MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1977 菅政権を総括すると

2021年09月26日 | 国際・政治


 菅義偉首相が立候補を断念したことで、(皮肉にも)大きく活性化した自民党総裁選挙もそろそろ終盤戦。一方の菅総理は、米国訪問で有終の美を飾ろうとするもメディアの扱いは極めて小さく、世論からは既に忘れられた存在のごとき扱われ方です。

 思えば菅政権の終焉までの流れには、なかなか寂しいものがありました。政府による新型コロナウイルス対策の成果が乏しい中、最後まで権力維持に執着した揚げ句の退陣表明。支持率の低下から、若手議員からは「選挙の顔にならない」「菅でなければ誰でもいい」という声まで聞かれたと報じられています。

 菅首相は当初、東京五輪・パラリンピックの開催とワクチン接種の進展を実績に政権浮揚を図って衆院を解散、総選挙に勝利し、総裁選は無投票で再選されるシナリオを描いていたとされています。しかし、感染拡大は「第5波」が急激に深刻化。地元の横浜市長選は政府のコロナ対応が争点となり、野党候補に惨敗したことも大きく響きました。

 局面打開を狙った党役員人事と内閣改造への意欲も空回りし、その後は月内の衆院解散まで検討していたとされますが、こうした異例ずくめの政権延命策が党内の強い反発を招き、最終的には党内の誰からも見放される形で幕を閉じることになりました。

 長期政権となった安倍晋三首相の突然の退陣を受けた菅政権。新型コロナのパンデミックが広がる環境の中、「実務家として(案外)よくやった」という声も聞かれる一方で、菅首相には「政治家として全く魅力を感じない」との厳しい評価を下す人も多いようです。

 コロナやオリンピックなどを巡る混乱の中、私たちがこの1年間(結構、身近な感じで)付き合ってきた菅義偉政権とは、果たしてどのような政権だったのか。9月20日の日本経済新聞の紙面では、同紙論説フェローの芹川洋一氏が「菅政権はなぜ終わるのか」と題する論考を掲載し、その総括を試みています。

 安倍晋三前首相が、新型コロナウイルス対応の心労から急きょ退場したのはつい1年前のこと。その(まさに)「後継」として生まれた菅義偉政権は、結局、前政権同様コロナ対策に悪戦苦闘し、出遅れを回復すべくワクチン接種を進めたものの感染者数は減らず、民意の離反を招いたと芹川氏はこの論考に綴っています。

 感染者数の増加がそのまま内閣支持率の低下につながるという、コロナ連動政権の悲劇。おまけに、菅義偉という政治家は有権者との対話が得意でなく、(不安を感じる国民への)発信力の弱さも致命傷になったというのが氏の認識です。

 そういう意味では、菅政権は「コロナで生まれて、コロナで終わる政権」と言える。そして、その背景に目をこらすと、政権崩壊の理由が、政権成立の理由そのものの中にあったことがみえてくると、氏はこの論考で指摘しています。

 芹川氏によれば、その第1は、政権自体が無派閥だから生まれ、また無派閥だから終わった点だということです。

 安倍前首相の退陣表明の後、各派閥がすくみ合う中、菅氏が急浮上したのは、結局どの派閥も乗りやすい無派閥だったからだと氏は説明しています。

 ところがその利点は政権を維持していくうえで徐々に弱みに変わっていく。首相へのゆるやかな支持グループはあるもののそれもほとんど力のない面々に過ぎず、官房長官や党執行部に権力闘争のベクトルが同じ派閥やグループのメンバーはいない。このため、党内調整は菅氏の個人的な関係に頼るしかなく、これが「支えるものなき悲劇」につながったというのが氏の指摘するところです。

 第2は、官房長官だから首相になって、官房長官のままだったから終わった政権という点だと氏は話しています。

 内閣の大番頭として実に7年8カ月の長きにわたって政権を支え、手腕を発揮していたため、菅首相は突然の退陣となった前任者の後継者として党内外でもすんなり受け入れられた。しかし残念なことに、(御厨貴東大名誉教授の言葉を借りれば)そこで官房長官から首相に「化けきれなかった」というのが芹川氏の見解です。

 「菅内閣には菅首相がいなかった」との言葉はメディアなどでもよく聞かれたが、ナンバー1と2ではおのずと立ち居振る舞いも発言も違ってくるし、(もちろん)分を越えれば悲劇が待っていると氏は言います。

 そうした中、菅政権では、特に安倍前政権のようなチームができなかったのが痛かった。政権はひとりでは回せないにもかかわらず、しばしば「情報が首相にあがっていない」という状況が生まれた。また、そこにコロナで外部との接触機会が減ったのも響いたということです。

 そして第3は、「官僚との関係」にあると芹川氏はしています。

 内閣人事局ができて官邸が各省の幹部人事をチェックする仕組みとなったのだから、さまざまな面で関与するのは間違っていない。しかし、それはやり過ぎはなかったか。

 安倍―菅政権で、委縮した霞が関の官僚たちは官邸からの指示待ち型になったと官僚OBをはじめ関係者は異口同音に指摘する。「意に染まない情報や望まない案をあげると機嫌をそこねて怪我をする」といったムードが広がったのは否定できないと芹川氏は言います。

 官邸主導人事だから官僚を掌握し、官邸主導人事だから官僚が動かなくなったという逆回転が生まれ、政権の悲劇を助長していった。政権を生みだしたものや、権力の源となったものがブーメランとなって自らにはね返ってくる皮肉な展開となり、それが政権がうまく機能しなくなっていると受け取られた。結果、指導力不足との見方が定着し、支持率がどんどん下落し政権の終焉を速めたというのが氏の認識です。

 デジタルとグリーンをかかげワクチン接種にかけてきた菅首相。しかし、転落の原因はコロナの感染拡大ばかりではなく、党内勢力をまとめきれず、また、国民の先頭に立つ首相という存在を演じきれず、さらに、官僚の力を使い切れなかった首相自身の態度にあったということでしょう。

 志半ばでの政権投げ出しは無念に違いない。しかし、政治は皮肉で冷酷なものだと、芹川氏はこの論考の最後に記しています。

 実務家として、国民のために働く政権を標榜してきた菅首相ですが、政治家や国民、そして官僚を動かしていくためには、人の心を掴むためのプラスアルファの力が必要だということなのか。最善と思われる政策を淡々と進めるだけでは一国を動かしていくことはできない。そうした政権運営の難しさを、氏の論考から私も改めて感じたところです。


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