MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2381 役職定年制の賞味期限

2023年03月16日 | 社会・経済

 3月から4月にかけての年度替わりのこの時期は、大方のサラリーマンにとって(言わずと知れた)人事の季節。人材不足が叫ばれる中、定年まで勤めあげたベテランたちが寂しく職場を後にする一方で、今年もまたスーツ姿が板につかない大勢の新卒フレッシュマンが遠慮がちに配属されてくることでしょう。

 思えば、今からおよそ35年前のバブル期(1988~1992年)に、こうして大量採用された世代も齢を重ね、今年の3月をもって55歳(前後)の「役職定年」を迎えることになります。彼らが採用された当時の日本は景気も絶好調。例年の定員枠の2倍増で採用する企業も珍しくなく、企業の採用担当者が(大学名などに関係なく)学生の確保に駆けずり回っていたことを懐かしく思い出します。

 一方、その後の「バブル崩壊」による採用の大幅減などがあって、彼ら「バブル入社組」は社員の年齢構成上、突出したボリュームゾーンになっていることは否めません。「昭和」を引きずるサラリーマンとして、ここのところ「働かないおじさん」などと呼ばれ鬱陶しがられることも多い彼らですが、「失われた」と呼ばれるその後の日々を生き抜いてきた日本の企業にとって、彼らが大切な戦力であったこともまた事実です。

 定年延長や再雇用を含め65歳まで会社が面倒を見てくれるとはいえ、(そんな彼らも)残り10年の現役時代をどう生きるかについて、真剣に考える時期に来ているということには、改めて時代の移り変わりを感じさせられます。

 バブル経済の崩壊、円高や円安による不況、リストラや仕事のIT化、そして最近ではコロナや働き方改革を切り抜けてきた彼らは今、どのような状況に置かれているのか。3月16日の総合経済情報サイト『東洋経済ONLINE』に、人事ジャーナリストの溝上憲文氏が「役職定年を迎えたバブル世代の世知辛すぎる孤独」と題する論考を寄せているので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 人事異動で社内がざわつく3月。55歳という年齢だけで、(あと何日かで)無理やり部・課長職から一兵卒に引きずり下ろされる人たちがいる。今となっては当たり前のようになったこの「役職定年」という制度では、(役職定年後は)役職手当や基本給が減額され、年収水準はそれ以前の50〜75%に下がる人が最も多く、50%未満も4割を占めると氏はこの論考に記しています。

 こうした現実に、シニア向けキャリア相談を手がけるキャリアコンサルタントの作田龍昭氏は「今の50代は晩婚のせいなのか、子どもが小さいことも珍しくない。大学までの教育費を考えると、役職定年による年収減は生活にも響く」と話しているということです。

 もちろん減るのは年収だけではない。役職を外れたことで孤独や喪失感を味わい、働く意欲を失う人も多いと氏は指摘しています。パーソル総合研究所の調査によると、「仕事に対するやる気・モチベーションが低下した」「喪失感・寂しさを感じた」「会社に対する信頼感が低下した」とネガティブに受け止める人は相当数いるということです。

 喪失感を覚えたり孤独に陥ったりする理由のひとつは、権限と裁量がなくなること。昨日まで組織のさまざまな課題を判断していた仕事が、まったくなくなることによる寂しさは間違いなくあると氏は言います。さらに、役職を外れた途端に会議に呼ばれなくなり、会議の報告すらなくなって情報が失われ、不満や孤独感がさらに募るということです。

 こうして(ただ年齢を重ねたということだけで)ベテラン社員からプライドとモチベーションを奪う役職定年は、現在の日本企業にとって果たして不可避で賢明な制度なのか。

 役職定年はもともと、定年が55歳から60歳に延びる中で、人件費の削減と組織の新陳代謝を目的につくられた制度。再雇用が多いとはいえ実質的には65歳定年となり、就業年齢も延び続けている中、役職定年によるモチベーションダウンは企業の生産性を阻害しかねないと氏はこの論考で指摘しています。

 実際、富士通では課長職55歳、部長職56歳の「役職離任制度」を廃止。20年のジョブ型人事制度への転換と同時に、年齢に関係のないポストオフ制度を導入した。ジョブ型賃金(職務給)としたうえでそれぞれ職責の格付けを行い、職務等級(ポスト)と報酬をひも付ける仕組みに転換したということです。

 同社では、職責を果たせない幹部社員をポストオフする一方で、手挙げ式のポスティング(公募)で抜擢する仕組みを設けている。もちろん、管理職であっても年功の既得権は存在しない。このため、常に職責達成が要求されるなど年輩者には厳しい面もあるが、こうした手法も一つのモデルになるだろうというのが氏の見解です。

 「アンチ定年制」制度の成否は、「脱年功」の運用にあるのは(おそらく)間違いない。いわゆる「ジョブ型雇用」は能力の高い若手を抜擢できる制度だが、入社年次意識をいまだ引きずっている管理職が多ければ、役職定年を廃止することもそれだけ難しくなるということです。

 さて、「年齢」という(誰にでも「平等」に訪れる)外形的に与えられたタイミングでの処遇の一律見直しは、確かにその当事者にとって、一定の納得感が得られるものなのかもしれません。しかし、一律・横並びの処遇が既に受け入れられなくなっているのが現在の企業社会である以上、生産性の向上のためにはさらなる「実力主義」の導入が欠かせないということでしょう。

 いずれにしても、時代の変化とともに「役職定年」の意義が失われてきていることもまた事実。そうした中で、年功意識の払拭と管理職一筋のキャリアパスの見直しが進まなければ、役職定年によるモチベーション低下の問題がなくなることはないとこの論考を結ぶ溝上氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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