内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

死ぬという緊張感

2022-01-18 19:39:07 | ビジネス境界線
日常で起きる緊張は
どうして起こるか

緊張というのは
見方を変えて
視点を広げると

何かの全体からの分離の
一現象と言えるでしょう

分離現象の細かい1単位の方を
主体として見たときに
それは収縮であり緊張であります


では
人間で言う緊張というのは
何と何からの分離なのでしょうか


それは
死という世界と
生という世界との分離だと言えます


生きている生物と呼ばれるものは
ホメオタシス
恒常性と呼ばれる言葉で
説明されます


生物の"境界"は
物質的な緊張 =細胞
心理的な緊張 =自我
から成り立ち

この2つのベースを繋いでいる機能として
五感と思考が
備わっているように思えます


生命とは
この身体的細胞的な緊張境界を差し

心臓が動くのも
臓器がたくさんあるのも
息が吸えるのも
この緊張を維持するためにある


一方で
自我という心理的緊張は
この身体的緊張とは別に存在する

アイデンティティーというものは
実に自由だ

本来
私は鳥だ
私は掃除機だ
私は日本だ
私は信濃川だ

いくらでも何でも自由なのである

だから
いつでもどこでも何にもなれる

すなわち
心理的緊張を作り出すことにより
私を定義することは勿論
あらゆる概念やカテゴリーを生み出し

何かに息吹を与え
何かに終焉を与え続ける


心理的緊張が作り出す社会性とは
身体的緊張よりも
大きい心理的緊張によって
形作られる

あの人の痛みが自分事のように感じる
という拡張自我は
この原理で作られるものだ

とにかくその能力は
呆れるくらいに無限だ


しかしその中で
自分というアイデンティティー
については一定の制約がある


このラインを越えたら
身体的緊張が謀反を起こす
というのがあるのだ


それが精神病である

精神病は
身体的緊張=生命=命
による
心理的緊張=自我=アイデンティティー
に対しての
ストライキみたいなものである


境界というワードを
緊張というワードに置き換えると
とてもしっくりくる


そんな事のきっかけは

「知らない他人」
「知らない言葉」
「知らない世界」
に私が出会ったときに
とんでもなく

「喉」が緊張するからである


私の喉の緊張は
心理的緊張によって起きている

身体的緊張=生命とは
一致していない

間違った認識で
私の緊張は起きている

その事に意識が向いて
気づいたからである





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