東方のあかり

東アジア(日、韓、中+その他)のまとまりを願ってこのタイトルにしました。韓国在住の日本人です。主に韓国発信の内容です。

キムおじいさん。

2013-07-30 05:00:00 | 韓国物

1950年6月25日にユギオが勃発しました。
朝鮮戦争です。
北朝鮮の一方的な攻撃が突如として始まった日です。
韓国は負け戦をしいられながらもUN軍の助太刀をもらってしだいに盛り返します。

1950年の12月ごろ、その当時日本で留学生活を送っていた韓国人の若人らが
祖国を守護するため日本から韓国に飛び、北の共産軍と闘いました。
こういう命を捨てての尊い行為のおかげで、南はなんとかもちこたえ、
1953年7月の「休戦条約」締結に至るわけです。

戦争が終わったので、生き残った人々は日本へ帰ろうとしたのは当然です。
祖国守護のために命をかけて闘い、よく持ち堪えて生き延びたわけですから。

そういう人々が260余り、いったん釜山の少林寺に集まって、
日本への出発の日を今か今かと待っていました。

ところが、日本政府の言うことには、
「お前たちは、日本政府の許可もなく韓国にわたったのだ。不法脱出のかどで
二度と日本の地を踏むことはできない」

というものだったのです。なんと驚きでしょうか。

当時、日本人の女性と結婚し子供までいた人も多いです。
キム・ウンテさん(86歳)もその一人です。

先日(7月25日)のKBS1テレビでやってたんですが、
キム・ウンテさんは日本での故郷・新潟に行って、当時の妻と子供を探そうとしました。
新発田市役所に行って、当時の話をして、

「なんとか妻と子供の行方を知りたい」

と訴えるのですが、市役所職員の態度は、キムさんの名前が登録されていないので、
キムさんの訴えを受理することすらできないというものでした。
なんという融通性のなさ、義務機械的人間、冷たい仕打ちなんでしょう!!驚きました。

この先何年もないようなおじいさんの切々たる訴えに対して、
鼻もひっかけないような冷たい態度。

日本人として恥ずかしい瞬間でした。

でも、そのことをソウルにいる朝日新聞のある記者が個人的な関心から
キムおじいさんと会い、すぐに朝日新聞の記事として書きました。

その記事を見たある女性が、朝日新聞に連絡してきたというのです。
「記事の中にあった写真と同一の写真を私も持っている。わたしがこの記事の主人公キムおじいさんの娘です」
というものでした。

いろんな役所にいっても完全に埒の開かなかった案件が、
なんと新聞記事一つでこういう展開を見せたのです。マスコミの力の大きさをあらためて感じさせられましたね。

とまれ、キムおじいさんは、60年間の願いをはらすことができました。
テレビでは、娘さんだという女性と韓国にいるキムおじいさんが、
韓国から電話で話すという状況をやってました。
女性は、「突然のことで驚いています。主人にもまだ話してない状態で、すぐにも会いたいですが、
身辺の整理をしてからお会いしたいと思います」ということを電話で話している場面で今回の番組は終わりました。
たぶん、次には、娘さんとキムおじいさんが韓国で出会う場面が放送されるものと期待しています。
一ヶ月先になるのか、二ヶ月先になるのかわかりませんが。
乞うご期待、です。

bacsa
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