分かる

母は形にこだわっているから
常に世間から見た私たちが基準
どこどこさんちはここにいった
あそこにいったのにうちはここか
なんていうような
常に悲しいむなしい人間

だからどんなことにも悲しさを感じ
ストレスをためる

そのためたストレスをずっと
子供の自分は聞かされる

突然かっとなる母の顔
口の中の皮を噛みきる癖

今思い出したら
そこに恐怖を感じていることがわかった

この人は危ない


そんな自分の母親の影響を色濃く
受けてきた自分は

足や指の皮膚をむく
アトピーをかきむしる
口の中の皮を噛みきる

という
恐らくストレス対処法を
編み出しつつ

何とかやっていたが
中学高校で全て爆発し
膿を一旦出しきった形となった


ただ
根本的な自分の仕組みは変わっていない

暴力ヒエラルキーに対しては
とっくに諦め下山しているのに
不良のような格好をしていたのは
魔除けのための化粧に似ている

世間という視点しかない自分から
本当の個の自分を守るための
防御服である

私は個という自我が育たずに
大人になってしまった人間

今考えると意外と同じような人間が
多いことに気づく


例えば駄目になってしまう
偉大な事業を築いた2代目みたいな人

創業家は順をおって
人間が成長しているが

2代目はいきなりレベル99の世界観から
始まるために
個の自我が育つレベル1~5位を
完全に飛ばしてしまっているために
訳がわからない人間になる
大きな概念では自分を見失わないが

一人

の世界での自信に滅法弱い
周りの殻がなければ
すぐに潰れてしまう

大人になって随分と積み上げた後に
私はその個の

ペシャン!

を体験した


それだけ個の自我が弱かったことを
知った



それから今に至るまで何年もかけて
私は幼稚園〜中学生を経て
最近は高校生くらいまできたか?

というところまで
自分の精神年齢が
目に見えて少しづつ育っているのを
感じる

ああこうやって普通の人は
「個」である自我が
当たり前のように育っていくんだなと
実感する


今まで自分が知りもしなかった
好きな趣味がどんどん見つかる

やりたいことがなく結果
金を溜めがちだったのに
やりたいことが追い付かず
金を使いたい衝動と逆に戦うという
初めての自分


この個の自分がやっぱり人間は
原点にするのが無難だ

全体のために個を投げ出す

何て言う人は

個が担保されなければ
全体のための行動なんて
すぐに出来なくなることを
理解していない


明らかに優勢順位は
個>全体である

ただし勿論その時々にバランスは変わる

要するに個が壊れないようする
ということが最低条件とし
いつでも最重要として考えなければ
ならないということ


その範囲であれば
個<全体になったって構わない


どちらが大事か
という問題をよく目にするが
どちらも大事であるし
どちらも共存していることを
見をとしてはいけない


個と全体が共生するバランスとは
まずどちらも「認識する」すること

人間で言えば
個の自我と
複数の全体の自我
を認識する必要がある


どちらかがどちらかを「管理」する
関係ではなく
個が独立しているが
全体としてある一定の境界線で
「統合」されている関係
それが私の理想の「全体」

それぞれの個が<張力>を持っている

決してふれあってないのに
その力と力がバランスすることで
生まれる統合

バックミンスターフラーの
テンセグリティモデルのように




















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