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#2396 コタツ記事とメディアの責任

2023年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 出版社の「小学館」が発行している『デジタル大辞泉』によると、独自の調査や取材を行わず、テレビ番組やSNS上の情報などのみで構成される記事を「コタツ(炬燵)記事」と呼ぶのだそうです。

 SNSなどで話題を探し書かれている「個人的意見」の「裏取り」などをせず、聞いた内容、書いてある内容をさも真実のようにそのまま記事にするケース。そういう意味で言えば、当ブログも(まさに)典型的なコタツ記事と言えなくもありません。

 その語源は、海外記事、SNS、他人が書いた記事などをコピペしたり“総合評論”したりすることで、「コタツの上だけで完結できる記事」というもの。「ネットで話題に…」「…批判の声が上がっている」など、読者を(なんとなく)誘導するような表現となっているものも多く、フェイクニュースを拡散させる温床として指摘する向きも多いようです。

 私のような者にとって耳が痛い話ではありますが、この「コタツ記事」に関連して、3月1日の総合情報サイト「集英社オンライン」に『フェイクニュースの温床になる「こたつ記事」を法政大学ゼミ生が調査』と題する記事が掲載されていたので、この機会に一部を紹介しておきたいと思います。

 ツイッターなどのソーシャルメディアに流されるフェイクニュースの数々。実は、SNS上に偽情報が流れること自体が問題なのではなく、それをニュース化するメディア側の姿勢に問題があると、法政大学教授の藤代裕之氏は(この記事で)話しています。

 例えば、2020年春頃に広がった「トイレットペーパー不足」に関するニュース。SNS上のデマが原因とされているが、実際はそれほど広まっていない話題を「デマが拡散している」とテレビなどが取り上げ、騒動が一気に拡大したと氏は言います。

 結果として混乱が全国に広がり、トイレットペーパーの買い占めという実害が生じた。ほとんど知られていなかったはずのSNSの話題をマスメディアが全国に報じたことで、それが“事実化”してしまった典型的な事例だということです。

 嘘やデマをゼロにすることが不可能だとすれば、「嘘をつくこと」よりも「嘘がニュースになり、事実化すること」が問題となる。デマがポータルサイトに掲載されたり、検索結果に出たりしてしまうことで、世間が「ニュースなんだ」と広く認知してしまうというのが氏の認識です。

 現在、ネットは「コピーした者勝ち」の状態にある。バズっている動画も、コピーに次ぐコピーのそのまたコピーが大量にあふれ、どれが元動画で誰が投稿したのかもわからないと氏はしています。

 実際、ロシアがプロパガンダのために作った偽動画が拡散するといった事態が、フランスやイギリスで起きている。コピーを重ねられて歯止めが効かなくなった情報をさらに新聞やテレビがニュースにしてしまうことで、“事実”としてのお墨付きが与えられてしまう結果を生んでいるということです。

 ネットメディアが、情報の質よりも人々の関心を集めて広告を見てもらうという「アテンションエコノミー」で成り立っている以上、この危険性は常につきまとうと氏は指摘しています。どこよりも速く情報を出し、どこよりも多くのPVを集めなくてはならないネットメディアの世界では、不確実な情報が広がりやすい構造になっているということです。

 そして、こうした「フェイクによる汚染」の中核を担っているのが、ミドルメディアやポータルサイトの存在だというのが、この記事において氏の指摘するところです。

 ミドルメディアとは、SNSの情報などをもとにしたニュースサイトやまとめサイトのこと。「ネットで話題」と題して、バズっている話題について、取材や検証をせず「こたつ記事」を大量に生み出している。そして、フェイクニュースが生まれる温床となるこたつ記事を、(次の段階で)ポータルサイトが大量に拡散させていると氏は言います。

 人々の関心を集めれば儲けられるならば、手間や時間もかかるニュースよりも、安上がりでクリック数を稼げるコンテンツを大量に作ればよい。例えば、AIのチャットボットに「女優の〇〇の記事を書いて」と入力し、返ってきた文章をコピー&ペーストして配信すれば「一丁上がり」。もはや人間が書いた記事すら必要ないということです。

 確かに、毎朝(仕事始めの儀式のように)ニュースサイトにひと通り目を通しているこの身としても、「今日はどんな情報がバズっているのか」は大いに気になるところ。ヘッドラインにちょっと目を引く記載を見つけるたびに「えっ?」とポチる右手の動きは、既に条件反射になっているような気さえします。

 一方、情報を拡散させる力は(少なくともこの日本では)まだまだマスメディアの方が大きいと言わざるを得ません。日本人の大手メディアへの信頼は高く、それゆえに責任も大きいということでしょう。

 テレビの情報番組などが報じることで、どんなフェイクも真実に近づく。人が知らないことを聞いたら、誰だって誰かに話したくなる。人々の「口の端に上る」というのは、それだけ怖いことなのだろうなと、私も改めて感じたところです。



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