MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1168 福祉国家の基本理念

2018年09月19日 | 社会・経済


 2025年に65歳以上の高齢者が人口全体の3割を超えることが確実視され、2053年には人口が1億人を割ると推計されている日本の未来には、医療や福祉、介護、年金などを支える社会保障費の増大が大きなハードルとして立ちはだかっています。

 今般閣議決定された来年の「骨太の方針」では、(このままいけば)2040年度には社会保障給付費が現在の約1.6倍に当たる190兆円に達するとの政府試算が公表され、衝撃をもって受けとめられました。

 2040年といえば、団塊ジュニアの世代がすべて65歳以上に到達することで高齢化率(65歳以上人口比率)が2015年の26.6%から35.3%に急上昇し、同年齢以上の人口は3900万人超とピークを迎えるとされています。

 これまで日本の社会保障制度は、北欧諸国などの「高負担高福祉」の国とも米国に代表される「低負担低福祉」の国とも異なる、「そこそこ」の負担で「そこそこ」の福祉を提供する「中負担中福祉」の典型として知られてきました。

 しかし、今後数十年にわたって現役世代と高齢世代のバランスが大きく崩れることが確実視される中、日本の社会保障の在り方についてはもうすこし根本的に見直す必要があるとの声も聞かれるところです。

 そもそも、国(=政府)にとって、国民のナショナルミニマムを確保する社会保障はどういう考え方のもとに制度設計されるべきものなのか。

 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は6月15日の自身のサイト「橘玲の世界投資見聞録」に「デンマークという高度化した福祉国家の徹底した「権力のコスパ」政策」との論評を掲載し、デンマークをはじめとした北欧諸国における「福祉」に対する視座を解説しています。

 悲惨な第二次世界大戦が終わって、国家の目的は「敵」を武力で倒したり、植民地を拡大したりすることではなくなった。残された目的は「国民の幸福」だけになったと、橘氏はこの論評に記しています。

 北朝鮮など一部の例外を除き、いまや(多くの国で)国家の存在意義は「国民の幸福度を最大化すること」にある。これが「福祉国家」で、国民は自分たちの幸福度を向上させてくれることを(主要な)条件として、政治家や官僚に権力(と暴力装置)を移譲しているということです。

 国民の求める「福祉」を国家と国民の契約だとするならば、合理的な福祉国家は国民にお金をばらまくようなことはせず(そんなことをするとジンバブエやベネズエラのようなハイパーインフレになる)、最小限のコストで福祉を最大化しようとするはずだと橘氏はしています。

 これを(明確に)体現しているのが北欧の福祉国家で、ほんとうにヒドいこと(=高いコストがかかる状態)になる前に個人の生活や家計に介入することで、権力行使のコストパフォーマンスを良くしようとしているということです。

 例えば、貧困、病気、アルコール問題などで苦しんでいる人がいた場合、早く国が助けなければ、最終的に病院などの施設で莫大な公費を使って養わなくてはならなくなる。うつ気味で無理して頑張っても、最終的に燃え尽きてしまったら疾病手当、治療費用、職場再復帰費用などがかかってしまう。それよりは、軽度のうちに休職してしっかり治してもらったほうがいいということになるでしょう。

 このように、福祉国家の立ち位置は、国民が健康に恵まれて就労し、納税し、幸せな国民生活を送ること(ウェル・ビーイング)が結局、国にとってのコストを最小にし、国の競争力と成長を伸ばすという基本認識にあると橘氏はしています。

 この点、日本では多くの国民が国を「母親のような存在」に例え、福祉国家を「お母さんのように国民の面倒をみる」ことだと考えている。だが、これでは、北欧の福祉国家のリアリズムは理解できない。福祉国家における福祉政策とは、何よりも「権力のコスパ」のためのものだというのが橘氏の認識です。

 スウェーデンやデンマークなどの北欧の福祉国家では、「中央個人登録番号」と呼ばれる国民番号で全てが管理され、電子政府化が進んでいるということです。これは(個人を背番号でコンピューター管理する)ジョージ・オーウェル『1984』のビッグ・ブラザーと揶揄されるが、彼らは一向に気にする素振りはないと氏は説明しています。

 その理由は、福祉のコスパを最大化するには個人情報を行政に集中させたほうが効率的なことが判っているから。彼らはそれを合理的に判断し、だがその代わり、情報を悪用させないような仕組みが徹底されているということです。

 また、高度化した北欧の福祉制度に共通しているのは、福祉給付は手厚いが、それを悪用する者にはきわめてきびしいということだと橘氏はこの論評で指摘しています。

 ただでさえ、寛容すぎる福祉はフリーライド(ただ乗り)やモラルハザードの温床になりがちです。モラルハザードを防がなくては福祉制度そのものが崩壊してしまうのだから、(国民の共通認識として)これは当然のことだということでしょう。

 先に述べたように、福祉国家の基本的な戦略は、失業のような不慮の事態に対して素早く介入し、一人でも多くの国民を再教育して労働市場に送り返すことだと氏はしています。

 彼らには(なるべく早く)再び働いて税金を納めてもらわなければならい。こうした政策は「福祉から労働へ」と呼ばれ、特にデンマークではそれが徹底しているということです。

 例えば、失業手当は、日本のように雇用保険料を払った「権利」としてなにもせずに受給することは許されない。「次の(よりよい)仕事に就くための準備期間」として、求職活動だけでなく教育訓練コースで専門資格を取得することなどが強く推奨されるということです。

 こうしたことからも判るように、(氏の指摘を待つまでもなく)北欧の福祉国家の基本的な思想は、決して(お母さんのように)優しく寛容なものではなく、日本よりももっとリアルでドライなものだと言えるでしょう。

 福祉制度は、最終的には国民の国家への信頼と国民の自立と自己責任の意志に支えられている。そして、それがあってこそ、所得の7割近い国民負担率に北欧の人々は耐えられるということなのかもしれません。