内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

「本当の自分」という言い回し

2021-10-21 00:31:08 | ビジネス境界線
私自身もこういう言葉の概念を
真剣に考えていた事があります


本当の私はどこにあるのか
それを探さなければ
幸せになれないのではないか


こういう類いのものです


よく使われるフレーズで
内観的な世界を売りにする
色々な商売で
見聞きすることが多いですね


こういうものを扱うものは
一昔前まではなかなか社会のなかでは
目に触れずらいポジションだっただろうと思いますが
ネット社会になってからは
こういう世界も距離がすぐ近くに
いつもある世界となりました


私が考えるに
本当の自分という概念は
少しおかしい
というのが自分の結論です


何故なら
私が私と思っているものは
一つの何かではないからです

すなわち本当の自分
という単数で捉える概念に
強烈な違和感を覚えます



一言でいうなら

大中小織り混ぜた自我の複合体と
生命活動によるホメオタシスとの関係性

これこそが本当の自分であると
私は今断言しています


自分とは組織であります

組織のパワーの源は
主体であり
主体を持つものが
自我という一単位であり
人間世界の最小単位であります


この自我が集まって出来た組織が
私が私と思う私であり

この組織と
生命としてのホメオタシスの関係性で

私の今の調子

というものが決まってきます



例えば

最近全てが怖いくらいにうまくいく
という状況は

生命のホメオタシス
という現象を

自我組織が「自分と近い」と思える
お互いの関係性の時に起こります

私が私と思うものと
体の生理現象が
一致に近ければ近いほど

それは
生命のホメオタシス=現実
現実=私

という構図となり
私と世界が一致した状態になるのです


反対に


生命のホメオタシスと
私と思う私がずれればずれるほど
人間の持つ5感は不快な現象が増えます

これが生きづらさ
すなわち不幸と呼ばれるものとなり
そのような自己認識となります



おそらく「本当の自分」という言葉で
題材にしている色々な商売が
伝えようとしていることは

このメカニズムのことなんだと思います



これは勿論理解できるし
問題ないのですが


研究的な視点で考えると
どうしても少し乱暴な売り方かなと
思っています


本当の自分というものを
確固たる私が一つ
という捉え方をしてしまいがちで
この誤解はどちらかといえば逆に

ホメオタシスと
自我の集合体の不一致を
生み出してしまい
すなわち不幸になる可能性が
充分に秘められてしまって
いるからです


自分の中の多様性を認め感じる事で
私が私と思うものは
そ矛盾した要素も取り込み
一つの組織として
生命のホメオタシスとの一致に近づく
事ができるのですが

この辺りが無視された世界から
「本当の自分」というワードが
発されていることが
少なくないと感じています


私という組織が
範囲を狭めたり広げたりする行動は
主体が大きく変わる行為だと
いうことになります


この変幻自在な自我組織をもってして
生命のホメオタシスとの一致を
初めて追い続ける事が
出来るのです


あるときには本当の自分であったものが
あるときにはそうでなくなることが
あります

これは自我組織主体からの視点ですが


生命のホメオタシスの変化に柔軟に
自分というものの認識を追従させる
事が出来るための
自我という機能の一つのデザイン
であるとも言えます

これがスムーズにいかなければ
硬直した自我組織の範囲によって
生命のホメオタシス由来の
苦しみが生まれてしまいます


常に生命のホメオタシスに
自我が追い合わせていくことこそ
時刻表一致であり
人間の生命にとっては
最も大きい幸せとなります




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