MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯28 フロンティアとは何か(その2)

2013年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 フロンティア・スピリッツ(frontier spirit)というこの言葉。「開拓者魂」と言えば、日本で言うところの「大和魂」のようなものでしょうか。

 主にアメリカ人が自らを鼓舞する際に用いる言葉で、幾多の困難に打ち勝って西部を開拓した先人のような、進取・自由・自立の精神を指す言葉です。

 最近では、日本の経営者などにも「困難な経営環境を乗り越えるタフな精神」を指すものとしてよく使われているようですが、その基本には、新しいことに挑むこと、挑戦すること、いわゆる「チャレンジャー」をリスペクトしてきたアメリカ人の気風がよく表れています。

 西部開拓史とちょうど同じ時代、日本では江戸時代も半ばを過ぎ、江戸幕府による幕藩体制が最盛期を迎えていました。儒教の精神を基本とする武家社会では、忠・孝を重んじ幼長の序を尊ぶ秩序と安定を旨とする社会システム採用され、基本的には「変化しないこと」が理想とされていました。

 そこでは、幕府や藩や家の権威、言い方を変えれば武家の持つ「既得権益」を守っていことに重きが置かれ、複雑な身分制度や職業の世襲などがこれを補完していました。大儀のために身を捨てる。「武士道とは死ぬことと見つけたり」などという考え方は、そういう意味ではフロンティア・スピリットの対極にあるもの言うことができると思います。

 さて、アメリカにおけるフロンティアの歴史は銃の歴史でもあります。フロンティアにおける紛争の調停手段は、常に銃であったと言っても過言ではありません。

 銃は危険な獣や暴漢から開拓者の身を守るだけでなく、先住民を追いやり土地を収奪するためのツール・手段として、このフロンティアを中心に400年以上にわたって日常的に使用されてきました。日本刀が「武士の魂」と呼ばれ、江戸幕府の約250年間にわたって武家の「権威の象徴」であったのとは大きく異なり、銃はまさに実用的な道具、パワーとしてアメリカ大陸のフロント・ラインで活躍していたわけです。

 フロンティア・スピリットの底流に流れているのは、こうした銃による、力による制圧であることを忘れてはいけないでしょう。アメリカの社会とは異なる論理で動いている(未開の)土地や人々を、銃という力を使い次々とアメリカというシステムに組み込んで(解放して)いく。これがアメリカ合衆国という国の建国の理念であり歴史です。

 現在、米国で問題化している銃禍は、開拓時代に大量に出まわったこうした拳銃やライフル銃が市民に身近なものとしてそのまま存在していること、そして問題解決の手段として広くアメリカ国民に受け入れられていることの証左でもあります。

 自らの権利を侵害する「悪漢」が銃で武装しているのだから、そうしたものから身を守るべく市民が銃を持つのは当然であるとする「銃を持つ権利」は、アメリカの国民に深く根づいています。

 「力には力で」という自力救済による問題解決は、フロンティア・スピリッツとともにアメリカ人の精神に底流している考え方であり、それはハリウッド映画だけのものではないということを、私たちはきちんと理解しておく必要があるでしょう。



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