キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

その他の病気のこと。【痔核脱肛】

2007-09-25 | その他の病気のこと。
【 痔核脱肛 】


字で書くとなんだか難しく感じますが、

平たく言えば《いぼ痔》です。


読んで字のごとく、肛門の内側に出来た《痔》が、

《肛門》の外に《出ちゃった》状態を表します。



で、この【痔核脱肛】ですが、わたくし、お恥ずかしい話ですが

26~27歳くらいの時に、手術をしています。


女性がなる場合は出産時の「いきみ」でスポーンと内痔核が脱肛してしまい、

「いぼ痔デビュー」を果たすパターンが多いらしいのですが、

私の場合は、完全に「ストレス」が原因でした。


当時、勤めていた会社で、私がバツ1×子持ちで実家から通っている事を

よく思わない上司がいて、

「近づくと不幸がうつる」と言って、プライベートならともかく、

仕事の話もしてもらえなかったんです。

その方は経営者の親族だったので、それ以外でもいろいろと理不尽な事があっても

どうにもする事が出来ませんでした。

しかし、私は子供を育てなければならなかったし、

それまで社会に出てまともに働いた事もなかったし、

当時はまだ「離婚」した女性にとっては風当たりの強い風潮があったので、

再就職も大変そうで、とにかく、クビにならないように

私が我慢しなくっちゃという一心で仕事に励んでいました。


そうこうしているうちに、肛門の辺りに違和感を感じるようになったのです。

痛くもかゆくも無いけれど、なにか「フニフニ」したものが肛門の辺りに。


「これは、まさか、もしかして、ひょっとすると、《痔》

 ひょえ~、うら若き乙女(当時)が、《痔主》ですと~


それでもしばらくは、

狸の置物の、大きくぶら下がったおきゃんたま袋を想像しつつ、

「男の人って、きっと、こんな気持ちなのね

と勝手になりきってみたりして過ごしていたのですが、

いつまでもこのままじゃいけないぶらぶらさせてる場合じゃない

どげんかせんといかんばいっ(←2007年・流行語大賞だぁ


と、気持ちは大きく、実際はこそこそと

地元の「肛門科」専門の病院へ行ってみました。



そして先生のお口から発せられたのが、上記タイトルにある【痔核脱肛】でした。

先生も、「痛みもかゆみも出血も無いならそのままでもいいけど、

     邪魔だろうから切っちゃおっか。」

みたいな軽いノリで言ってたような気がします。


そして入院。たしか、1週間くらいだったかな。

手術は下半身麻酔で意識があったので、切った《痔核》を見せてもらいましたよ。

親指の第一関節くらいの大きさだったかなぁ。

「あ~、内臓っぽいや~」なんて思ったような気が。

手術のあとは、点滴したり、はじめのうちはT字帯みたいなパッドを

つけてたカナ。

しばらくするとお風呂にも入れるようになって。

あぁ~、ようやく入れるぅ~って喜んだような。


なんせもう約10年前の事ですから、記憶もほとんど薄れてますが、

肛門科専門の病院だったせいか、

なんとなく病院全体が、うすらくさかったのは覚えています。

そして、お見舞いに来ることさえちょっと恥ずかしいイメージの病院でしたが

当時勤めていた会社のパートさんたちがお見舞いに来てくれたのが

うれしはずかし、超うれしかったです。


それと、一つ、このときの入院では思い出があって、

パートさんが旦那さんと一緒に大量のマンガを差し入れてくださった時、

手術が終わって暇をもてあましていた私は、

がっつくようにマンガをむさぼったんですが、

気がつくと、片方の腕がパンパンに、ポパイ化してしまったのです。

なんででしょう~

正解は、点滴をしていた状態でマンガを読んでいて、

腕がパンパンなのも気づかず、ず~っとひじを曲げていたため、

点滴の液が腕に溜まりまくっていたからでした。


これは、くしくもキャッスルマン病で2週間に1度点滴を打つようになった

私にとっては、いい教訓となったのでした。

                      




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。