きままなひととき(きなこあんぱんな日記)

ゴールデンR『きなこ(行年11歳16日)&ぱんな』&あらいぐま『あん』&日本スピッツ『にっき』のアニマル若草4姉妹です

お空に逝ったあんちゃん

2015年09月28日 | あん
皆さんに報告しなければいけないことがあります

我が家の次女、私の愛しい愛しいあんちゃんは6月27日(土)21時半、旅立ってしまいました

亡くなる数日前からご飯を残すようになり、そして食べなくなり・・・

それでも薬は飲んでくれていましたが、遂には薬も飲まなくなりました。

それからは毎日投薬に仕事の後でも片道20km通う日々でしたが、一向に改善無く段々体力が落ち、足が動かなくなり、這って移動していました。

なので、2階建てのあんちゃんハウスの上には上がれなくなったので、お水も全て1階に置きました。

お水だけは頑張って飲んでくれていました。

獣医さんに「そのお水に薬を混ぜて!」と言われましたが、唯一飲む水に薬を混ぜる事で、お水さえも飲まなくなるんじゃないか・・・

そんな不安から普段の水飲み器には最期まで薬を入れることは出来ませんでした。

案の定、他の入れ物で薬入りのお水を与えても手で撥ね退けて受け入れてくれませんでした。

最期の日、どうしても何か口に入れて欲しくって、私は牛肉の煮汁をお水で薄めてあんに近づけました。

お願い!飲んで!!

そう言うと、あんはじっと私の顔を見てから少し躊躇いながら煮汁のお水に口を付けてくれたのです!

やった!!!

・・・そう思った瞬間。。。グフッ!っとお水を吐いたあんちゃんは二度と目をあけてくれませんでした

目の前で起こった事に理解できなかった私は直ぐにパパを呼びました。

ねぇ、あんちゃんが変なの・・・あんちゃんが変なの!!!

バスタオルを持って来て、お水とオシッコで濡れたあんちゃんを拭きながら抱きかかえ何度も何度も名前を呼び半狂乱になっていました。

沢山沢山泣きました。

30分くらい経ったでしょうか・・・ふと『娘たちにもお別れをさせなきゃ』と思い、“ぱんな”と“にっき”を呼びました。

“ぱんな”は驚くほど落ち着いて“きなこ”の時のような穏やかなお別れをしました。

ところが“にっき”は違いました。

“にっき”は上の方を見ながら今までに聞いた事のないような雄叫びのような声を上げたのです!

目を思いっきりあけて、まるで何かを見ているかのようでした。

その姿に、ビックリした私は“にっき”を落ち着かせる事に必死になっていました。


・・・悲しいのは私だけじゃない・・・そう気付かされた感じでした。

“にっき”は私達が思う以上にあんちゃんの事が大好きだったんだと思います。

あんちゃんは“ぱんな”に対してはマブダチの様に、“にっき”に対してはお母さんの様に接していましたから。



“にっき”が小さい頃はよく抱っこして歩いてました

成長と共に嫌な事は嫌って抵抗するようになった“にっき”は抱っこさせなくなっちゃいましたが(悲)

だから、“にっき”はあんちゃんの事、そんなに好きじゃなくなっちゃったのかとさえ思ってました。

あんちゃんの片思いになっちゃったんだと思ってました。。。でも、それは間違いでした。

そんな“にっき”の悲しみを見て、今やらなきゃいけない事をする事に気づかされたのでした。

先ず、お墓に連絡(24時間対応)し、お別れの日時を決めました。

それから体をきれいに拭いて『エンジェルケア』を行いました。。。

エンジェルケアとは体をきれいにし、耳、口、鼻、肛門に綿をつめたりする事です。

でも、私はどうしても口に綿は入れられませんでした。

最期まで何も口に出来なかったあんちゃんの口に綿なんか突っ込むなんて…可哀想でどうしても出来ませんでした。

翌朝、やっぱり夢ではありませんでした。

あんちゃんは箱の中で静かに眠っていました。

ぽんぽこさんが来てくれました。その時、“にっき”はまた昨夜の症状になりました。

慌ててなだめ、どうにか落ち着きを取り戻しました。


“にっき”がこんな雄叫びをあげたのは、後にも先にもこれっきりでした。


その後、ドライアイス屋さんに電話をし取りに行って来ました。

この日は仕事でしたが同僚が快く変わってくれました。

暖かい時期だったのでお別れはこの日の夕方にしました。

お墓に着くと病院から携帯に電話がありました。。。そう、診察のキャンセルを入れ忘れていたのです。

「今、お墓です」と告げ、昨夜の経緯を話すと電話の向こうの看護師さんはかなり動揺していました。

お別れにはバルママさんが来てくれました。

火葬を終えたあんちゃんはとっても小さくなっていました。

私はお守りとしてあんちゃんの犬歯・爪・尾の先端をカプセルに入れました。


私は自分でも不思議なくらい取り乱しませんでした。

何故ならそれは・・・あんがずっと傍にいてくれたからだと思います。

信じられないかもしれませんが、私はずっとあんを感じていました。

翌日からずっと右肩が重いのです。そして時折髪を掴みました。

それは懐かしい、抱っこした時のあんちゃんの感触でした。

それが49日までは毎日していました。

私は思いました。

あんが直ぐに逝くような病気じゃなかったのも、亡くなってからもあんを感じるのも、きっと私が追いかけない様に・・・そういう事なんじゃないかって。

私は兼ねてから、あんちゃんが逝く時は私も逝こうって思っていました。

あの子はあらいぐまだから、お空に行ってもきっと寂しいに違いない。虹の橋で私を待ってる間だって心細いに違いない。
“きなこ”はお友達も沢山いるけど、あんちゃんには私しかいない。


私がこんなんだったから、あんは病気を発症し、11月末に本当に危ない状態になって、その後も何度も数値が変動し命の危機を繰り返す事で私にお別れに対する覚悟をさせ、更に亡くなってからもずっと見守っていてくれたんだと思います。

“にっき”がおかしくなったのも私の目を覚まさせたのだと思います。

私はあの子に凄く心配をかけたのだと思いました。


実は、今もあの子の死に向き合えていません。

でも、我が家には未だ“ぱんな”と“にっき”がいます。

この子達の成長の記録を書くためにも、前に進まなくてはならないのです。

せめて“にっき”のお誕生日までにここに書かないと・・・。


私は皆さんにちゃんと言えてない事が有りました。

それは『あんが最高に可愛い娘だった』という事。

実際のあんちゃんは、ここに載せた記事の何十倍も可愛い娘でした。

でも、あんまり可愛い可愛いと載せすぎれば、またラスカルの時の様にあらいぐまを安易に飼いたいと思われる方が増えたり、

野生のあらいぐまにむやみに手を出し、怪我をする人が出る事を恐れたのです。

なのであえて噛まれたり喧嘩した時の傷の写真を載せたりして、簡単に近づいて欲しくない事を記事にしてきました。

実際、あんちゃん以外の野生のあらいぐまや飼育下でのあらいぐまちゃんの気性は把握していないのであんを基準に思わないで欲しかったのです。


あんはとっても甘ったれでお茶目で妹の世話を良くして、私の言葉を沢山理解して、それに対して身振りで返してくれて、いつでも私の事を凄く理解してくれる子で、疲れた時や落ち込んでる時は、頭を撫でてくれました。

大好きなあんちゃん、愛しい愛しいあんちゃん

あなたに会いに沢山の人が家に来てくれたね!

そしてみんながあなたを今まで以上に大好きになって帰って行ったね



そんなあなたにママからのお願いです

決して虹の橋のたもとで私を待たないで下さい

きなこと一緒に虹の橋を渡って、どうか向こうで待っていてください。

あなたが寂しそうにクルクルと泣きながら待っているかと思うといたたまれません。

お空でも昔のように“きなこ”とこんな風に仲良く一緒にいてください




当ブログを御覧頂いてる皆様、報告が大変遅くなりました事お許し下さい。

また、今後もSNS完全復帰には時間が掛かると思います。mixもFacebookも殆ど開かないでしょう。

どうか御了承下さい。


*また、この記事へのコメントは閉じさせていただきます






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